318 / 352
月の砂漠のかぐや姫 第315話
しおりを挟む
少し進んだだけで理亜の身体全体はボウッと熱くなり、息が続かなくなってしまいました。また、足が石の塊にでもなったかのように重く感じられ、元気な時であれば無意識の内に行っていた歩行という行為が、片足を前に出すだけでも力を振り絞らなくてはいけないほどの、とても困難な作業になってきました。高熱がぶり返してきたのです。
段々と歩く時間よりも、座り込んで休む時間の方が長くなってきました。それでも、理亜は前へ進み続けました。
どうして、小さな女の子がそれだけの力を振り絞ることができたのでしょうか。それは、ぼんやりとしてきた彼女の意識の中に、王柔が去り際に残した言葉が浮かび上がっていて、それが彼女に力を与えていたからでした。
「僕は村で待っているから。それに、村には王花さんがいる。お母さんみたいな人だ。きっと、理亜のお母さんになってくれるよ」
王柔はそう言いました。「お母さん」と。もちろんその言葉は、理亜の本当の「お母さん」と言う意味ではありません。でも、王柔がそのように語り掛けた時には、既に理亜の意識は風粟の病から来る高熱で朦朧としていて、そのような細かな意味合いまでは理亜に伝わっていませんでした。
この地に連れて来られる途中で死んでしまったお母さん。王花さんと言う、王柔のお母さんみたいな人。わたしのお母さんになってくれる人。お母さん。おかあさん。王花さん。オカアサン。お母・・・・・・サン。
理亜のぼんやりとした意識の中では、王柔の言う「王花さん」も「お母さん」も、自分の本当の「お母さん」も、境界が無くなって無秩序に混ざり合ってしまっていました。
「かあさん、お母さん・・・・・・。オージュ・・・・・・。村に行けば、会える・・・・・・」
たった一人でヤルダンの中に打ち捨てられた女の子は、村に行けば自分の大切な人に会えるという思いに必死に縋りつき、それを支えにして、震える身体をなんとか前に勧めていたのでした。
それでも、親を求める子の思いが如何に強かったとしても、やはり人の身体には限界があります。ゆっくりと夜空を上がっていた月が天頂に達したころ・・・・・・。とうとう、理亜はヤルダンを出ることができないままで、一歩も動けなくなってしまいました。
理亜が歩き始めた頃は、まだ夕日が残した朱色が西の空の一部を染めていましたが、いまでは深い紺色の夜空が頭上全体を覆っていました。当初、理亜は本能的に明るさが残る西の方、つまり、ヤルダンの出口ではなく深部の方へ向かって歩き出したのですが、この遊牧にも不適なヤルダンの中に、「そっちは反対だよ」と注意をしてくれる者などいるはずもありません。彼女はこうして力尽きて座り込むまでの間、「村へ、オージュ、カアサン」とそれだけを想いながら、どんどんとヤルダンの奥の方へ入り込んでしまっていたのでした。
砂岩の台地が複雑に入り組んでいるヤルダンですが、理亜がいる場所はその裾野と裾野の間に生じた少し開けた場所でした。そこで理亜は、広場の中央部で地面からピュンと突き出ていた細長い砂岩の塊に背を預け、ぐったりと座り込んでいました。
王柔から貰った皮袋には、まだ水が残っていました。先ほどは水を一口含んで体力を回復させることができました。でも、いまの理亜には、それを手に取る気力がありませんでした。
「はぁ、はぁ・・・・・・、カアさん・・・・・・」
老婆のものかと思うようなしわがれた声が、理亜の乾ききってひび割れた唇から、力なく漏れ出ました。
その時のことです。理亜があの声を聞いたのは。
「あなたは、母さんを捜しているの・・・・・・」
ヤルダンに満ちていた夜の空気を震わせるのではなく、直接理亜の心の中に届いたその声は、彼女と同じ年頃の女の子の声に思えました。
いったい誰が彼女に語り掛けたのでしょうか。ここは村と村とのちょうど間に位置していますし、「魔鬼城」とも呼ばれるヤルダンには遊牧の者も訪れません。理亜がこの場所に居るのは、交易隊から置き去りにされたというおよそ有り得ないような事情によるものです。つまり、このようなところに、彼女の他に小さな女の子などがいるはずが無いのです。
でも、その声を聞いた理亜は、その様な疑問を持ちはしませんでした。考えを巡らす余裕など、もはや彼女には残っていなかったのです。高熱によって再び混濁してきた意識の中に響いてきた声に、理亜は素直に答えました。もちろん、実際に言葉として口から出すほどの体力すら、いまの彼女には残っていませんでしたが、思いを形にすることだけでも相手にはそれが伝わっているようでした。
