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月の砂漠のかぐや姫 第188話
しおりを挟む「ィヤアアッ・・・・・・、オージュ!」
王柔の胸の中で理亜があげる悲鳴が、空中に長い尾を引きました。王柔は少しでも理亜を守ろうと、ギュッと目をつぶったままで、彼女に回している腕に力を込めました。理亜の悲鳴を聞いた羽磋は、目を見開いて自分に何かできることがないか必死に頭を回転させ続けました。でも、彼の体は真っすぐに落ちていくばかりです。彼にできることは、少しでも落下の衝撃を和らげるために、体を丸くすることだけでした。
「輝夜、輝夜、輝夜っ」
死すら覚悟するこの瞬間に、理亜は王柔の名を叫び、王柔は理亜を護るために抱きしめ、そして、羽磋は心の中で輝夜の名を繰り返していました。
小道の縁から下は深い谷につながっていました。ゴビの大地に刻まれたその深い谷底には、既に傾きつつある太陽の光は届いておらず、暗闇が滞っていました。
その暗闇の中に羽磋や王柔たちが飲み込まれた次の瞬間。
ドブンッ! バアシャーン!
低い水音と大きな水柱が、谷底の暗闇の中で立てつづけに上がりました。
薄暗い谷底では、祁連山脈を起源とする清らかな水が勢いよくしぶきを上げながら流れて、幅は狭いものの深い川を形成していました。羽磋たちは、そこへ頭から落ちて行ったのでした。
ゴビの砂漠では、大地の端が岩壁になっていて、その崖下にはまた別の段のゴビの大地が広がっているという場所も、数多く見られます。しかし、この交易路の小道が刻み込まれた岩壁は、激しい流れの川がゴビの砂岩を削り取って作った地形の一部であり、今でもその谷底には豊富な水量を誇る川が流れていたのでした。これは、羽磋たちにとっては、まぎれもない幸運でした。そうでなければ、彼らはこの瞬間に大地に激突して命を失っていたでしょうから。
とはいえ、突然に激しい流れの中に落下した彼らには、いったい何がどうなっているのか、ゆっくり考える余裕などあるはずがありません。いきなり放り出された冷たい水の中で、激しい流れにぐるぐると体を動かされ、どちらが上かどちらが下かもわからないままで、とにかく、生き物としての本能に従って、息を、空気を求めて、もがくしかありませんでした。
「ぐう! ぼわっ、おぼぼっ」
「あわ・・・・・・。わわっ。ゴブ、ブブ」
落下している間は理亜の体をぎゅっと抱きかかえていた王柔でしたが、ズブズブッと水の底深くに沈み込むとあわてて彼女の体を離し、自由になった両腕で水をかきました。しっかりと整理した考えが頭の中にあっての行動ではありませんが、それは、理亜を投げ出して自分だけが助かろうというものではなく、二人してぎゅっと抱き合ったままではそのままおぼれてしまうという、とっさの判断だったのでした。
理亜の体は、すぐに激しい水の流れに巻き込まれて、彼の胸の中から離れていきました。でも、理亜がどこに行ってしまったかを目で追うことさえも、王柔にはできませんでした。
「上は、上はどっちだっ。息が、息が!」
川の流れに翻弄されて満足に身動きのできない王柔は、水中でどんどんと息が苦しくなってきていました。そのため、とにかく水の上に顔を出したいという一点に、彼の意識は集約されていたのでした
王柔は自分たちが駱駝と共に小道から落下していることがわかっていましたが、暴走する駱駝の背にただただしがみ付いてた理亜には、それすらもわかっていませんでした。とにかく暴れる駱駝から振り落とされないようにと、ぎゅっと目をつぶり顔を伏せて、全力でその背にしがみ付いていたからです。
突然、自分が掴まっている駱駝ごとふわっと浮いたような感覚があったかと思うと、急に自分たちが下に落ちていくような感じがしました。思わず悲鳴を上げた理亜は王柔に抱きしめられ・・・・・・、そして、冷たい水の中に投げ出されました。
もう何が何だかわかりません。自分を包んでくれていた王柔の体の感触も無くなってしまいました。理亜は、必死で体を動かしました。水の中に放り出されたことは間違いないのです。とにかく、このままでは息ができません。どうすれば良いかなんてわかりません。でも、このままでは、このままではっ。川の激しい流れに翻弄されてぐるぐると体を回転させながら、理亜は懸命に両手両足を動かしてもがき続けました。
彼らの中で唯一冷静であったのは羽磋でした。
羽磋は、全身に冷たい痛みが走り、そして、自分の体が何かの力によって持ち上げられたり不規則に動かされたりするのを感じて、すぐに状況を察しました。川です。川の中に投げ出されたのです。小道の上からは、太陽の光が差し込まず薄暗い崖下がどうなっているのかわからなかったのでしたが、ありがたいことにそこには川が流れていたのです。
高いところにある小道から落ちてきた勢いで水中深く潜り込んでしまった羽磋でしたが、彼は空気を求めてもがきたいという心をぐっと押さえつけて、それとは反対にすっと体の力を抜きました。それは、水中でなんども体を回転させていた彼には、まだどちらが上でどちらが下かもわからなかったからでした。
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