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月の砂漠のかぐや姫 第287話
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切り裂いた竜巻が上下左右へ飛び散っていったために、羽磋の視界がパッと開けました。羽磋の目は再び「母を待つ少女」の母親の姿を捉えましたが、その顔には「自分が見たものが信じられない」とでもいうかのような驚きの表情が浮かんでいました。
信じられないのは、それを行った羽磋も同じでした。
大きく手を振り上げた母親の様子を見た瞬間に、羽磋の身体は動き出していました。理亜と王柔が危ないと思ったからです。ただ、気が付いた時には、羽磋は彼女たちを背にして母親と向き合っていましたが、何をすればいいかという考えは持っていませんでした。
母親が放ってきた竜巻に対して自分が握っていた小刀で切りつけたのは、本当に無意識での行動でした。それが竜の血を吸ったものであることは知っていたので、ひょっとしたら精霊の力を行使する母親に対して有効かもしれないとは思っていましたが、まさか竜巻を切り裂くことができるなどとは、考えてもいませんでした。飢えた獣のように恐ろしいものが自分に向かって襲い掛かってきたので、夢中で手に持っていた武器で切りつけたというのが、実際のところでした。
「はぁっ、はぁっ、はぁ・・・・・・」
羽磋は背中を大きく上下させながら、息を整えていました。そして、小刀を握った右手を母親に向かって突き出すと、高い所から自分を見降ろしている彼女の目に、しっかりと自分の目を合せました。それは「目を逸らしたり弱気を見せたりしたら、一気に襲ってこられる」という、野生の獣を相手にしたときと同じ緊張感からの行動でした。
「母を待つ少女」の母親は、ギリリと音がするほどに奥歯を嚙みしめると、羽磋が自分に向けて突き立てている小刀の先を凝視しました。
この地下世界へ落ちて来てから、母親はずっと独りでした。それは、山が崩れ岩や砂となり、ヤルダンを流れる川が新たな谷を削り作るほどの長い間のことでした。精霊の不思議な力が働いたのか、彼女に「死」いう区切りは訪れませんでした。そのために、彼女は自分の持っていた恨みや憎しみを何度も何度も思い出し、純化し、さらに、それを増大させることとなり、最後にはこのような濃青色の球体という存在に変わりました。
理亜や羽磋たちは、その長い時間の果てにようやく彼女に訪れた変化でした。それも、自分の娘を思い出させる嬉しいものでした。それなのに、ああ、それなのに。濃青色の球体となった自分の中に取り込んだ少女は自分の娘ではなく、彼女と一緒に取り込んだ少年と言ってもいいような若い男は、こうして自分に刃を向けているのです。それも、自分の巻き起こした竜巻を切り裂く力を持った、恐ろしい刃を。
いまは濃青色の球体内部で大人の何倍もの大きさの姿となって、羽磋を、そして、その先に理亜と王柔と対峙している母親は、「長い時の果てにようやくやってきたのはコレか。どこまで世界は自分を苦しめるのだろうか」と、怒りと悔しさで細かに身体を震わせていました。
ただ、母親はこの怒りをどうやって相手にぶつけたらいいのかを迷っていました。誰に教えられたわけでもないのですが、自然に自分の身体を動かす延長のものとして、母親は竜巻を巻き起こして王柔や羽磋を攻撃しました。でも、驚いたことに羽磋はその竜巻を小刀で切り裂いて逃れました。もしも、再び竜巻を放って攻撃したとしても、彼を打ち倒すことができるかどうかわかりません。彼の動きはとても素早いものでしたから、切り裂いた竜巻の隙間からこちらに飛び込んでこられたら、大きな体を緩慢に動かすことしかできない自分は対処できないかもしれません。
「ああ、なんとも悔しい。自分を騙したあの少女や少年を、この手で殴りつけてやりたい」
母親はそう思いながらも、次の攻撃を放てずにいたのでした。
「どうする、どうする!」
母親の攻撃が止まったこの間に、羽磋は一生懸命に頭を働かせていました。
いまこうして母親に切っ先を向けているのは、それが牽制になるからというだけの理由でした。もともと、この小刀で母親に切りつけるつもりなどありませんでした。また、王柔が言うように、この場から逃げ出すつもりもありませんでした。それどころか、羽磋は「母を待つ少女」の母親に話したいことを持っていました。そして、彼女に協力をしてほしいとさえ思っていたのでした。
「だけど、この状況じゃとても無理だよな・・・・・・。」
羽磋を睨みつけている母親の視線は、とても鋭くて恐ろしいものです。それに負けないようにとぶつけている自分の視線が弱くなるのが怖くて、瞬きをするのも逡巡するほどです。母親の顔からは、自分たちに対する怒りと憎しみ、それに、竜巻を切り裂かれたという屈辱が読み取れます。ここで羽磋が何か話しかけたとしても、その一言たりとも耳にしてくれそうにはありません。むしろ、何か声を発すれば、火に油を注ぐように、かえって母親の怒りを掻き立ててしまうような気さえします。だからと言って、羽磋には母親に切りかかるつもりはないのですから、小刀を持つ右手に力を入れながらも、彼はそれを母親に向けて保持し続けるだけで、動かすことはできないでいました。
