255 / 346
月の砂漠のかぐや姫 第252話
しおりを挟む
地下世界の床土で汚れた王柔の顔は、柔らかな表情をしていました。その顔を見た羽磋はサッと手を引きました。
王柔は自分に色々と判断を任せてくれているのですが、そもそも王柔の方が年長者なのです。それに、ここは地下世界という常識とはかけ離れた世界ではありますが、ヤルダンの地下に広がっている世界です。荒れ果てたヤルダンで交易隊の先導をすることが王柔の仕事でしたから、王柔のヤルダンに関する知識はゴビで遊牧をした経験しかない自分とは比べ物にならないはずです。心身共に疲れ切ったこの状況ですから、乱暴に自分の手を払いのけて大声で怒鳴りつけても良いところを、王柔は穏やかな調子を崩さずに話してくれています。こんなことに時間を割かずに少しでも早く理亜の所に行きたいと思っているだろうにです。
羽磋は自分の行動を調子に乗った恥ずかしいものだったと思いました。
「すみません、王柔殿。差し出がましいことを申しました。王柔殿の方がこのようなところを歩くのにずっと慣れていらっしゃるし、そもそも年長の方なのに。大変失礼をいたしました」
「いえいえ、そんな。謝られることなどは全くないです。僕は身体が完全に動かなくなる前に水を飲んだ方がいいと、単に経験からお話しただけですよ。さぁ、理亜のことも気になります。羽磋殿もまだ水を残してますよね。ここでそれを飲んで、早く理亜のところへ行きましょう」
深々と頭を下げる羽磋を見て、王柔の方が戸惑ってしまいました。彼にとっては、年下の羽磋が自分を引っ張ってくれていることに感謝こそすれ不快に思うことなどはありませんし、水のことも自分のことを心配して言ってくれていることがわかっていましたから、怒る理由はなかったからでした。
「羽磋殿は本当にまじめな方だな」
王柔はしみじみとそう思わずにいられなかったのですが、それ以上に考えを進めることはありませんでした。羽磋がここで最後の水を飲むことに賛成してくれれば、それで十分なのです。少しでも早く理亜の所へ行ってあげたいのですから。
王柔は水袋の口を右手で持つと、力なくだらりと下がった袋の部分を左手でつまんで上へ伸ばしました。水袋はほとんど空になってしまっていたので、そうしないと僅かに残った水が袋から出てこなかったのでした。
王柔の口がずいぶんと久しぶりに水を含みました。グイっと一息に飲み込みたいところですが、王柔はそれを我慢して口の中全体に貴重な水を行き巡らせました。乾燥して歯に貼り付くようになっていた頬の内側が、直ぐに柔らかさを取り戻しました。口の奥に刺すような痛みが生じていたのですが、まだ水を飲み込む前からその痛みは消えてしまいました。
それは、オアシスで湧き出る新鮮な水でもなければ、岩の間から漏れ出る冷たい雪解け水でもありません。でも、王柔はこれほど甘くて美味しい水を舌の上に乗せたことは無いと、確信しました。
口の中が潤いを取り戻したところで、王柔はゆっくりと水を飲み込みました。もちろん、一度に飲み込むなんて、そんなもったいないことはしません。
ゴクン・・・・・・、ゴクン・・・・・・、ゴクン・・・・・・。
少しずつ、少しずつ。
自分が飲み込んだ水が喉を通り胃に落ちていく様を、王柔ははっきりと感じ取ることができました。まるで強いお酒であるアルヒを飲んだかのように、空っぽの胃がガッと熱くなりました。そこで生まれた熱が力となり、じわじわと手や足の先の方に伝わっていく様子も、しっかりと感じられました。王柔が飲み込んだ水の量はほんの数口で、とても十分な量とは言えないものでしたが、彼の身体は、手は、足は、水分が補給されたことをしっかりと感じ取り、ブルブルっと震えました。
「ああ、もっと飲みたい。いや、少しでも良いんだ。あと、ほんの少しでも・・・・・・」
王柔は体全体からの強い求めのままに、袋を持っている左手をさらに上げました。でも、それで水袋の口から彼の口の中に落ちてきた水は、ほんの数滴だけでした。
王柔がその最後の数滴でじっくりと口の中を湿らせながら羽磋の方を見ると、彼も自分と同じように水袋を顔の上に持ち上げて、少しの水も残すまいとしていました。
ふと、王柔と羽磋の目が合いました。二人は何も言わないまま、頷き合いました。
もうこれで、水は無くなってしまいました。でも、これがいまできる最善のことだと、二人の考えは一致していたのでした。
二人は水袋を持ち歩いていた皮袋の中に戻すと、手足を軽く振りました。痺れのようなものは感じられませんでした。ゆっくりと立ち上がりました。ふらつきは感じられませんでした。完全に消耗し切ってからではなく、身体が限界を訴え始めたいま最後の水を飲もうという王柔の考えが功を奏したのでしょうか。口にできたのはほんの僅かな量の水でしたが、どうやらそれが、彼らの身体を再び動くようにしてくれたようでした。
王柔は自分に色々と判断を任せてくれているのですが、そもそも王柔の方が年長者なのです。それに、ここは地下世界という常識とはかけ離れた世界ではありますが、ヤルダンの地下に広がっている世界です。荒れ果てたヤルダンで交易隊の先導をすることが王柔の仕事でしたから、王柔のヤルダンに関する知識はゴビで遊牧をした経験しかない自分とは比べ物にならないはずです。心身共に疲れ切ったこの状況ですから、乱暴に自分の手を払いのけて大声で怒鳴りつけても良いところを、王柔は穏やかな調子を崩さずに話してくれています。こんなことに時間を割かずに少しでも早く理亜の所に行きたいと思っているだろうにです。
羽磋は自分の行動を調子に乗った恥ずかしいものだったと思いました。
