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月の砂漠のかぐや姫 第168話
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「ああっ。いやだ」
「くそ、どうしてなんだっ」
意識せずとも口から飛び出してしまう悲鳴にも似た叫び声が、次々と騎馬隊の他の男たちからも起こりました。彼らにも、自らの中に存在していた「嫌なこと」や「恐れていたこと」が、現実の姿や耳に届く声となって、迫って来ているのでした。
激しい大地の揺れで下馬をしていた騎馬隊の男たちでしたが、不安げに首を上げ下げしたり、蹄で地面を掻いたりしている愛馬のことは、頭の中から吹き飛んでしまっていました。彼らは、自分たちが真に恐れていて、それゆえに心の奥底にしまっていたことが、そのくびきを破って自分たちを襲ってくることを目にしていました。さらには、忘れよう忘れようと努力してようやく思い出すことも少なくなってきていた、自分たちの悲しみを掻き立てる声を耳にしていました。彼らはいま、誰にも話したことのない、自分が最も目にしたくないものを見、最も聞きたくない声を聴いて、大混乱に陥っているのでした。
それは、騎馬隊の末尾にいてこの光の飛沫を浴びた、苑も同じでした。
今、彼の眼は、見ていたはずもない光景を見ていました。
彼の視界の中で、少女を乗せた一頭の駱駝が、切り立った崖の側面に刻まれた小道から、転落しようとしていました。二人の男が真っ赤な顔をしながらその駱駝の引綱を全力で引っ張って、それを道の上に残そうとするのですが、傾いた駱駝の体はもうほとんどが道の外に飛び出ていました。
少女が何かを大きな声で叫びました。それは聴くものすべてが振り向かずにはいられない、言葉にすらならぬ、恐怖に満ちた叫び声でした。
二人の男の内の背の高い方も叫びました。それは、引き綱を引く手に自分の持つ全ての力を集めながらも、自分たちの体ごと道の外へと持っていかれつつあることへの、絶望と悔しさであふれた、血がまとわりついたような声色でした。
この光景を見ている苑には、これがどのような状況で、彼女たちが何を叫んでいるかがわかっていました。
「や、やめろ・・・・・・」
苑の喉から、掠れた声が漏れ出ました。
駱駝を引っ張る男たちのもう一人、小柄な男も全身の力を振り絞って引き綱を引きながら、大きな声で祈りの言葉を叫びました。
でも。
「やめろ、やめてくれ・・・・・・」
ゆっくりと少しづつですが、確実に少女を乗せた駱駝は、崖下へと体を傾けていきました。それに連れて、引き綱を引く男たちは、踏ん張っている足で大地に溝を穿ちながらも、崖の方へと引っ張られていきました。
そして。
僅かな時の間に、すべては終わりました。
少女を乗せた駱駝は、四肢を空しく震わせながら、崖下へ落下していきました。駱駝の背から空中に投げ出された少女は、男たちの方へ両手を差し伸べましたが、その手は空しく宙を彷徨うだけでした。
男たちは、駱駝が落下する勢いが急に加わった引き綱を、最後まで離すことはありませんでした。そうです。駱駝と共に崖下へと落下していく引き綱によって、自分たちも小道から崖下へと引きずり落されるその時までです。
「あああ・・・・・・、羽磋殿、羽磋殿おっ・・・・・・。王柔殿・・・・・・、それに、理亜・・・・・」
また、苑の開いた口から、悲し気な言葉が零れ落ちました。それは、誰かに聞かせるための言葉ではなく、彼の中で膨らんだ羽磋たちを助けることができなかった悔しさや、親しい仲間を失った悲しさが、そのような形となって溢れ出たものでした。
「おいおいっ。どうしちまったんだ、お前らっ」
騎馬隊の先頭に立っていて、隊からは少し離れたところにいた冒頓は、部下たちの様子を見て驚きの声を上げました。
部下たちが、先ほどから続いている地震によって真っすぐに立つことができないというのであれば、それはわかりますし、前触れもなく大地より噴出した間欠泉に驚いているのであっても、その気持ちはわかります。でも、彼の部下たちの様子は、そのようなものとは全く異なっていたのでした。
彼らの顔は、悲しみや怯えによってひどくゆがめられていました。中には、突然叫びだしたり、頭を押さえてしゃがみ込んだりする者もいました。彼らの視線は宙を彷徨っていて、周りにいる仲間や揺れる大地を見ているのではないようです。全く誰もいないところに視線を送っては涙を浮かべる者もいれば、目に見えない何かに怯えているかのように、空虚な空間に向かって剣を構えたりする者までいました。
「おい、弁富(ベンフ)。お前まで、どうしたっ。何が聞こえてるんだ、弁富っ」
冒頓は、すっかりと隊列を乱してしまって混乱の極みにある部下たちの中へ走り寄ると、大きな裂け目の横で両手で耳を塞いでしゃがみ込んでいる中年の男の肩を抱きました。この男は、まだ少年であった冒頓が、人質として匈奴から月の民へ出されたときから、彼に付き従ってきた従者の一人で、年少の冒頓に合わせて年若い者が集められていた従者の中では比較的年上であったので、彼らのまとめ役的存在であった者でした。
冒頓が月の民に出されてからかれこれ二十年近く経ち、このように護衛隊として活動するようになった今でも、弁富は冒頓から厚い信頼を寄せられていて、冒頓の副官である超克が王花の酒場に残っている今は、彼が副官の役を務めているのでした。
「くそ、どうしてなんだっ」
意識せずとも口から飛び出してしまう悲鳴にも似た叫び声が、次々と騎馬隊の他の男たちからも起こりました。彼らにも、自らの中に存在していた「嫌なこと」や「恐れていたこと」が、現実の姿や耳に届く声となって、迫って来ているのでした。
激しい大地の揺れで下馬をしていた騎馬隊の男たちでしたが、不安げに首を上げ下げしたり、蹄で地面を掻いたりしている愛馬のことは、頭の中から吹き飛んでしまっていました。彼らは、自分たちが真に恐れていて、それゆえに心の奥底にしまっていたことが、そのくびきを破って自分たちを襲ってくることを目にしていました。さらには、忘れよう忘れようと努力してようやく思い出すことも少なくなってきていた、自分たちの悲しみを掻き立てる声を耳にしていました。彼らはいま、誰にも話したことのない、自分が最も目にしたくないものを見、最も聞きたくない声を聴いて、大混乱に陥っているのでした。
それは、騎馬隊の末尾にいてこの光の飛沫を浴びた、苑も同じでした。
今、彼の眼は、見ていたはずもない光景を見ていました。
彼の視界の中で、少女を乗せた一頭の駱駝が、切り立った崖の側面に刻まれた小道から、転落しようとしていました。二人の男が真っ赤な顔をしながらその駱駝の引綱を全力で引っ張って、それを道の上に残そうとするのですが、傾いた駱駝の体はもうほとんどが道の外に飛び出ていました。
少女が何かを大きな声で叫びました。それは聴くものすべてが振り向かずにはいられない、言葉にすらならぬ、恐怖に満ちた叫び声でした。
二人の男の内の背の高い方も叫びました。それは、引き綱を引く手に自分の持つ全ての力を集めながらも、自分たちの体ごと道の外へと持っていかれつつあることへの、絶望と悔しさであふれた、血がまとわりついたような声色でした。
この光景を見ている苑には、これがどのような状況で、彼女たちが何を叫んでいるかがわかっていました。
「や、やめろ・・・・・・」
苑の喉から、掠れた声が漏れ出ました。
駱駝を引っ張る男たちのもう一人、小柄な男も全身の力を振り絞って引き綱を引きながら、大きな声で祈りの言葉を叫びました。
でも。
「やめろ、やめてくれ・・・・・・」
ゆっくりと少しづつですが、確実に少女を乗せた駱駝は、崖下へと体を傾けていきました。それに連れて、引き綱を引く男たちは、踏ん張っている足で大地に溝を穿ちながらも、崖の方へと引っ張られていきました。
そして。
僅かな時の間に、すべては終わりました。
少女を乗せた駱駝は、四肢を空しく震わせながら、崖下へ落下していきました。駱駝の背から空中に投げ出された少女は、男たちの方へ両手を差し伸べましたが、その手は空しく宙を彷徨うだけでした。
男たちは、駱駝が落下する勢いが急に加わった引き綱を、最後まで離すことはありませんでした。そうです。駱駝と共に崖下へと落下していく引き綱によって、自分たちも小道から崖下へと引きずり落されるその時までです。
「あああ・・・・・・、羽磋殿、羽磋殿おっ・・・・・・。王柔殿・・・・・・、それに、理亜・・・・・」
また、苑の開いた口から、悲し気な言葉が零れ落ちました。それは、誰かに聞かせるための言葉ではなく、彼の中で膨らんだ羽磋たちを助けることができなかった悔しさや、親しい仲間を失った悲しさが、そのような形となって溢れ出たものでした。
「おいおいっ。どうしちまったんだ、お前らっ」
騎馬隊の先頭に立っていて、隊からは少し離れたところにいた冒頓は、部下たちの様子を見て驚きの声を上げました。
部下たちが、先ほどから続いている地震によって真っすぐに立つことができないというのであれば、それはわかりますし、前触れもなく大地より噴出した間欠泉に驚いているのであっても、その気持ちはわかります。でも、彼の部下たちの様子は、そのようなものとは全く異なっていたのでした。
彼らの顔は、悲しみや怯えによってひどくゆがめられていました。中には、突然叫びだしたり、頭を押さえてしゃがみ込んだりする者もいました。彼らの視線は宙を彷徨っていて、周りにいる仲間や揺れる大地を見ているのではないようです。全く誰もいないところに視線を送っては涙を浮かべる者もいれば、目に見えない何かに怯えているかのように、空虚な空間に向かって剣を構えたりする者までいました。
「おい、弁富(ベンフ)。お前まで、どうしたっ。何が聞こえてるんだ、弁富っ」
冒頓は、すっかりと隊列を乱してしまって混乱の極みにある部下たちの中へ走り寄ると、大きな裂け目の横で両手で耳を塞いでしゃがみ込んでいる中年の男の肩を抱きました。この男は、まだ少年であった冒頓が、人質として匈奴から月の民へ出されたときから、彼に付き従ってきた従者の一人で、年少の冒頓に合わせて年若い者が集められていた従者の中では比較的年上であったので、彼らのまとめ役的存在であった者でした。
冒頓が月の民に出されてからかれこれ二十年近く経ち、このように護衛隊として活動するようになった今でも、弁富は冒頓から厚い信頼を寄せられていて、冒頓の副官である超克が王花の酒場に残っている今は、彼が副官の役を務めているのでした。
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