この奇妙な、しかし、緊迫した膠着状態を動かしたのは、「母を待つ少女の」母親でも羽磋でもなく、彼らに投げかけられた少女の声でした。
「お願い、もう、止めて! 羽磋ドノッ! お母さんっ!」
信じられないのは、それを行った羽磋も同じでした。
大きく手を振り上げた母親の様子を見た瞬間に、羽磋の身体は動き出していました。理亜と王柔が危ないと思ったからです。ただ、気が付いた時には、羽磋は彼女たちを背にして母親と向き合っていましたが、何をすればいいかという考えは持っていませんでした。
母親が放ってきた竜巻に対して自分が握っていた小刀で切りつけたのは、本当に無意識での行動でした。それが竜の血を吸ったものであることは知っていたので、ひょっとしたら精霊の力を行使する母親に対して有効かもしれないとは思っていましたが、まさか竜巻を切り裂くことができるなどとは、考えてもいませんでした。飢えた獣のように恐ろしいものが自分に向かって襲い掛かってきたので、夢中で手に持っていた武器で切りつけたというのが、実際のところでした。
「はぁっ、はぁっ、はぁ・・・・・・」
羽磋は背中を大きく上下させながら、息を整えていました。そして、小刀を握った右手を母親に向かって突き出すと、高い所から自分を見降ろしている彼女の目に、しっかりと自分の目を合せました。それは「目を逸らしたり弱気を見せたりしたら、一気に襲ってこられる」という、野生の獣を相手にしたときと同じ緊張感からの行動でした。
「母を待つ少女」の母親は、ギリリと音がするほどに奥歯を嚙みしめると、羽磋が自分に向けて突き立てている小刀の先を凝視しました。
この地下世界へ落ちて来てから、母親はずっと独りでした。それは、山が崩れ岩や砂となり、ヤルダンを流れる川が新たな谷を削り作るほどの長い間のことでした。精霊の不思議な力が働いたのか、彼女に「死」いう区切りは訪れませんでした。そのために、彼女は自分の持っていた恨みや憎しみを何度も何度も思い出し、純化し、さらに、それを増大させることとなり、最後にはこのような濃青色の球体という存在に変わりました。
理亜や羽磋たちは、その長い時間の果てにようやく彼女に訪れた変化でした。それも、自分の娘を思い出させる嬉しいものでした。それなのに、ああ、それなのに。濃青色の球体となった自分の中に取り込んだ少女は自分の娘ではなく、彼女と一緒に取り込んだ少年と言ってもいいような若い男は、こうして自分に刃を向けているのです。それも、自分の巻き起こした竜巻を切り裂く力を持った、恐ろしい刃を。
いまは濃青色の球体内部で大人の何倍もの大きさの姿となって、羽磋を、そして、その先に理亜と王柔と対峙している母親は、「長い時の果てにようやくやってきたのはコレか。どこまで世界は自分を苦しめるのだろうか」と、怒りと悔しさで細かに身体を震わせていました。
ただ、母親はこの怒りをどうやって相手にぶつけたらいいのかを迷っていました。誰に教えられたわけでもないのですが、自然に自分の身体を動かす延長のものとして、母親は竜巻を巻き起こして王柔や羽磋を攻撃しました。でも、驚いたことに羽磋はその竜巻を小刀で切り裂いて逃れました。もしも、再び竜巻を放って攻撃したとしても、彼を打ち倒すことができるかどうかわかりません。彼の動きはとても素早いものでしたから、切り裂いた竜巻の隙間からこちらに飛び込んでこられたら、大きな体を緩慢に動かすことしかできない自分は対処できないかもしれません。
「ああ、なんとも悔しい。自分を騙したあの少女や少年を、この手で殴りつけてやりたい」
母親はそう思いながらも、次の攻撃を放てずにいたのでした。
「どうする、どうする!」
母親の攻撃が止まったこの間に、羽磋は一生懸命に頭を働かせていました。
いまこうして母親に切っ先を向けているのは、それが牽制になるからというだけの理由でした。もともと、この小刀で母親に切りつけるつもりなどありませんでした。また、王柔が言うように、この場から逃げ出すつもりもありませんでした。それどころか、羽磋は「母を待つ少女」の母親に話したいことを持っていました。そして、彼女に協力をしてほしいとさえ思っていたのでした。
「だけど、この状況じゃとても無理だよな・・・・・・。」
羽磋を睨みつけている母親の視線は、とても鋭くて恐ろしいものです。それに負けないようにとぶつけている自分の視線が弱くなるのが怖くて、瞬きをするのも逡巡するほどです。母親の顔からは、自分たちに対する怒りと憎しみ、それに、竜巻を切り裂かれたという屈辱が読み取れます。ここで羽磋が何か話しかけたとしても、その一言たりとも耳にしてくれそうにはありません。むしろ、何か声を発すれば、火に油を注ぐように、かえって母親の怒りを掻き立ててしまうような気さえします。だからと言って、羽磋には母親に切りかかるつもりはないのですから、小刀を持つ右手に力を入れながらも、彼はそれを母親に向けて保持し続けるだけで、動かすことはできないでいました。
この奇妙な、しかし、緊迫した膠着状態を動かしたのは、「母を待つ少女の」母親でも羽磋でもなく、彼らに投げかけられた少女の声でした。
「お願い、もう、止めて! 羽磋ドノッ! お母さんっ!」
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