月の砂漠のかぐや姫

くにん

文字の大きさ
上 下
280 / 353

月の砂漠のかぐや姫 第277話

しおりを挟む
 想像するまでもなく、小さな理亜にとってそれはとても難しいことです。それでも彼女がその場を逃げ出さないで顔を上げ続けているということが、この上もなく大きくて強い思いが彼女の中にある事を表していました。
「お母さんっ!」
 理亜は再び大きな声を出して、刺すような視線で自分を見降ろしている母親に訴えかけました。理亜はこの「母を待つ少女」の昔話の当事者である母親に、つまり、遠い昔に絶望のあまり地面の裂け目に身を投げて、いまでは濃青色の球体となり、その内部では通常の人の何倍もの大きさとなって存在している霊体に、自分のお母さんと呼び掛けているのでした。
 親と生き別れになってしまった子が第一に求めるものとは、親と再び出会うことではないでしょうか。そして、もしも親にもう一度巡り合えたとしたら、再び離ればなれになることがないように、力の限りを尽くすことでしょう。いまの理亜の身体の中にある強い思いとは、まさにこの「やっと会えた母親に自分を認められたい。そして、もう二度と離れたくない」という純粋で揺らぎのない思いなのでした。
 でも、「母親」が言うように、赤い髪を持ち目鼻立ちのくっきりとした理亜の外観は、月の民の女の子のものではありません。「母を待つ少女」の話は月の民に古くから伝わる物語であり娘の髪の色は夜空のような黒色であったと思われますから、二人の外観は全く異なります。それに、そもそも理亜は数年前に月の民から遠く離れた西の国で捕らえられ、奴隷としてこの国に送られてきた女の子です。昔話で謳われるような遠い昔に生きた女の子ではないのです。理亜がこの「母親」の娘であるはずがありませんし、「母親」が彼女の母親であるはずがないのです。
 それでも、理亜は母親に対して叫び続けました。そして、彼女は「理亜」ではない別の名前で、再び母親に向かって名乗るのでした。
「お母さん、わからないノ? アタシ、由(ユウ)ダヨッ!」
 遠い昔に、母親は自分の娘の命を救えなかった悲しみ、それも、単に娘が病気で亡くなったのではなく砂像という異形になってしまったという絶望のために、地面の割れ目に身を投げこの地下世界へ落ちてきました。不思議な力の働きにより濃青色の球体となった母親は、それからの長い時間を、娘を救えなかったどころか呪われた異形へと変えてしまったことを思い出しては、喉を掻きむしりながら血を吐くような叫び声をあげ大粒の涙を地面に落として過ごしてきました。その悲しみと絶望があまりにも強く深いものであったので、それらの念が青く輝く光となって地中を流れる川の水を青色に染め、それを飲んだ者も自らの悲しい体験や恐ろしい記憶を呼び起こされるようになったほどでした。
 娘と一緒に暮らしていた頃は自分の心を温める太陽の光であった「由」という名前は、地下へ落ちた後の母親にとっては、心臓に突き刺さる氷でできた矢になっていました。母親は娘の事を思い出さずにはいられなかったのですが、その度に悲しみが、絶望が、そして娘への申し訳なさが、心を傷つけるのでした。その娘の名を、「由」という大切な名前を、目の前に現れた異国の少女が何度も口にし、自分のことを「お母さん」と呼ぶのです。
 想像もできないほどの長い時間をたった一人で地下で過ごし、もはや人間としての細かな感情の動きを忘れ、半ば「悲しみ」と「絶望」の精霊と化していた「母親」でしたが、火山の口から吹き出る噴火のような激しくも鮮やかな怒りの炎が、急速に体内に湧いてくるのを感じました。鮮烈な怒りがぼんやりとしていた彼女の意識の隅々までを照らし、もう一度動きを取り戻すように告げて回りました。
 「それに」と、母親は思いました。交易路から落下した理亜が川を流され、地下に広がる大空間へと入り込んできたときに、川の流れを下った先に広がる地下世界の中心で母親はそれを感じ取っていました。それはこれまでに感じたことのない感覚で、「何やら暖かいもの」、「好ましい何か」がやってきたと、彼女に告げたのでした。
 それ以来、母親はその何者かが自分のところへやってくるのを待っていました。半ば精霊と化した母親の気持ちは天気の変動のように大きな動きしか見せなくなっていたのですが、彼女が近づいて来るに連れて、明るい気持ちが高まって来ていたのでした。なぜなら、その「何か」が発する好ましい感覚は、自分の娘を思い出させるものだったからでした。母親は細かな感情の動きを無くしていましたから、「ひょっとしたら・・・・・・」と言うように、言語立ててはっきりと意識したわけではありません。でも、その感情の空には、「娘が自分に会いに来てくれたのかもしれない」という期待の雲が浮かんでいました。「そんなことが有り得るはずがない」という、理論建てた考えなどができる状態ではなかったのです。
 「それなのに」と、さらに母親は思いました。ようやく自分のところにやってきた「好ましい」と思った何かは、娘ではありませんでした。確かに、いまでも娘のような何かを感じないではありませんが、目の前にいる少女の赤い髪と異国人の特徴を持つ容貌を見て、その少女が言う「お母さん」という言葉を聞いたとたんに、それは「怒り」という炎に注がれる油でしかなくなってしまいました。
 地下世界を通り抜けて自分のところまでやってきた少女は、「娘かもしれない好ましいもの」ではなくなり、「大事な娘を語る憎いもの」に変わってしまったのでした。
しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

神様、ちょっとチートがすぎませんか?

ななくさ ゆう
ファンタジー
【大きすぎるチートは呪いと紙一重だよっ!】 未熟な神さまの手違いで『常人の“200倍”』の力と魔力を持って産まれてしまった少年パド。 本当は『常人の“2倍”』くらいの力と魔力をもらって転生したはずなのにっ!!  おかげで、産まれたその日に家を壊しかけるわ、謎の『闇』が襲いかかってくるわ、教会に命を狙われるわ、王女様に勇者候補としてスカウトされるわ、もう大変!!  僕は『家族と楽しく平和に暮らせる普通の幸せ』を望んだだけなのに、どうしてこうなるの!?  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇  ――前世で大人になれなかった少年は、新たな世界で幸せを求める。  しかし、『幸せになりたい』という夢をかなえるの難しさを、彼はまだ知らない。  自分自身の幸せを追い求める少年は、やがて世界に幸せをもたらす『勇者』となる――  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 本文中&表紙のイラストはへるにゃー様よりご提供戴いたものです(掲載許可済)。 へるにゃー様のHP:http://syakewokuwaeta.bake-neko.net/ --------------- ※カクヨムとなろうにも投稿しています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました

ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...