月の砂漠のかぐや姫

くにん

文字の大きさ
上 下
192 / 343

月の砂漠のかぐや姫 第190話

しおりを挟む
「王柔殿、早く、理亜を駱駝の背に」
駱駝の首「そうだ、理亜は、理亜はどこに。羽磋殿、理亜は!」
「王柔殿、理亜は貴方の後ろにいます。うわっ、あれはなんだっ」
 ようやく意識がはっきりとしてきた王柔は、直ぐに自分の一番大切な存在である理亜を探し始めました。彼女のことが心配でなりませんでした。理亜は無事でいてくれているのか。羽磋のように、自分よりも上手に泳げているのか。それとも、自分の助けを必要としているのか。
 羽磋から見て、理亜は王柔の背中側に浮いていました。離れたところではありませんが、先ほどまでの王柔と同じように、ぐったりとしたままで水に流されています。
 羽磋は直ぐに理亜の位置を王柔に伝えましたが、彼に見えたのはそれだけではありませんでした。
 この川は谷底を流れていますから、その両側には切り立った茶色の岩壁がありました。羽磋の目に入ったのは、それらとは異なる、もう一つの岩壁でした。それは、川の流れる先の水面ぎりぎりに現れ、彼らが流されていくに連れてどんどんと高さを増していっていました。どうやら、この川はその新たな岩壁に向かって流れていっており、最後には岩壁の下部にぽっかりと空いている穴の中へと流れ込んでいくようでした。
 いくら直接太陽の光が差し込んでいない薄暗い谷底を流れる川といっても、岩壁に反射する光などのお陰で、すぐ近くにある物は見て取ることができます。しかし、あの岩壁の中、黒々とした口を開けて川の流れそのものを飲み込んでいる大きな穴の中に飛び込んでしまっては、星月の明りがない闇夜の中を歩く時のように本当に何も見えなくなってしまうでしょう。そのような状況で皆がバラバラになってしまっては、たとえあの穴の中に飲み込まれた後に命があったとしても、二度とお互いに会うことはできないかもしれません。
 川の流れはとても強い上に、両側の岩壁は切り立っています。何とかこの川から上がれないかと羽磋は両側の岩壁を凝視しますが、しがみ付いて流れを耐えることができるような岩や、上に登ることができるような裂け目は見つけられません。このままでは、皆バラバラの状態のままで、あの岩壁に開いた黒い口の中に飲み込まれてしまいます。
 他に何か助けになるものがないかと、羽磋は必死で周りを見渡しました。その彼の目に留まったのは、ぷっかりと浮かんでいるコブと、そのすぐ脇で空に伸ばされている駱駝の首でした。
「王柔殿、早く、理亜をっ。そして、そこへ、駱駝の所へ! お願いします!」
 羽磋の声が届く前から、王柔は理亜の名を叫びながら、その傍へと急いでいました。
もちろんそれは、一刻も早く理亜を助けたかったからでした。
「理亜、理亜っ」
 川の流れに苦労しながらも、王柔は理亜が浮き沈みをしているところにまで泳ぎ着き、彼女の脇に腕を差し入れて呼吸が楽にできるようにしてやりました。
「大丈夫か、理亜! しっかりしてくれ!」
 王柔は、ぐったりとして体に力が入らず目をつぶったままの理亜に、必死に呼びかけました。それでも、理亜は、その呼びかけに答えてはくれませんでした。
 王柔は小道から水中に落下したときに混乱してしまって、なかなか水上に顔を出せずに、羽磋に助けられていなければ危うく溺れてしまうところでした。もしも、理亜が同じように混乱に陥ってしまったとしたら、彼女の小さな体では、水中で長く息を保つことは難しかったでしょう。ひょっとしたら、理亜は既に・・・・・・。
「理亜っ! おいっ、理亜あっ」
 王柔は、自分の中でそのような疑念が大きくなることを拒むように、理亜の体を大きく揺さぶり、耳元で叫びました。
 すると、王柔が支えている理亜の身体がブルブルッと震えました。そして、王柔が苦労して水面の上に保っている理亜の口から、何度も何度も水が吐き出されました。王柔の思いが通じたのでしょうか、ぐったりとして動きがなかった理亜の胸は、再び新鮮な空気を取り込んで上下し始めました。
「ああ、理亜。良かった・・・・・・。良かった・・・・・・」
「王柔殿! 理亜を早くっ。こっちです。急いで!」
「あ、わかりました。羽磋殿、無事です、理亜は、生きてますよっ」
「良かったですっ。でも早く、急いで連れてきてくださいっ。早くっ!」
 羽磋は、理亜の方ではなくて、駱駝が浮かんでいる方へ泳いでいました。そして、水上にぴょこんと突き出されているその首にとりつくと、「とにかく急いで」と、王柔に焦った様子で繰り返すのでした。
 グボグボウオオオ・・・・・・。
 どんどんと、彼らの身体は下流へと流されていっています。川の流れが岩壁の洞窟の中で起こしている音が、羽磋たちが流されている所でも聞こえ始めていました。
 まだ理亜は呼吸を取り戻しただけで意識を回復はしていませんが、王柔はそれ以上理亜の身体を揺さぶったり呼び掛けたりはせずに、彼女の体をできるだけ支えながら、早く早くと繰り返す羽磋のところへ急ぎました。もちろん、この場で理亜に目を開けてもらい、自分の名を呼んでもらいたかったのですが、自分たちが非常に切迫した状況に置かれていることは、王柔にもわかっていたからでした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【短編】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
 もうすぐ、赤ちゃんが生まれる。  誕生を祝いに、領地から父の辺境伯が訪ねてくるのを心待ちにしているアリシア。 でも、夫と赤髪メイドのメリッサが口づけを交わしているのを見てしまう。 「なぜ、メリッサもお腹に赤ちゃんがいるの!?」  アリシアは夫の愛を疑う。 小説家になろう様にも投稿しています。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

公爵令嬢はアホ係から卒業する

依智川ゆかり
ファンタジー
『エルメリア・バーンフラウト! お前との婚約を破棄すると、ここに宣言する!!」  婚約相手だったアルフォード王子からそんな宣言を受けたエルメリア。  そんな王子は、数日後バーンフラウト家にて、土下座を披露する事になる。   いや、婚約破棄自体はむしろ願ったり叶ったりだったんですが、あなた本当に分かってます?  何故、私があなたと婚約する事になったのか。そして、何故公爵令嬢である私が『アホ係』と呼ばれるようになったのか。  エルメリアはアルフォード王子……いや、アホ王子に話し始めた。  彼女が『アホ係』となった経緯を、嘘偽りなく。    *『小説家になろう』でも公開しています。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

【完結】お父様に愛されなかった私を叔父様が連れ出してくれました。~お母様からお父様への最後のラブレター~

山葵
恋愛
「エリミヤ。私の所に来るかい?」 母の弟であるバンス子爵の言葉に私は泣きながら頷いた。 愛人宅に住み屋敷に帰らない父。 生前母は、そんな父と結婚出来て幸せだったと言った。 私には母の言葉が理解出来なかった。

処理中です...