月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第260話

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 実際には、丘の向こうから聞こえて来た異音の正体を調べるために、王柔たちはぐるりと丘を回り込むように移動をしましたから、その急斜面を登ってはいません。もしも羽磋と王柔が両手両足を使ってそこを登ろうとしていたら、どうなっていたでしょうか。その斜面を登る前に王柔は肩を脱臼していましたから、羽磋が彼の治療をしたとは言っても、やはり相当の苦労をしていたでしょう。ひょっとしたら、苦労をするどころではなくて、無理をした右肩が再び脱臼をしてしまっていたかもしれません。
 でも、斜面を登る前に異音の正体を調べようと彼は丘を回り込むように走っていました。そして、丘の稜線が緩やかになっているところに立ち、それ越しにあの嵐を内包した巨大な濃青色の球体、この地下世界に満ちている青い光の源を見ていました。そのため、王柔にとって幸運なことに、いま勢いよく昇り始めた丘の斜面は始めにぶつかった急斜面よりはずっと勾配が緩やかで、何度も砂岩の起伏に躓きながらではありましたが、彼はそれを駆け上がっていくことができていました。
 一方の羽磋はと言うと、巨大な濃青色の球体が地下世界の空間に浮かぶその異様な光景を前にして、まったく動けなくなっていました。他の球体と同じように透明な外殻を持つその球体の内部では、粘性のある幾つもの雲の筋がグルリグルリと交じり合い複雑な模様を描いています。そして、それに加えて、時折りカッと明るい光さえも放つこともあります。「嵐を内包している」と形容するのがふさわしいこの濃青色の球体ほど不思議なものを、羽磋は今までに見たことはありませんでした。
 羽磋はこの球体に対して身体が痺れるような恐怖を感じていました。もちろん、それはあまりにも異質で強大な力を持つものでしたから、それを見て恐怖心を覚えるのは、自然なことではありました。でも、羽磋が感じていた恐怖心はそれとはまた異なるもので、彼自身の心に刻まれた記憶の底から沸き上がってきていて、それ故に彼の心全体をギュウッと掴んで動けなくしていました。
「なんだよ、それ・・・・・・」
 羽磋は、自分が呆けたようにそう呟いたことにも、まったく気づいていませんでした。
この地下世界や洞窟を流れる川が放つ青い光、それはここに力を及ぼしている精霊の力の現れではないか、と言ったのは羽磋でした。そして、地下世界の奥にはその精霊の力の源があるだろうからそれを目指そう、と提案したのも羽磋でした。
 でも、その羽磋にしても、「それがどこにあるのか」や「どのような姿をしているのか」についての細かな考えがあったわけではありませんでした。ですから、羽磋の口から洩れ出た呟きは、自分の考えが外れていたという驚きから出たものではありませんでした。
 あの濃青色をした球体が発するとてつもない圧力、それにその下部から落下し激しい音を立てながら地面を叩く青い水、さらに、その青い光が周囲に伝播していく様子、それらの全てがこれこそが羽磋が考えていた精霊の力の源である事を示していました。
 確かにその姿はあまりにも巨大で異様なものではありましたが、目的のものが見つからないまま広大な地下世界の中をさ迷い歩くことを考えれば、「やっと見つけた」と喜んでも良かったはずです。では、どうして羽磋は、その濃青色をした球体に心をギュッと掴まれてしまうほどに恐怖心を持ってしまったのでしょうか。
 羽磋にとって、それは無理のないことでありました。彼の目には、その空中を迫って来る球体が内包しているものが、大竜巻、あの月の夜のバダインジャラン砂漠で羽磋と輝夜姫を襲ったハブブに見えていたのですから。
「あれはハブブじゃない、ハブブじゃないんだっ」
 羽磋は危険除けのまじない言葉と共に何度もそう唱えながら、激しく目を擦りました。
確かに濃青色の雲が渦巻いている球体の内部は猛烈な嵐を思い起こさせますし、その下部から雨が激しく落ちている様子からも暴風雨が連想されます。でも、羽磋が球体の内部を見て自分と輝夜姫を襲ったハブブを思い起こしたのは、それだけのせいではありませんでした。
 羽磋が二つを同じもののように感じた大きな理由は、その濃青色をした球体が発する力そのものが、ハブブがバダインジャラン砂漠で示した力と同じく、人間の力を完全に超越したものだということでした。その力は人間が持つ力からあまりにもかけ離れて大きいので、その存在の前では人間一人の存在など有っても無くても変わらないほどでした。あの時も、そう、ハブブに追われて輝夜姫と夜の砂漠を逃げた時も、羽磋は何もできませんでした。自分の命が助かったのは、輝夜姫が月の巫女の力を使ってくれたからでした。
 その上、羽磋は段々と姿を大きくしてきているその球体とハブブには、大きな違いがあることにも気が付いていました。
 あの夜のハブブからは人間とは比較することもできない大いなる力を感じましたが、それ以上のものを感じることはありませんでした。でも、いま地下世界の空間を浮遊している球体から感じるものは、その大いなる力だけではなかったのでした。
 怒り。それも、触れたものを燃え上がらせるような激しい怒り。
 絶望。それも、永遠に落下し続けるような底知れぬ絶望。
 濃青色をした球体はそのような大きな負のエネルギーを、ピカッピカアッと周囲に振りまきながらこちらに近づいて来ていると、羽磋は感じ取っていたのでした。
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