月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第225話

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「ああっ、痛っ」
 王柔は悲鳴のような高い声を上げました。駱駝を大人しくさせるために手綱を引っ張っていたのですが、その綱に急に強い力が加わったので指が千切られそうになったのです。反射的に手を開いて綱を離した王柔の元から、駱駝が走って逃げだしました。
 グフェェッ!
 駱駝は大きな声を上げながら、たまたま自分が向いていた方向である洞窟の奥の方へと走っていきました。
 羽磋も王柔も直ぐに駱駝を追いかけようとしました。もちろん駱駝が大事な財産であるのは言うまでもありませんが、自分たちが連れていた家畜が大声を上げて逃げ出してしまったら、まずはそれを捕まえようとするのが普通ではありませんか。
 ただ、駱駝が本気で走る速さは、人間が走る速さとは比べ物になりません。羽磋と王柔が数歩走り出した時には、もう既に駱駝の姿は暗闇の中にぼうっと浮かぶように光っている青い塊の中に飲み込まれていました。
 駱駝は何かで興奮したことで走り出してしまったようですし、ひょっとしたらそれが治まって案外近いところで立ち止まっているかもしれません。でも、羽磋と王柔とが二人して洞窟の奥の方へ走っていけば、理亜をこの場所へ一人で残しておくことになります。かといって、この先がどうなっているのか全く分からない中で、羽磋か王柔かのどちらか一人だけが駱駝を探しに先行することもはばかられます。この洞窟の中では、できるだけバラバラにはなりたくないのです。
「すみません、羽磋殿」
 王柔はがっくりと肩を落として羽磋に謝りました。彼の身体全体から「申し訳ない」という想いが羽磋に伝わってきました。
 羽磋の方では、まだどういう経緯があったのかはっきりと理解できていませんでしたが、何があったにせよ王柔が意図して悪いことをしたとは考えられないので、彼を責めるようなことはありませんでした。
「いや、謝ることはなにもないですよ、王柔殿」
「でも、羽磋殿。大事な駱駝を逃がしてしまって、本当に申し訳ないです」
 駱駝を追いかけて走ったところから理亜がいる所へ戻りながら二人は話をしていましたが、その足取りは重いものでした。
 そこへ、理亜の大きな声が飛んできました。
「ねぇっ。後ろダヨッ。戻って来るヨ!」
「えっ、ええっ」
 羽磋と王柔は、慌てて後ろを振り返りました。先ほど興奮した駱駝が王柔の制止を振り切って走っていった洞窟の先の方をです。やっぱりこの非常に異質な空間の中で一頭でいるというのは、駱駝も不安になってしまうのでしょうか。それで、主人たちの元に戻ってきたのでしょうか。
 でも、二人の目に見えるものと言えば、洞窟の闇の中を青い一本道の様に続いていく川の流れと、その先の方で一塊になって浮かんでいるように見える青い光の球だけでした。
「気を使ってくれるのは嬉しいけど、ねぇ理亜、残念だけど駱駝は戻ってきていないよ」
「違うよ、ほら、聞こえるヨ、駱駝の声。コワいヨ、�コワいヨって」
 理亜が自分を慰めようと言ってくれたのかと思った王柔が、逃げた駱駝が戻ってきてはいないことを理亜に説明しましたが、理亜は駱駝が戻って来ると言い張りました。理亜がこのようにはっきりと自分の考えを主張し続けるのは珍しいことなので、王柔と羽磋は顔を見合わせました。自分たちの見えない物か聞こえない物が、理亜にはわかっているのでしょうか。どちらからともなく、二人は行き先の方にもう一度注意を向けるのでした。
「やっぱり、なにもいませんよね、羽磋殿。理亜が気を使って言ってくれただけですね。気持ちは嬉しいのですが、なんだかすみません」
「ええ、そうですよね。ん・・・・・・、いや、どうでしょう、何か聞こえませんか、王柔殿」
 再度、洞窟の先の方を見やった二人ですが、やはり駱駝が戻って来る姿は見えません。でも、あきらめてしまおうとしたその時、羽磋の耳に小さな鳴き声が聞こえてきたのでした。
「何か聞こえます。聞こえますよ、王柔殿」
 足元を流れる川が立てるザワザワとした音の中からその鳴き声を拾おうと、羽磋は自分の耳の横に手を当てました。でも、その鳴き声の主は、ものすごい勢いでこちらに近づいて来ているのでしょう。砂兎の耳のように手を広げた羽磋だけでなく、何もせずに立っている王柔にも十分聞き取れるほどに、その鳴き声は大きくなっていました。
「本当ですねっ。聞こえます。これは、あの駱駝の鳴き声だっ」
 ンヘェ・・・・・・。グベェ・・・・・・。ブボウッ。
 段々と大きくなるその鳴き声は、先ほど洞窟の奥の方へ消えていった駱駝が上げていたものでした。どうやら理亜の言うとおり、一度は興奮して逃げ出したものの、主人の元へ戻ってきているのです。
「良かった、良かったぁ」
 大事な駱駝を逃がしてしまったことに酷く落ち込んでいた王柔は、駱駝が戻ってきてくれていることで心の底から安堵しました。彼の目にはうっすらと涙が浮かんでいました。でも、その王柔の緩んだ気持ちを羽磋の厳しい声が打ちました。
「王柔殿、おかしいですっ。気を抜かないでくださいっ」
 羽磋の言うとおりでした。興奮して逃げだした駱駝が落ち着きを取り戻して帰って来ているのなら、こんな逃げ出した時と同じ鳴き声を立てるはずはないのでした。
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