「すみません、王柔殿。差し出がましいことを申しました。王柔殿の方がこのようなところを歩くのにずっと慣れていらっしゃるし、そもそも年長の方なのに。大変失礼をいたしました」
「いえいえ、そんな。謝られることなどは全くないです。僕は身体が完全に動かなくなる前に水を飲んだ方がいいと、単に経験からお話しただけですよ。さぁ、理亜のことも気になります。羽磋殿もまだ水を残してますよね。ここでそれを飲んで、早く理亜のところへ行きましょう」
深々と頭を下げる羽磋を見て、王柔の方が戸惑ってしまいました。彼にとっては、年下の羽磋が自分を引っ張ってくれていることに感謝こそすれ不快に思うことなどはありませんし、水のことも自分のことを心配して言ってくれていることがわかっていましたから、怒る理由はなかったからでした。
「羽磋殿は本当にまじめな方だな」
王柔はしみじみとそう思わずにいられなかったのですが、それ以上に考えを進めることはありませんでした。羽磋がここで最後の水を飲むことに賛成してくれれば、それで十分なのです。少しでも早く理亜の所へ行ってあげたいのですから。
王柔は水袋の口を右手で持つと、力なくだらりと下がった袋の部分を左手でつまんで上へ伸ばしました。水袋はほとんど空になってしまっていたので、そうしないと僅かに残った水が袋から出てこなかったのでした。
王柔の口がずいぶんと久しぶりに水を含みました。グイっと一息に飲み込みたいところですが、王柔はそれを我慢して口の中全体に貴重な水を行き巡らせました。乾燥して歯に貼り付くようになっていた頬の内側が、直ぐに柔らかさを取り戻しました。口の奥に刺すような痛みが生じていたのですが、まだ水を飲み込む前からその痛みは消えてしまいました。
それは、オアシスで湧き出る新鮮な水でもなければ、岩の間から漏れ出る冷たい雪解け水でもありません。でも、王柔はこれほど甘くて美味しい水を舌の上に乗せたことは無いと、確信しました。
口の中が潤いを取り戻したところで、王柔はゆっくりと水を飲み込みました。もちろん、一度に飲み込むなんて、そんなもったいないことはしません。
ゴクン・・・・・・、ゴクン・・・・・・、ゴクン・・・・・・。
少しずつ、少しずつ。
自分が飲み込んだ水が喉を通り胃に落ちていく様を、王柔ははっきりと感じ取ることができました。まるで強いお酒であるアルヒを飲んだかのように、空っぽの胃がガッと熱くなりました。そこで生まれた熱が力となり、じわじわと手や足の先の方に伝わっていく様子も、しっかりと感じられました。王柔が飲み込んだ水の量はほんの数口で、とても十分な量とは言えないものでしたが、彼の身体は、手は、足は、水分が補給されたことをしっかりと感じ取り、ブルブルっと震えました。
「ああ、もっと飲みたい。いや、少しでも良いんだ。あと、ほんの少しでも・・・・・・」
王柔は体全体からの強い求めのままに、袋を持っている左手をさらに上げました。でも、それで水袋の口から彼の口の中に落ちてきた水は、ほんの数滴だけでした。
王柔がその最後の数滴でじっくりと口の中を湿らせながら羽磋の方を見ると、彼も自分と同じように水袋を顔の上に持ち上げて、少しの水も残すまいとしていました。
ふと、王柔と羽磋の目が合いました。二人は何も言わないまま、頷き合いました。
もうこれで、水は無くなってしまいました。でも、これがいまできる最善のことだと、二人の考えは一致していたのでした。
二人は水袋を持ち歩いていた皮袋の中に戻すと、手足を軽く振りました。痺れのようなものは感じられませんでした。ゆっくりと立ち上がりました。ふらつきは感じられませんでした。完全に消耗し切ってからではなく、身体が限界を訴え始めたいま最後の水を飲もうという王柔の考えが功を奏したのでしょうか。口にできたのはほんの僅かな量の水でしたが、どうやらそれが、彼らの身体を再び動くようにしてくれたようでした。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
豪華地下室チートで異世界救済!〜僕の地下室がみんなの憩いの場になるまで〜
自来也
ファンタジー
カクヨム、なろうで150万PV達成!
理想の家の完成を目前に異世界に転移してしまったごく普通のサラリーマンの翔(しょう)。転移先で手にしたスキルは、なんと「地下室作成」!? 戦闘スキルでも、魔法の才能でもないただの「地下室作り」
これが翔の望んだ力だった。
スキルが成長するにつれて移動可能、豪華な浴室、ナイトプール、釣り堀、ゴーカート、ゲーセンなどなどあらゆる物の配置が可能に!?
ある時は瀕死の冒険者を助け、ある時は獣人を招待し、翔の理想の地下室はいつのまにか隠れた憩いの場になっていく。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しております。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ヤンデレの妹がマジで俺に懐きすぎてだるい。
クロエ マトエ
青春
俺の名前は 高城アユ これでも男だ。
親父の、高城産業2代目社長高城幸久は65歳で亡くなった。そして俺高城アユがその後を
継ぎ親父の遺産を全て貰う!!
金額で言うなら1500億くらいか。
全部俺の物になるはずだった……。
だけど、親父は金以外のモノも残していった
それは妹だ
最悪な事に見た事無い妹が居た。
更に最悪なのが
妹は極度のヤンデレだ。
そんな、ヤンデレな妹と生活をしなくちゃ
いけない俺の愚痴を聞いてくれ!!
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる