195 / 345
月の砂漠のかぐや姫 第193話
しおりを挟む
「はあっ、はあっ、ああ、ああ・・・・・・」
息せききって砂丘を駆けあがってきたせいで、その頂点に立った時には、羽磋の胸は破裂しそうに傷んでいて、彼はオアシスを見下ろしたままで動けなくなってしまいました。座り込んでしまいたいという身体からの欲求を押さえるのが精いっぱいで、とても、この砂丘を一気に駆け降りることはできません。
「早く、あのオアシスに行きたい。そして、あの人に会いたいのに・・・・・・」
羽磋は背中を大きく上下させて荒い息をしながらも、どうにか座り込みはせずに、遠目でオアシスを見下ろしました。すると、羽磋の視界の中で小さな人影が動きました。離れたところから眺める羽磋には黒い小さな影としてしか判別できないそれは、オアシスの水辺で何かをしているようでした。
遮るものが何もない砂漠の中で、小さな砂丘の頂に立つ羽磋。その頬にオアシスの上を通り抜けた風がふわりと当たりました。その風は、涼気と共に歌声も運んできてくれました。先ほどまでよりもはっきりと聞こえるそれは、優しく軽やかに響く少女の声でした。
「どうか その静かな心。どうか その清らかな魂・・・・・・」
やっぱりそうだっ、というしびれる思いが、羽磋の頭から足へと駆け抜けました。ぶるぶるぶるっ。風に乗って運ばれてきた少女の声が、疲れた羽磋の身体に活力を与えてくれたようでした。
羽磋は、再び駆けだしました。オアシスに向かって。砂丘の斜面を。足を取る柔らかな砂の下り坂を。早く早くという強い思いが、彼の背中を押し続けます。足よりも上体の方がどんどんと前方へと傾斜します。身体よりも心が先走っているのです。
「うわっ」
羽磋は、砂丘の下り斜面に頭から倒れ込みました。身体についていたた勢いは止まらず、砂粒を弾き飛ばしゴロンゴロンと回転しながら、斜面を転がり落ちていきます。それは、身体が軽いことで周囲から「羽」と呼ばれていた彼の日頃を知る者がこの場に居たらとても信じられないような、不格好な転倒でした。
小さな砂丘の斜面を砂だらけになりながら転がり落ちた羽磋は、ベッと口の中に入った砂を吐き出すと、身体についた砂はそのままにして立ち上がるやいなや、またオアシスに向かって駆けだしました。その間もずっと、砂漠には少女の歌う唄が流れ続けていました。
月から来て水と一つになった貴方
同じく月から来た兄弟があいさつを送る
どうか その静かな心
どうか その清らかな魂 に免じ
あなたの兄弟に 恵みを分け与えてください
月から来て水と一つとなった貴方
羊や牛を追うことを選んだ兄弟が感謝の唄を捧げる
月から来て水と一つになった貴方
同じく月から来た兄弟があいさつを送る
どうか その静かな心
どうか その清らかな魂 に免じ
あなたの兄弟に 恵みを分け与えてください
月から来て水と一つとなった貴方
羊や牛を追うことを選んだ兄弟が感謝の唄を捧げる
「・・・・・・や、輝夜っ!」
羽磋の口から、あの少女の名が叫ばれました。
彼の耳に届くこの唄は、彼ら貴霜(クシャン)族が水汲みの際に精霊に捧げる感謝の唄。そして、聞き覚えのある優しいこの声は、彼が輝夜という名を贈った、讃岐村の貴霜族の月の巫女、竹姫のものに違いありませんでした。
竹姫、いいえ、羽磋が贈った輝夜という名で呼ぶことにしましょう、輝夜姫の乳兄弟として育ち、彼女のことを心から大切に思うようになった羽磋が、その声を聴き間違えるはずなどないのです。
「輝夜、輝夜っ。ごめん、ごめんよっ」
羽磋は、オアシスに向って走りながら、自分の想いを叫んでいました。それは、あの宿営地を出たときからずっと、輝夜姫に伝えたい言葉として羽磋の心の中に存在し続けてきた言葉でした。本当はオアシスに辿り着いてから、彼女に面と向かって伝えるべき言葉なのでしょうが、もうその言葉が胸の中から出て行こうとするのを、羽磋にはどうにも抑えることができなかったのでした
御門の目を欺くため直ぐに出発しろという大伴の指示に従って、羽磋は放牧の見回りから直接この旅に出てしまいました。でも、本当は一度宿営地に戻って、輝夜姫に謝りたかったのです。あんなひどい事を言うつもりはなかったんだって。自分が心を込めて贈った名前、二人だけの秘密を輝夜姫が忘れてしまっていて、それが寂しくて辛くて、つい、意地悪を言ってしまっただけなんだって。だけど、大伴から話を聞いて、それは輝夜姫が自分を守るために月の巫女の力を使ったからだとわかった。いや、たとえ、そうでなかったとしても、今でも自分の思いは変わらない。自分の夢は、輝夜姫とずっと一緒にいて、この広い世界を見て回ることだって。自分は、輝夜姫のことを心から・・・・・・。
「輝夜ぁーっ!」
オアシスの人影に向かって、羽磋は一際大きく叫びました。
すると、その声の響きがオアシスにまで届いたのか、繰り返し歌われていた水汲みの感謝の唄がピタリと止みました。そうです、きっと、羽磋の声が、唄を歌っていた少女の耳に届いたに違いありません。
一方で、あまりに力を込めて叫びすぎたせいか、羽磋は体勢を崩して、またもや勢いよく顔から砂の上に滑り込んでしまいました。
息せききって砂丘を駆けあがってきたせいで、その頂点に立った時には、羽磋の胸は破裂しそうに傷んでいて、彼はオアシスを見下ろしたままで動けなくなってしまいました。座り込んでしまいたいという身体からの欲求を押さえるのが精いっぱいで、とても、この砂丘を一気に駆け降りることはできません。
「早く、あのオアシスに行きたい。そして、あの人に会いたいのに・・・・・・」
羽磋は背中を大きく上下させて荒い息をしながらも、どうにか座り込みはせずに、遠目でオアシスを見下ろしました。すると、羽磋の視界の中で小さな人影が動きました。離れたところから眺める羽磋には黒い小さな影としてしか判別できないそれは、オアシスの水辺で何かをしているようでした。
遮るものが何もない砂漠の中で、小さな砂丘の頂に立つ羽磋。その頬にオアシスの上を通り抜けた風がふわりと当たりました。その風は、涼気と共に歌声も運んできてくれました。先ほどまでよりもはっきりと聞こえるそれは、優しく軽やかに響く少女の声でした。
「どうか その静かな心。どうか その清らかな魂・・・・・・」
やっぱりそうだっ、というしびれる思いが、羽磋の頭から足へと駆け抜けました。ぶるぶるぶるっ。風に乗って運ばれてきた少女の声が、疲れた羽磋の身体に活力を与えてくれたようでした。
羽磋は、再び駆けだしました。オアシスに向かって。砂丘の斜面を。足を取る柔らかな砂の下り坂を。早く早くという強い思いが、彼の背中を押し続けます。足よりも上体の方がどんどんと前方へと傾斜します。身体よりも心が先走っているのです。
「うわっ」
羽磋は、砂丘の下り斜面に頭から倒れ込みました。身体についていたた勢いは止まらず、砂粒を弾き飛ばしゴロンゴロンと回転しながら、斜面を転がり落ちていきます。それは、身体が軽いことで周囲から「羽」と呼ばれていた彼の日頃を知る者がこの場に居たらとても信じられないような、不格好な転倒でした。
小さな砂丘の斜面を砂だらけになりながら転がり落ちた羽磋は、ベッと口の中に入った砂を吐き出すと、身体についた砂はそのままにして立ち上がるやいなや、またオアシスに向かって駆けだしました。その間もずっと、砂漠には少女の歌う唄が流れ続けていました。
