月の砂漠のかぐや姫

くにん

文字の大きさ
上 下
202 / 352

月の砂漠のかぐや姫 第200話

しおりを挟む
 この王柔の言葉の中で、羽磋の耳に引っかかるものがありました。「理亜がヤルダンから一人で村にまで来た」と王柔は言いました。これはひょとしたら以前にも聞いていたことかもしれませんが、羽磋は気には留めていませんでした。でも、実際にヤルダンへ旅をしている今は、そこにも不思議があることに気が付いたのでした。
「王柔殿、理亜がヤルダンから一人で村に来たとおっしゃいましたか」
「ええ、そうです。寒山という人が率いる交易隊が西から東へヤルダンを渡るときに、僕は案内人を務めていました。理亜はその交易隊が連れていた奴隷だったんです。あ、今はもう理亜は自由になっていますよ。寒山殿が、理亜が風粟の病に罹ったと思って、ヤルダンの中に置き去りにしていったんですから。ああ、そう言えば、理亜が置き去りにされた場所は、今僕たちが目指している母を待つ少女の奇岩が立つ場所の近くでしたね」
「王柔殿、それも不思議ですよっ。僕たちは土光村を出てからずいぶんと進んでいるのですが、まだヤルダンにはついていないじゃないですか。理亜はそのヤルダンの中に置き去りにされたのに、歩いて土光村までたどり着いたんですか」
「ああっ。言われてみれば、確かにそうですねっ」
 王柔が土光村の入り口に立っていて村に向かって歩いてくる理亜の姿を目にしたときには、再び彼女と会えた喜びと驚きによって、一瞬で心がいっぱいになってしまいました。さらに、そのすぐ後には、自分の身体を理亜がすり抜けてしまった、そして、夜が来て忽然と消えてしまった、という恐ろしい出来事が続いて、彼は気を失ってしまいました。
 意識を取り戻して以降、理亜の身体に起きている不思議なことをなんとかしてやりたいと王柔は色々と頭を働かすことになるのですが、どうしても自分の目の前で起こった不思議なことに目が行ってしまって、理亜が遠いヤルダンの内部から一人で村に辿り着いたという不思議にまでは、注意を向けられていなかったのでした。
「そう考えてみると、理亜に起きている不思議は、ヤルダンの中で始まったのかもしれませんね」
 ヤルダンが精霊の力の強いとても不思議な場所であることは、月の民の遊牧民であれば長老や旅人の話などで必ず聞いたことがあると言えるほど、有名な話でした。ましてや、羽磋たちはこれまで、そのヤルダンから溢れ出た動く砂岩たちと戦ってきたのです。そこに自分たちが理解できない不思議な力が働いていることには、何の疑問も持っていませんでした。
 羽磋は自分が背にしている皮袋に入っているもののことを考えていました。それは、文字通り羽磋が肌身離さず持ち歩いている皮袋で、交易路から落下して川を流された後でも、彼の背にしっかりと掛かっていました。その中に入っているものは、どれも羽磋にとってとても大事なものでした。
 羽磋は改めて王柔の様子を観察しました。
 ヤルダンを渡る交易隊の案内人の証である赤い頭布を巻いた背の高い若者。あまり筋肉がついておらずひょろっとした細い身体の上には、面長で優しい顔立ちの頭が乗っています。彼はいつも自信がなさそうにしていますし、口に出す言葉の端々にもそれが現れています。でも、羽磋が見ている限り、自分の仕事はしっかりとこなしているようですし、特に理亜のことでは目上の者に対しても言うべきことを言えています。自分が大事と思うことに対しては、自分の弱い心を乗り越えて、行動ができているのです。
「気弱で自信が持てていない人かもしれないが、優しい人だ。それに、大事なことはしっかりと守れる人だ」
 それが、羽磋の感じた王柔の人となりでした。
「この人なら、大丈夫だろう」
 羽磋はその様に考えて、皮袋を背中から降ろして足元に置くとその口を開きました。
「あれ、どうされました。羽磋殿」
 王柔のその問いには答えずに羽磋が袋から取り出したものは、兎の顔を模した木の面でした。それは、讃岐村を出る際に父である大伴から譲り受けたものでした。兎の面の内側には幾つもの名前が刻まれており、その最も新しいものは、大伴が小刀で刻んだ「羽磋」でした。現在の持ち主が新しい持ち主の名を刻んで継承するこれは、月の民の中でも、主に月の巫女に関する祭祀を司る一族である秋田に限って、伝わっているものでした。
 この面の羽磋の前の所有者は大伴でしたが、その前の所有者は讃岐村の翁と呼ばれる造麻呂でした。造麻呂と大伴とは、大伴が青海に潜む龍の球を取る旅に出たときに造麻呂が手助けをしたという仲でした。ですから造麻呂は、烏達渓谷での戦いで弱竹姫が月の巫女の力を使った祭祀に直接かかわった秋田ではありません。でも、自らが手助けをした結果があの悲劇につながったことに間違いはなく、大伴を深く悲しませることになってしまったと、深く後悔をしていました。
 そのため、大伴から、弱竹姫を月に還らせるために月の巫女の秘儀を調べたい、もう月の巫女の悲劇を繰り返したくない、との思いを聞かされた時に、秋田として自分が持っている知識と共にこの面を彼に授けたのでした。
 大伴と共に月の巫女を月に還らせる活動を始め、新たな月の巫女が地上に誕生することに注意を払っていた造麻呂、すなわち、讃岐村の翁が、感じ取った兆しを基に聖域である竹林で拾った赤子が竹姫、すなわち、輝夜姫でした。
しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました

ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

処理中です...