月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第268話

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「お、おお・・・・・・」
 喜びの言葉を叫ぶ母親の視線はしっかりと定まっておらず、長老の顔ではなくてどこか遠くにある別の何かに向かっているようでした。母親のそのような尋常でない様子とその言葉のあまりの勢いに戸惑ってしまった長老は、即座には何も言い返せませんでした。それを了承と捉えたのか、長老にはもう用が無いとばかりに、すぐさま母親は天幕から出て行ってしまいました。後には、長老一人が残されました。彼は、ジンジンと痺れる右腕を左手で押さえながら、顔をしかめていました。
 その後に起こった事として羽磋と王柔が見せられたのは、薬草を探すために村を出た母親が祁連山脈へ向かう道中やその山中で経験した出来事の数々でした。その出来事の中のどれか一つをとっても、彼らにはそれを母親がやり遂げたことがとても信じられなかったほど、それは困難を極めた旅でした。
 羽磋と王柔は濃青色の球体の中で母親の記憶を追体験していました。母親は極寒の山頂に登る時にも危険な獣に追われる時にも、自らの命を心配したことはありませんでした。ただ、「薬草を見つけなければ娘が助からない」ことには、血が凍るような恐怖を覚えていました。それほど娘の事を心配していた母親でしたが、不思議なことに、「自分が旅に出ている間、娘がどうしているか」について彼女が心配していたとは、羽磋にも王柔にも感じられませんでした。
 実は、村の中で娘の看病をしていた時から、あまりにも大きな心配と責任が彼女一人にのしかかっていたために、母親の心は少しずつ潰れていっていたのでした。
 長老から万病に効く薬草の話を聞いた母親は、娘の世話を長老に一方的に頼むと、それを探すために飛び出していきました。もちろん、当の本人にはそのような事への自覚はなく、「娘の命を助けるために薬草を探しに行くのだ」という意識しかなかったのですが、その時には既にずいぶんと押しつぶされて歪な形になっていた母親の心の一番奥底には、「薬草を探しに行くという目的に専念することで、際限なく娘への心配をして心をすり減らすことから逃れることができる」との思いも沈んでいたのでした。
 そのため、一度村を出た母親の意識は槍の先のように真っすぐに「薬草の発見」にのみ向けられ、村に残してきた病気の娘の様子については、ほとんどその表面に浮かんでくることはなかったのでした。そのため、彼女は「あの子はどうしているだろうか」とは思いませんでした。でも、それは娘のことを心配していなかったということではありません。「娘の命を助けるために、一刻も早く薬草を見つける」ということが、彼女の心から離れたことは無かったのですから。
 羽磋と王柔が見て、そして、体験している様々な場面は、それが生じた順番とは関係なく次々と浮かんでは消えることから彼らからは時間の観念が失われていました。それでも、当時の母親と同様に、不安というという鎖が長い時間にわたって心をギリギリと締め付けていることを、彼らもはっきりと感じていました。
その様な苦しく重い時間が続く中で、前触れもなく明るく輝く場面が現れました。その場面全体からは、サァッと鮮やかな光が放たれていました。それと同時に、羽磋と王柔の心の中に喜びと安心がブワッと広がりました。
 とうとう、あの薬草を見つけたのです!
 母親は、苦労と困難に満ちた旅の末に、昔話で語られていた万病を癒す薬草の実物を見つけたのです。羽磋と王柔が感じた喜びと安心は、その時の母親の感情そのものでした。
薬草の元に自分を導いてくれたことに、母親はどれほど月と精霊に感謝をしたことでしょうか。これで、娘の命が助かるのです。たとえその代償に自分の命を求められたとしても、娘の元へ帰って病を癒した後であれば、彼女は喜んでそれを受け入れたことでしょう。
 祁連山脈に連なる山の一つ、夏も決して溶けることのない万年雪を山頂に頂く霊峰のとある場所で、岩陰の間にひっそりと咲いていたその花をみつけた母親は、それを前にして地面に崩れ落ちると、頭を地に付けて激しく泣き出しました。氷を分解して飛ばしたような冷たい風が、高原に点在する低木の枝を揺らしながら、ボロボロに擦り切れた衣服をまとった彼女に吹きつけましたが、彼女は、そして羽磋と王柔は、冷たさなどは全く感じませんでした。胸の中に、ポウッと温かいものが生じていたからでした。それは、今までにはなかったものでした。
「嬉しい、やっと見つけた。やっと、やっと、見つけたよ! そうだ、娘のところに戻らなければ……。急いで戻らないといけない。病気の具合はどうなのだろうか。お母さんを待ってくれているだろうか。待っていておくれよ。きっと、待っていておくれよ……」
 薬草を求める理由としてではなくて、いまの娘の身体の具合のことが母親の頭に浮かんだのは、長老の天幕の中で昔話を聞いたときからこれが初めての事でした。長い間、娘の身体の事を頭から追い出していたのは、やはり、心配をし始めれば切りがなく、それで自分の身体が動かなくなることを無意識の内に恐れていたからかもしれません。何故なら、一度娘の事を心配し始めた母親は、今度はもうそのことしか考えられなくなってしまったからでした。
「ほらっ! お母さんはあの薬草を見つけたよっ! すぐに帰るからねっ! だから、だからっ。病気になんか負けないで、お母さんを待っているんだよ。絶対に、絶対にだよ。死んだりなんかするんじゃないよ。絶対に、絶対に、お母さんが帰るのを待っているんだよ!」

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