月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第171話

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「おおおっっ!」
 ヤルダンの赤土の上で冒頓は叫びました。さらに、気合を入れるように自分の頬を両手でバチンと叩くと、冒頓はぶるぶると頭を振りました。その目は、自分の記憶の中を見つめるぼんやりとしたものではなくなり、敵の姿を求めてギラギラと輝くものに戻っていました。
 青く輝く飛沫によるものか、彼も他の男たちと同様に、心の奥に閉じ込めていた辛い記憶を呼び起こされていました。しかし、その記憶に捕らわれて涙を流し続ける男もいる中で、冒頓はその記憶の縛りから素早く立ち直ることができました。
 何故でしょうか。
 それは、冒頓がその辛い出来事を乗り越えて、糧としていたからでした。
 冒頓の辛い記憶は、少年の頃に接した匈奴と月の民の戦についてのものでした。その戦いにおいて、月の民の計略によって勝勢であった匈奴軍は一瞬のうちに壊滅し、その結果として、冒頓自身を含めた匈奴の立場ががらりと変わってしまいました。草原とゴビの覇権を手にしようとしていた匈奴は月の民に屈することとなり、自らは人質として月の民の元へと送られることとなってしまいました。それらの出来事の象徴としての意味合いもあって、自分の父である頭曼(トウマン)単于が率いる軍勢の上に、月の民の軍勢が放った矢が降り注ぐ様子が、冒頓の記憶の奥に深く刻みつけられていました。
 この出来事を思い返すたびに、冒頓もとても辛い気持ちにはなります。でも、彼はその気持ちの上に留まり続けてはいませんでしたし、その出来事について「ああすれば良かったのに、こうすれば良かったのに」と悔やみ続けてもいませんでした。
 それは既に終わったこと。どれだけ嘆いても死んだ者はもう帰ってこないのですし、いくら悔やんでもあの戦いの結果を変えることもできないのです。
 冒頓は、戦に勝利した月の民に人質として来たその機会を生かして、自分自身や自分たちの国をより良くより強くする方法を学ぼうと、決心したのでした。もちろん、彼のその前向きな気持ちを汲んでくれた、月の民の単于である御門という存在があったという幸運もありましたが、冒頓はその前向きな気持ちによって、自身の辛い記憶を過去のものとすることができていたのでした。
 自分の記憶の世界から現実の世界へと戻ってきた冒頓は、急いで周りの男たちの状態を確認しました。
 どうして男たちが頭を抱えたり涙を流していたりしたのか、その理由はわかりました。おそらくは、あの青く輝く飛沫によって、今まさに自分が体験していたように、自分のもっとも辛い記憶やもっとも思い出したくない出来事を呼び起こされていたのでしょう。ただ、ありがたいことに、冒頓と同時に飛沫の噴出を浴びた男たちの多くは、現実の自分を取り戻しつつありました。彼らの多くは一度目の大規模な噴出で飛沫を浴びてそこから回復しつつあったので、冒頓が浴びた二度目の噴出の飛沫を浴びても、再び辛い記憶の中に捕らわれることがなかったようでした。
 とはいえ、未だに幾人かの男たちは辛い記憶の世界を彷徨っていますし、そもそも、大規模な大地の揺れがあって下馬してから、貴重な時間をたくさん浪費してしまっています。
「くそっ、どこのどいつか、精霊だか悪霊だか知らねぇが、やってくれるぜ」
 冒頓はそう吐き捨てると、再び隊の最後列へと走りました。そこには、まだ、「羽磋殿、羽磋殿」と呟きながら何かを探すようにきょろきょろとしている、現実の世界に戻ってきていない苑がいました。
「いい加減にしろっ小苑。羽磋を助けたいなら、てめえが現実の世界で動きやがれっ」
 冒頓は、大きな声を出しながら苑に走り寄り、その頬を張り飛ばしました。そして、苑の愛馬の鞍と銅鑼やばちを結び付けている綱を、一刀の元に切り飛ばしました。
 ドンドンドンッ。ドドドンッドドドンッ!
「おらおらおらっ! ボケっとすんな、お前らっ。俺たちがいるのはヤルダンの中で、敵さんと戦いの真っただ中なんだぜっ」
 ドンッ、ドドン、ドンドンドンッ!
 ドンドンドンドンッ! ドドンドーン!
「それでも、俺の匈奴騎馬隊の隊員か、お前ら。おらっ目を覚ませっ」
 冒頓は、手に取った銅鑼を力いっぱい叩きながら、先頭に向かって隊の中を駆け抜けました。
 正気に戻りつつあった者たちは元より、ぼんやりと記憶の中を彷徨っていた男たちも、至近距離で力いっぱいに叩かれる銅鑼の轟音で、体を震わせました。その目は見開かれていて、すさまじい音の衝撃により意識が回復したことを表していました。
 もちろん、繊細な動物である馬は、この間近で突然に生じた轟音によって非常に驚かされました。大きく嘶いたり後ろ脚で蹴る仕草を繰り返したりと、激しく興奮していました。でも、冒頓には、急いで隊員たちの目を覚まさせる必要があったのでした。
「お前ら、来るぞ、あいつらがっ。目を覚まして準備しろっ!」
 冒頓が呼びかけたように、自分たちの前方にサバクオオカミの奇岩が近づいてきていました。それは、大きな揺れの前に左斜め前方に見えていた、母を待つ少女の奇岩とサバクオオカミの奇岩の群れでした。そして、冒頓たちが足を止めていた間に近づいてきたその集団は、地中から噴出した青い飛沫を身に纏っているかのように、全身を青く輝かせていました。
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