「そうよ、カアさんを、捜しているの」
「あなたも、そうなのね。わたしも待っているの、母さんを。もう、ずっと。ずっと、待っているの・・・・・・」
その声から理亜は、「母と会いたい」と言う、率直でとても強い気持ちを感じ取りました。それは自分の気持ちと全く同じものでしたので、高熱と疲れで朦朧としている理亜には、自分と彼女が同じように感じられました。
「そうなんだ、同じダネ。わたしも一緒に捜そうカ?」
「捜してくれるの・・・・・・、あなたが。ありがとう・・・・・・。イヤッ、モウ、クルハズガナインダ!」
突然、理亜の意識に響いてくる声に、もう一つの声が割り込んできました。だれか別の人が話に入って来たのでしょうか? いいえ、そうではありません。不思議な事ですが、理亜には一人が二つの声で話しているように感じられました。
「コナイヨ、オマエハステラレタンダ・・・・・・。違う、そうじゃないっ。違う・・・・・・。コナイ・・・・・・。来る、来るよっ。オマエハ、ヒトリナンダ。ステラレタンダ・・・・・・。違う、違う、違う・・・・・・」
それは、理亜の心に声を届けた女の子の心の中で、母親を信じたい気持ちと辛く悲しい現実を見つめようとする気持ちがせめぎ合っているのが、言葉となったものでした。それを聞かされた理亜の心にも、鋭い棘が付いた鞭で打たれたような痛みがビリビリッと走りました。
段々と歩く時間よりも、座り込んで休む時間の方が長くなってきました。それでも、理亜は前へ進み続けました。
どうして、小さな女の子がそれだけの力を振り絞ることができたのでしょうか。それは、ぼんやりとしてきた彼女の意識の中に、王柔が去り際に残した言葉が浮かび上がっていて、それが彼女に力を与えていたからでした。
「僕は村で待っているから。それに、村には王花さんがいる。お母さんみたいな人だ。きっと、理亜のお母さんになってくれるよ」
王柔はそう言いました。「お母さん」と。もちろんその言葉は、理亜の本当の「お母さん」と言う意味ではありません。でも、王柔がそのように語り掛けた時には、既に理亜の意識は風粟の病から来る高熱で朦朧としていて、そのような細かな意味合いまでは理亜に伝わっていませんでした。
この地に連れて来られる途中で死んでしまったお母さん。王花さんと言う、王柔のお母さんみたいな人。わたしのお母さんになってくれる人。お母さん。おかあさん。王花さん。オカアサン。お母・・・・・・サン。
理亜のぼんやりとした意識の中では、王柔の言う「王花さん」も「お母さん」も、自分の本当の「お母さん」も、境界が無くなって無秩序に混ざり合ってしまっていました。
「かあさん、お母さん・・・・・・。オージュ・・・・・・。村に行けば、会える・・・・・・」
たった一人でヤルダンの中に打ち捨てられた女の子は、村に行けば自分の大切な人に会えるという思いに必死に縋りつき、それを支えにして、震える身体をなんとか前に勧めていたのでした。
それでも、親を求める子の思いが如何に強かったとしても、やはり人の身体には限界があります。ゆっくりと夜空を上がっていた月が天頂に達したころ・・・・・・。とうとう、理亜はヤルダンを出ることができないままで、一歩も動けなくなってしまいました。
理亜が歩き始めた頃は、まだ夕日が残した朱色が西の空の一部を染めていましたが、いまでは深い紺色の夜空が頭上全体を覆っていました。当初、理亜は本能的に明るさが残る西の方、つまり、ヤルダンの出口ではなく深部の方へ向かって歩き出したのですが、この遊牧にも不適なヤルダンの中に、「そっちは反対だよ」と注意をしてくれる者などいるはずもありません。彼女はこうして力尽きて座り込むまでの間、「村へ、オージュ、カアサン」とそれだけを想いながら、どんどんとヤルダンの奥の方へ入り込んでしまっていたのでした。
砂岩の台地が複雑に入り組んでいるヤルダンですが、理亜がいる場所はその裾野と裾野の間に生じた少し開けた場所でした。そこで理亜は、広場の中央部で地面からピュンと突き出ていた細長い砂岩の塊に背を預け、ぐったりと座り込んでいました。
王柔から貰った皮袋には、まだ水が残っていました。先ほどは水を一口含んで体力を回復させることができました。でも、いまの理亜には、それを手に取る気力がありませんでした。
「はぁ、はぁ・・・・・・、カアさん・・・・・・」
老婆のものかと思うようなしわがれた声が、理亜の乾ききってひび割れた唇から、力なく漏れ出ました。
その時のことです。理亜があの声を聞いたのは。
「あなたは、母さんを捜しているの・・・・・・」
ヤルダンに満ちていた夜の空気を震わせるのではなく、直接理亜の心の中に届いたその声は、彼女と同じ年頃の女の子の声に思えました。
いったい誰が彼女に語り掛けたのでしょうか。ここは村と村とのちょうど間に位置していますし、「魔鬼城」とも呼ばれるヤルダンには遊牧の者も訪れません。理亜がこの場所に居るのは、交易隊から置き去りにされたというおよそ有り得ないような事情によるものです。つまり、このようなところに、彼女の他に小さな女の子などがいるはずが無いのです。
でも、その声を聞いた理亜は、その様な疑問を持ちはしませんでした。考えを巡らす余裕など、もはや彼女には残っていなかったのです。高熱によって再び混濁してきた意識の中に響いてきた声に、理亜は素直に答えました。もちろん、実際に言葉として口から出すほどの体力すら、いまの彼女には残っていませんでしたが、思いを形にすることだけでも相手にはそれが伝わっているようでした。
「そうよ、カアさんを、捜しているの」
「あなたも、そうなのね。わたしも待っているの、母さんを。もう、ずっと。ずっと、待っているの・・・・・・」
その声から理亜は、「母と会いたい」と言う、率直でとても強い気持ちを感じ取りました。それは自分の気持ちと全く同じものでしたので、高熱と疲れで朦朧としている理亜には、自分と彼女が同じように感じられました。
「そうなんだ、同じダネ。わたしも一緒に捜そうカ?」
「捜してくれるの・・・・・・、あなたが。ありがとう・・・・・・。イヤッ、モウ、クルハズガナインダ!」
突然、理亜の意識に響いてくる声に、もう一つの声が割り込んできました。だれか別の人が話に入って来たのでしょうか? いいえ、そうではありません。不思議な事ですが、理亜には一人が二つの声で話しているように感じられました。
「コナイヨ、オマエハステラレタンダ・・・・・・。違う、そうじゃないっ。違う・・・・・・。コナイ・・・・・・。来る、来るよっ。オマエハ、ヒトリナンダ。ステラレタンダ・・・・・・。違う、違う、違う・・・・・・」
それは、理亜の心に声を届けた女の子の心の中で、母親を信じたい気持ちと辛く悲しい現実を見つめようとする気持ちがせめぎ合っているのが、言葉となったものでした。それを聞かされた理亜の心にも、鋭い棘が付いた鞭で打たれたような痛みがビリビリッと走りました。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説

婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。


結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

病弱少年が怪我した小鳥を偶然テイムして、冒険者ギルドの採取系クエストをやらせていたら、知らないうちにLV99になってました。
もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
ベッドで寝たきりだった少年が、ある日、家の外で怪我している青い小鳥『ピーちゃん』を助けたことから二人の大冒険の日々が始まった。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

突然伯爵令嬢になってお姉様が出来ました!え、家の義父もお姉様の婚約者もクズしかいなくない??
シャチ
ファンタジー
母の再婚で伯爵令嬢になってしまったアリアは、とっても素敵なお姉様が出来たのに、実の母も含めて、家族がクズ過ぎるし、素敵なお姉様の婚約者すらとんでもない人物。
何とかお姉様を救わなくては!
日曜学校で文字書き計算を習っていたアリアは、お仕事を手伝いながらお姉様を何とか手助けする!
小説家になろうで日間総合1位を取れました~
転載防止のためにこちらでも投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる