月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第159話

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「マエ・・・・・・ダ。アイツラ、ノ、マエニマワリ、コメッ」
 それは、母を待つ少女がサバクオオカミの奇岩に対して発した指示でした。その声が出たとたんに、サバクオオカミの奇岩は、ザッと進む向きを左手に変えました。これまでのように一直線に騎馬隊の方へ向かうのではなく、その前へ回り込むように走る方向を変えたのでした。


「くそっ。やっぱり、あいつらの中でも、あの奇岩だけは違うなっ」
 騎馬隊の先頭を走っていた冒頓は、そう悔しげに吐き捨てると、自分と後続の馬の速度を落としました。
 今まで彼らが有利に戦いを進めてこられたのは、敵に向かって走るのではなく盆地の外周に沿って走ることで、敵との距離を保ちつつ、しかも、敵を自分たちの左手に見るようにした作戦が、功を奏していたからでした。つまり、自分たちが矢を放ちやすい方向に相手を置き、さらに、自分たちの矢は届くが相手の牙は届かないという距離を確保できていたのでした。
 もしも、このままサバクオオカミの奇岩の群れが、自分たちに向かって真っすぐに進んでくるのならば、それらが危険な距離に近づいてくるまでこのまま走りながら矢を射続け、ぎりぎりの頃合いを見計らうと、馬の走る速度を一気に上げて左斜め前の方向へ進み、盆地の中の方へ切り込んでいこうと、冒頓は考えていました。速度を上げてから切り込むことで、サバクオオカミの奇岩を左手に見ながらすれ違うようにして、近距離からの正確な攻撃でその群れを壊滅させ、なおかつ、盆地の中ほどに残っている母を待つ少女の奇岩とサバクオオカミの奇岩の生き残りの間に入り込んで、それらを切り離す作戦だったのでした。
 でも、ここまではうまく運んでいたその作戦も、自分たちの頭を押さえられてしまうと、変更を余儀なくされてしまうのでした。
 隊列を組んで走る騎馬隊は、敵を左手に見ることができていれば、敵と近距離になったとしても矢を射ることができますが、自分たちの進行方向へは矢を射ることができないのです。それは、自分の前を走る者が邪魔になってしまうからでした。ぎりぎりまで攻撃を加えながらサバクオオカミの奇岩を引き付けるためには、それらを左手に見続けることが、どうしても必要なのでした。
 では、いまここで盆地の中側へ向って切り込んでいくのはどうでしょうか。サバクオオカミの奇岩と母を待つ少女の奇岩とを切り離すことは、できるのではないでしょうか。
 実は、それも上手く行きそうにはないのです。
 冒頓の作戦では、内側に切り込む直前に馬の速度を上げて、サバクオオカミの奇岩の群れを左手に見ながら近い距離ですれ違うつもりでした。そこで、近距離から奇岩たちに矢を打ち込み、それらに壊滅的な損害を与えられるはずでした。そうすることで、母を待つ少女の奇岩を攻撃する際に、背後からサバクオオカミの奇岩の強い攻撃を受ける恐れがなくなると計算していたのでした。
 ところが、サバクオオカミの奇岩が騎馬隊の先頭を抑えるために、左側に進路を変えてしまったことから、いまここで自分たちが盆地の中側へ切り込むと、サバクオオカミの奇岩たちを右手に見ることになってしまうのでした。もちろん、騎馬隊の男たちは優れた射手でしたから、自分たちの右手に位置する敵に対しても矢を放つことはできるのですが、左手で弓を構え右手で弦を引く彼らのこと、やはり、敵を左手に見る場合と右手に見る場合とでは、その攻撃力に大きな違いが出てきてしまうのでした。
 サバクオオカミの奇岩の群れと、それを右手に見ながらすれ違う場合は、素早く矢を何度も放って、それらに大きな損害を与えて無力化するのは難しいと思われます。そうすると、自分たちが母を待つ少女の奇岩とサバクオオカミの奇岩の間に入るのは、それらを分断して母を待つ少女の奇岩を攻撃するという好機ではなく、前方の母を待つ少女の奇岩と後方のサバクオオカミの奇岩の両方から一度に攻撃を受けるという危機になってしまいます。
 遊牧民族の戦いは、馬を操る技量や矢を射る技術も、もちろん必要なのですが、相手と自分の動きを思い描いて、少しでも有利な位置を得るように動くという、頭脳も必要とするものなのでした。そして、いまこの戦いにおいては、冒頓が有利に進めていた戦局を、母を待つ少女の奇岩が、たった一手でガラッと変えてしまったのでした。
「仕方ねぇ。やり直しだっ」
 状況の変化をすばやく読み取った冒頓は、馬首を返してサバクオオカミの奇岩から遠ざかることにしました。騎馬隊の主な武器は弓矢ですし、サバクオオカミの奇岩の武器は牙と爪ですから、このまま進んでいって接近戦をするよりは、距離を取り直した方が断然有利なのです。
 でも、冒頓の取った行動に対しても、母を待つ少女の奇岩は素早い対応をみせるのでした。
「オエッ、マッスグ、ダ。アイツラ、ヲ、オエッ」
 騎馬隊の頭を押さえようと進んでいたサバクオオカミの群れは、赤茶色の砂を激しく弾き飛ばしながら一斉に方向を変え、再び騎馬隊に向かって真っすぐに追いかけ始めました。サバクオオカミに似た無骨な砂岩の塊の集団とはとても思えない、その統率の取れた動きは、冒頓たちに無言の圧力となってのしかかってくるものでした。

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