月から来て水と一つになった貴方
同じく月から来た兄弟があいさつを送る
どうか その静かな心
どうか その清らかな魂 に免じ
あなたの兄弟に 恵みを分け与えてください
月から来て水と一つとなった貴方
羊や牛を追うことを選んだ兄弟が感謝の唄を捧げる
月から来て水と一つになった貴方
同じく月から来た兄弟があいさつを送る
どうか その静かな心
どうか その清らかな魂 に免じ
あなたの兄弟に 恵みを分け与えてください
月から来て水と一つとなった貴方
羊や牛を追うことを選んだ兄弟が感謝の唄を捧げる
「・・・・・・や、輝夜っ!」
羽磋の口から、あの少女の名が叫ばれました。
彼の耳に届くこの唄は、彼ら貴霜(クシャン)族が水汲みの際に精霊に捧げる感謝の唄。そして、聞き覚えのある優しいこの声は、彼が輝夜という名を贈った、讃岐村の貴霜族の月の巫女、竹姫のものに違いありませんでした。
竹姫、いいえ、羽磋が贈った輝夜という名で呼ぶことにしましょう、輝夜姫の乳兄弟として育ち、彼女のことを心から大切に思うようになった羽磋が、その声を聴き間違えるはずなどないのです。
「輝夜、輝夜っ。ごめん、ごめんよっ」
羽磋は、オアシスに向って走りながら、自分の想いを叫んでいました。それは、あの宿営地を出たときからずっと、輝夜姫に伝えたい言葉として羽磋の心の中に存在し続けてきた言葉でした。本当はオアシスに辿り着いてから、彼女に面と向かって伝えるべき言葉なのでしょうが、もうその言葉が胸の中から出て行こうとするのを、羽磋にはどうにも抑えることができなかったのでした
御門の目を欺くため直ぐに出発しろという大伴の指示に従って、羽磋は放牧の見回りから直接この旅に出てしまいました。でも、本当は一度宿営地に戻って、輝夜姫に謝りたかったのです。あんなひどい事を言うつもりはなかったんだって。自分が心を込めて贈った名前、二人だけの秘密を輝夜姫が忘れてしまっていて、それが寂しくて辛くて、つい、意地悪を言ってしまっただけなんだって。だけど、大伴から話を聞いて、それは輝夜姫が自分を守るために月の巫女の力を使ったからだとわかった。いや、たとえ、そうでなかったとしても、今でも自分の思いは変わらない。自分の夢は、輝夜姫とずっと一緒にいて、この広い世界を見て回ることだって。自分は、輝夜姫のことを心から・・・・・・。
「輝夜ぁーっ!」
オアシスの人影に向かって、羽磋は一際大きく叫びました。
すると、その声の響きがオアシスにまで届いたのか、繰り返し歌われていた水汲みの感謝の唄がピタリと止みました。そうです、きっと、羽磋の声が、唄を歌っていた少女の耳に届いたに違いありません。
一方で、あまりに力を込めて叫びすぎたせいか、羽磋は体勢を崩して、またもや勢いよく顔から砂の上に滑り込んでしまいました。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
ファンタスティック・ノイズ
O.T.I
ファンタジー
自称、どこにでもいる高校生のユウキは、通学中に『妖精』を目撃する。
同じく『妖精』を目撃した幼馴染のスミカと、もう一人の幼馴染でオカルトマニアのレンヤと共に、不思議な体験の謎を解明しようと調査に乗り出した。
その謎の中心には『千現神社』の存在。
調査を進めるうちに三人は更なる不思議な体験をすることになる。
『千の現が交わる場所』で三人が見たものとは。
そして、調査を進めるうちに大きな事件に巻き込まれるユウキたち。
一夏の冒険譚の幕が上がる。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる