月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第285話

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 王柔の声に先に反応したのは、羽磋ではなく母親の方でした。
 「母を待つ少女」の母親は、羽磋を見下ろしていた顔を上げて声が飛んできた方に向けました。母親の目に入ってきたのは、長身の王柔が両腕を肩から回して抱きしめている小柄な少女、先ほどまで自分を「お母さん」と呼んでいたのにこの男の方へと走り去ってしまった少女の姿でした。
「そうだ、お前だ。お前だっ!」
 間に立っていた羽磋から眼を離して、再び理亜の姿をはっきりと目にとめた母親の心の中で、怒りの炎が爆発せんばかりに大きくなりました。やはり、そもそもの母親にとっての怒りの対象は、彼女だったのでした。
 数えることもできない程の長い年月を、ヤルダンの地下空間で過ごしてきた「母を待つ少女」の母親。もはや人の姿も保てずに濃青色の球体となってしまった彼女は、ほとんど考えることを停止して、ただひたすらに、自らの絶望と悲しみを力として、青く輝く呪いの光で地中を流れる川の水を染め続けていました。
 変化などが生じることが無かったその地下世界へ、前触れもなくやってきた懐かしい気配。それは、川を流されてこの地下世界へ落ち込んできた三人の男女のうち、小さな少女が発していたものでした。
 地下世界の奥深くに広がる空間を濃青色の球体となり漂っていた母親は、その気配にブルブルと外殻を震わせて反応しました。そして、少しずつではありましたが、母親としての意識を取り戻し始めたのでした。
 何故なら、その懐かしい気配とは、彼女が自分自身よりも大切に思っていた存在、それにもかかわらず、苦難の旅の末に薬草を持ち帰った自分を待っていてくれなかった存在である、彼女の娘のものだったからでした。
 母親は薬草を持って帰った自分を娘が待っていてくれると信じていましたが、娘は待っていてくれるどころか冷たい砂岩となっていたということに、精霊や世界、それに、娘さえもが自分を裏切ったのだと感じ、自分の行ったことすべてが無意味なことだったのだと絶望しました。それでも、本当のところを言えば、やはり自分の娘は可愛いものです。娘に裏切られたと悲しんだり傷ついたりはしたものの、母親の心の奥底の奥底、母親自身の芯のさらに芯のところでは、娘への愛情を持ち続けていました。
 だから、半ば絶望と悲しみを再生産する精霊のような存在になっていた母親も、その懐かしい気配によって目を覚ましたのです。まるで、眠っていた子供が、母親が作る大好きな料理の香りに誘われて目を覚ますように。
 ヤルダンの地下の入り口部分にある大きな池の淵で目を覚ましたその少女は、地中を流れる川に沿って洞窟を奥に進み、自分のいる地下世界の方へと進んできました。少女が近づいて来るにつれて、娘の気配が増々強く感じられるようになりました。そのためか、母親の意識も段々と人のそれに戻ってきました。
 また、その少女が母親に対して与えた影響はその気配によってだけではありませんでした。洞窟を通り抜けてとうとう地下世界にまでやってきた彼女は、はっきりと口に出して彼女に呼び掛けたのでした。「お母さん」と。それを聞いた母親は、これまでにこの地下世界で感じたことのない感情を覚えるまでになりました。それは、喜びと期待でした。
 「母を待つ少女」の母親は思ったのでした。ひょっとしたら、娘が自分を探しに来たのかもしれないと。もちろん普通に考えれば、遠い昔に砂岩の塊となった娘がいまになって人の姿を取り戻すことなどありえません。でも、母親には、その様に思えたのでした。だって、そうではありませんか。娘のような懐かしい気配を感じさせる小さな少女が、地下世界にある丘の上に登り、空間の奥に向かって、自分を探して「お母さんっ」と呼びかけるのです。その少女が自分の娘でなく他人であると思うことの方が、不自然ではありませんか。
 濃青色の球体となった母親はこれまでに感じたことのない興奮でその外殻を細かく震わせながら、少女が立つ丘の上に近づきました。それなのに、ああ、それなのにです。愛する自分の娘の姿を見られると期待した母親がその場所に認めたのは、鮮やかな赤い髪を持つ少女でした。
 違ったのです。娘に似た気配を持ち、自分のいる地下世界の深部に向かって「お母さん」と呼び掛けていた少女は、自分の娘ではなかったのです。では、その少女は自分ではない誰かを探しているのでしょうか。いいえ、その少女は、母親が濃青色の球体となった姿をさらした後も、彼女に向かって「お母さん」と呼び掛けました。それだけではなく、髪の色の違いを指摘し「別人だろう」と問い詰める母親に対して、「あたしだよ、由だよ」と、娘の名までも語るのでした。
「本当なのか? この子はいったい・・・・・・」
 本当は母親にしてみれば、自分の娘がやってきたと信じたいのです。母親は赤髪の少女が自分に噓を言ったのだと思い激しい怒りをあらわにしていましたが、その心の中に、「ひょっとしたら」と、ほんの少しの迷いが生じました。
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