月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第266話

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 彼女が祈りを中断した時と言えば、長老に会いに行く時ぐらいしかありませんでした。遊牧民族は代々の知恵を口伝えで後代に託していくのですが、それを一番多く知っている者が長老なのです。長老の前に出た彼女は文字通り地に伏して、この病気を治すにはどうしたら良いか、どうにかして娘の命を助けていただけないかと、涙ながらに尋ね、また、すがるのでした。
 もちろん、長老は村の指導者でもありましたから、母親に問われるまでもなく、この流行り病に対して大変心を痛めており、村の知恵者と相談したり交易路を渡って来た者から情報を得たりして、治療法を探し続けていました。でも、残念ながら長老にも病気を治す良い方法はわからず、その母親が何度やってきても、「栄養のあるものを与えて安静にするように」としか、助言を与えることができないのでした。

「羽磋殿、なんですか、これはっ」
 経験したことが無いほどの強風が吹き抜ける中、王柔は空中でグルグルと回転しながら、同じように風に弄ばれている羽磋に対して大声を上げました。
 自分が見ているたくさんの場面は、どれも濃青色の球体の内部にあるはずがないものです。それに、自分自身が娘を持つ母親になっているように感じるなんて、これまでに考えたことさえありません。さらに言えば、自分たちはいま嵐の中で風に吹き飛ばされているように思えますが、いくら球体が大きいとは言っても、このこと自体がおかしなことです。
 何が、どうして、どのようになっているのか。
 王柔には、わかることが一つもありませんでした。
でも、羽磋には思いついたことがあったのでした。地下の洞窟や大空間の中で経験したこと、そして、そこで見た理亜の様子から、大空間の中で丘の斜面を駆け上がる直前に「ひょっとしたら・・・・・・」というところまで考えが至っていました。その思いつきがあまりにも突拍子のないことであったので、自分でもそれが本当の事だと信じ切れないでいたのですが、ここで見せられたたくさんの場面が自分のその思いつきが正しいものだと示しているように思えたのでした。
 羽磋は一つの大きな決断を下したようなキッとした表情で、王柔に答えました。
「わかりませんか、王柔殿っ!」
「何がですか、羽磋殿っ。僕には、僕には、さっぱりわかりません!」
 王柔は強風に体勢を崩されながらも、水中を泳ぐようにして羽磋の近くへ寄ってきました。明らかにこれも有り得ないことなのですが、夢の中で過ごす時のように、王柔は細かなことは気にならなくなっていました。
「王柔殿!」
 羽磋も王柔の顔の近くに自分の顔を寄せ、強風の立てる音に負けないように大声を出しました。
「これは、母親の記憶ですよ!」
「それはわかります! 確かに母親になってました、僕はっ」
「違います、いや、そうです!」
 自分の考えに興奮しているのか、羽磋の言葉も乱れていました。自分がこれから話すことが普通には信じられないようなことであることは、自分でも良くわかっていたのです。それでも、羽磋はその考えが正しいという内なる声に従って、それをはっきりと声に出しました。
「王柔殿っ。僕たちが見たり感じたりしているのは、母親の記憶です。それも、あの『母を待つ少女』の母親なのですっ」
「ええっ、あの『母を待つ少女』の母親っ! そんなことがあるんですかっ!」
 王柔の目が大きく開かれました。そして、もっと言いたげに彼の口も大きく開かれましたが、それ以上の言葉は出てきませんでした。
 「母を待つ少女」。それは月の民を始めとするゴビに生きる遊牧民族の間で、古くから言い伝えられている昔話です。それがあまりにも有名な昔話であったことから、ヤルダンの中に数多くある奇妙な形をした砂岩のうちの一つが、話の中に出てくる少女のように手を伸ばして誰かを待っているように見えるとして、いつしか「母を待つ少女の奇岩」と呼ばれるようになったほどです。
 どういう不思議な力が働いたのか、その奇岩は動き出した上にサバクオオカミの奇岩を率いて、王花の盗賊団や冒頓たちの護衛隊と戦いを繰り広げています。羽磋や王柔たちも実際にその戦いに巻き込まれていましたし、理亜の身体に起きている不思議の原因ではないかと母を待つ少女の奇岩を目指していましたから、「母を待つ少女」の奇岩がヤルダンにあること自体にはまったく驚きは感じません。
 ただ、それは「昔話にちなんで名づけられた奇岩」だと、王柔は思っていました。あくまでも、奇岩は奇岩であって、昔話は昔話だと。でも、羽磋は言いました。いま自分が感じたり見たりしているのは、母を待つ少女の母親のものだと。それは、つまり……。
 ブゥワ、ゴウウウッ!
「うわっ!」
 その時、急に風の向きが、王柔の顔の正面から吹き付けるように変わりました。大きく目を開いていた彼は、慌ててギュッと目を閉じました。すると、何も見えなくなるはずなのに、彼の心の中には赤茶色のゴビが広がる世界が浮かび上がってきました。またもや、羽磋が言う「母親の記憶」が、王柔の中に流れ込んできたのでした。

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