272 / 352
月の砂漠のかぐや姫 第269話
しおりを挟む
母親は娘の顔を思い浮かべました。真っ先に浮かんできたのは、彼女が元気にしていた時の笑顔ではなく、彼女が病気になってからずっと見せていた苦しげな表情でした。その娘の顔を思い出したとたんに、母親は急に胸が締め付けられるように感じられ、激しくせき込み出しました。病気の娘を一人で村に残してきたことへの負い目と彼女がいまも生きて自分を待ってくれているかという不安が、彼女の心を槍でザクザクとつくように激しく攻め立て始めたのでした。
母親は涙で地面を濡らしながらも震える手をできるだけそっと伸ばして、風に揺れる薬草の茎に優しく触れました。
「お願いだよ。どうか死なないで、お母さんが帰るのを待っているんだよ」
心の中でそのように強く念じながら母親は薬草を土から引き抜き、その根から丁寧に土を落とすと、ギュッと胸に押し当てました。
ヒュオオオッ・・・・・・。
これまで母親の身体を叩いていた冷たい風とは明らかに異なる空気の流れが、山肌に沿って駆け上がってきました。
母親は万が一にも薬草が吹き飛ばされないようにと、それを両手で胸に押し当てたままで目をつぶりながら身体を丸くしました。
そのため、母親は見ることができなかったのでした。
たったいま急に湧き上った空に向かって昇る風の流れの中に、柔らかな黄白色の風と清らかな白色の風の流れが混ざっていて、その二つの流れが絡まり合いながら高く高く上がっていくところを。そして、その黄白色の風は自らの胸の中から、また、白色の風は胸に押し当てた薬草から生じていたことを。さらには、それらの風が昇っていくその先には、まるで母親の行動を見ているかのように青空の一角で薄ぼんやりと光っている月があったことを。
強風は瞬く間に空へと駆け上がっていきました。身体を丸くして大事な薬草を抱え込み、目を閉じてひたすらに災い除けのまじない言葉を唱えていた母親は、身体に当たる風の勢いが元のものになったことを感じて身を起こしました。
「風が弱くなったこの時を逃しては、天候が悪化して山を下りられなくなるかもしれない」
そのように思った母親は、自分が持ち歩いていた擦り傷だらけの皮袋の一番奥へ薬草を仕舞うが早いか、むき出しの岩肌が目立つ険しい山道を飛ぶように下り始めたのでした。
母親の記憶を追体験している羽磋と王柔。それぞれが母親の目を通して周囲を見ているようでもあり、俯瞰した位置から全体を見下ろしているようでもありました。また、それだけではなくて、母親の意識とは離れてお互いで会話をかわしたりもできました。
この時、王柔は母親の気持ちに感化されて、「娘が病気に負けないで生きて自分を待ってくれているだろうか」という心配と、「一刻も早く薬草を娘に届けなければいけない」という焦燥感を、強く感じていました。同じ感情は羽磋の心の中にも生じていましたが、彼には他に強く気になったものがありました。それは、強風と一緒になって月に向かって巻き上がった黄白色の風と白色の風でした。羽磋には、それらが母親の胸と薬草から流れ出しているように見えました。
「あの風はなんだろう。ひょっとして・・・・・・」
羽磋は自分の心がザワザワッとするのを感じ、皮袋の中から狐の面を取り出そうとしました。大伴から渡された狐の面を被ってその二色の風を見ることで、「風に精霊の力が働いているのかどうか」を確認しようとしたのでした。でも、いま羽磋たちがいるのは濃青色の球体の中。自分の身体があるようでない場所です。彼の手は背に背負っているはずの皮袋を探り当てることはできませんでした。
「ああ、駄目か。狐の面を通してみれば、精霊の力が働いているかどうかわかったのに。でも、しょうがないか。昔話にうたわれるような万病を癒す力を持つ薬草であれば、精霊の力が働いていても当然かもしれないしな」
羽磋はそのように呟いて、自分の心を落ち着かせようとしました。
舞い上がった二色の風が精霊の力の現れであったとしても、彼がつぶやいたように母親がここで見つけたのは非常に不思議な力を持つと昔話でうたわれる薬草でしたから、その薬効が精霊の力によるものと考えれば、舞い上がった風に精霊の力が現れていてもおかしくはないのかもしれません。それに、よくよく考えてみれば疑問を持ち続けても仕方がないのです。これは既に終わった出来事で、彼はそれを追体験しているだけなのですから。疑問を解く手段がない以上、なんとか納得して忘れてしまう以外にできることは無いのです。
それでも、彼の心の奥底には、小さな違和感が残り続けていました。
「あの二色の風、やっぱり精霊の力の現れに思えるけど・・・・・・。それが現れるのが、どうしていまなんだろう。それを煎じて娘さんに飲ませるときなら、腑に落ちるのだけど。それに、どうして母親の胸からも風が月に向かって上がるのだろう。なんだか、それで月が何かを知ろうとしているような気がする。でも、いや・・・・・・」
母親は涙で地面を濡らしながらも震える手をできるだけそっと伸ばして、風に揺れる薬草の茎に優しく触れました。
「お願いだよ。どうか死なないで、お母さんが帰るのを待っているんだよ」
心の中でそのように強く念じながら母親は薬草を土から引き抜き、その根から丁寧に土を落とすと、ギュッと胸に押し当てました。
ヒュオオオッ・・・・・・。
これまで母親の身体を叩いていた冷たい風とは明らかに異なる空気の流れが、山肌に沿って駆け上がってきました。
母親は万が一にも薬草が吹き飛ばされないようにと、それを両手で胸に押し当てたままで目をつぶりながら身体を丸くしました。
そのため、母親は見ることができなかったのでした。
たったいま急に湧き上った空に向かって昇る風の流れの中に、柔らかな黄白色の風と清らかな白色の風の流れが混ざっていて、その二つの流れが絡まり合いながら高く高く上がっていくところを。そして、その黄白色の風は自らの胸の中から、また、白色の風は胸に押し当てた薬草から生じていたことを。さらには、それらの風が昇っていくその先には、まるで母親の行動を見ているかのように青空の一角で薄ぼんやりと光っている月があったことを。
強風は瞬く間に空へと駆け上がっていきました。身体を丸くして大事な薬草を抱え込み、目を閉じてひたすらに災い除けのまじない言葉を唱えていた母親は、身体に当たる風の勢いが元のものになったことを感じて身を起こしました。
「風が弱くなったこの時を逃しては、天候が悪化して山を下りられなくなるかもしれない」
そのように思った母親は、自分が持ち歩いていた擦り傷だらけの皮袋の一番奥へ薬草を仕舞うが早いか、むき出しの岩肌が目立つ険しい山道を飛ぶように下り始めたのでした。
母親の記憶を追体験している羽磋と王柔。それぞれが母親の目を通して周囲を見ているようでもあり、俯瞰した位置から全体を見下ろしているようでもありました。また、それだけではなくて、母親の意識とは離れてお互いで会話をかわしたりもできました。
この時、王柔は母親の気持ちに感化されて、「娘が病気に負けないで生きて自分を待ってくれているだろうか」という心配と、「一刻も早く薬草を娘に届けなければいけない」という焦燥感を、強く感じていました。同じ感情は羽磋の心の中にも生じていましたが、彼には他に強く気になったものがありました。それは、強風と一緒になって月に向かって巻き上がった黄白色の風と白色の風でした。羽磋には、それらが母親の胸と薬草から流れ出しているように見えました。
「あの風はなんだろう。ひょっとして・・・・・・」
羽磋は自分の心がザワザワッとするのを感じ、皮袋の中から狐の面を取り出そうとしました。大伴から渡された狐の面を被ってその二色の風を見ることで、「風に精霊の力が働いているのかどうか」を確認しようとしたのでした。でも、いま羽磋たちがいるのは濃青色の球体の中。自分の身体があるようでない場所です。彼の手は背に背負っているはずの皮袋を探り当てることはできませんでした。
「ああ、駄目か。狐の面を通してみれば、精霊の力が働いているかどうかわかったのに。でも、しょうがないか。昔話にうたわれるような万病を癒す力を持つ薬草であれば、精霊の力が働いていても当然かもしれないしな」
羽磋はそのように呟いて、自分の心を落ち着かせようとしました。
舞い上がった二色の風が精霊の力の現れであったとしても、彼がつぶやいたように母親がここで見つけたのは非常に不思議な力を持つと昔話でうたわれる薬草でしたから、その薬効が精霊の力によるものと考えれば、舞い上がった風に精霊の力が現れていてもおかしくはないのかもしれません。それに、よくよく考えてみれば疑問を持ち続けても仕方がないのです。これは既に終わった出来事で、彼はそれを追体験しているだけなのですから。疑問を解く手段がない以上、なんとか納得して忘れてしまう以外にできることは無いのです。
それでも、彼の心の奥底には、小さな違和感が残り続けていました。
「あの二色の風、やっぱり精霊の力の現れに思えるけど・・・・・・。それが現れるのが、どうしていまなんだろう。それを煎じて娘さんに飲ませるときなら、腑に落ちるのだけど。それに、どうして母親の胸からも風が月に向かって上がるのだろう。なんだか、それで月が何かを知ろうとしているような気がする。でも、いや・・・・・・」
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

のほほん異世界暮らし
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。
それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる