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月の砂漠のかぐや姫 第155話
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「おお、そうだっ。俺たちの守る荷を、よくもやってくれたなっ」
「後悔させてやるっ。俺の矢で、やつらに後悔させてやるっ」
冒頓は、これまで自分が経験した物事の中で、一つのことを学んでいました。人は自分の意志からだけでなく、他人の言うことからでも動きはしますが、いざというときに自分を支える力となるものは、他人の言葉ではない。それは、自分の内側から出た思いだけなのだ、ということをです。だからこそ、冒頓は「どうしたいか」ということを自分が認識することはもちろん、他の者がそれを認識することも、とても大切にしているのでした。王花の酒場で冒頓が王柔に投げた「お前はどうしたいんだ」という問いも、この思いから出たものだったのでした。
冒頓の考えの通り、彼の言葉は男たちの中に染みとおり、その体を内側から震い立たせました。それは、「匈奴騎馬隊の誇りと仲間に傷をつけたヤルダンの奇岩に対する怒り」が、彼らの心の中にあることを明確化させ、今彼らを動かしているものは、その「怒り」であることを、彼らに再認識させたからでした。この「怒り」という感情は、誰かに言われたものではなく、自分自身の内側からでた真っすぐで素直な感情でしたから、命を得たかのように動く砂岩との戦いという極めて異常な場面で、万が一彼らが倒れそうになったとしても、折れることなく彼らを支えるつっかえ棒になるはずなのでした。
わずか二十余頭ほどの小さな騎馬隊ではありましたが、冒頓を中心とした男たちの周りには、太陽に照り付けられて焼けた砂漠の表面と同じほどの熱い空気が生じていました。
「気を抜くなよ、お前ら。母を待つ奇岩が立つ場所は、もう遠くないんだぜ」
冒頓は、ヤルダンの奥を指し示しました。
一斉にそちらを向いた男たちの頬に、急に正面から冷たい何かが吹き付けられました。風でしょうか。いいえ、風はこれまでと同じようにゴビの上を渡っていて、ヤルダンの方からは流れてきていません。それに、この時間の風は、ゴビの地表の熱で温められているので、肌を刺激するような冷たさがあるはずもないのです。
でも、確かに、男たちは感じたのでした。ヤルダンの奥の方から、自分たちに向けて放たれた、とても冷たい空気を。
冒頓も馬上でその冷たい風を感じましたが、彼には不思議にも驚きにも感じられませんでした。
空風の動きからも、ヤルダンの中で、母を待つ少女の奇岩が自分たちを待ち構えているのは明らかなのです。冒頓にとっては、このような冷たい気を放って自分たちを待ち構えている敵がいることが、なんだかありがたくさえ思えているのでした。
どうしてでしょうか。
彼は、交易隊や護衛隊にひどい損害が生じたこと、それに、羽磋や王柔たちを失ってしまったことについて、自分自身に腹が立って仕方がなかったのです。自分なら、自分がきっちりと目を配っていれば、それを防げたはずだと、自分を責めていたのです。そして、その自分自身以外のどこにもぶつけようがない怒りは、時間が経つに連れてどんどんと膨らむ一方だったのです。ですから、自分たちを襲ってきた相手という、その怒りをぶつけることができる対象を近くに感じられることで、爆発しそうだった気持ちの吐け口ができたように思え、嬉しくさえ感じられていたのでした。
「へへ、あちらさんも、待ち構えているってことかな。ありがてえってもんだぜ。よし、お前ら、出立っ」
「オウオウッ」
「イヤッホウッ」
冒頓は、大声を上げると、真っ先に愛馬の腹を蹴りました。その後ろで、自分自身に気を入れるかのように奇声を発しながら、男たちも愛馬に出発の合図をくれました。男たちを乗せた馬たちは、ひょっとしたらオオノスリの空風のように、なにか恐ろしいもの野存在を感じ取っていたかもしれません。それでも、さすがは、鍛え上げられた冒頓の護衛隊の馬たちです。乗り手の指示に逆らう仕草など一切見せずに、ヤルダンの内部に向けて、猛然と走り出したのでした。
戦いの時が、近づいていました。
オオノスリの空風は、ヤルダンから距離を置いた場所で、大きく広げた翼に風を受けながら、ゆっくりと大空を旋回をしていました。その優れた目には、何が見えているのでしょうか。彼の主人である苑たちの行く先に、ヤルダンの奇岩たちが待ち受けている姿でも見えるのでしょうか。それとも・・・・・・。
「ピィーッ」
空風があげた甲高い鳴き声は、一団となってヤルダンを突き進む主人の耳には、激しく大地を蹴る馬の足音にかき消されてしまい、届きませんでした。
「ピィ、ピッ、ピィッー」
それでも、空風は何かを主人に告げるかのように、空の上で鳴き続けるのでした。
「後悔させてやるっ。俺の矢で、やつらに後悔させてやるっ」
冒頓は、これまで自分が経験した物事の中で、一つのことを学んでいました。人は自分の意志からだけでなく、他人の言うことからでも動きはしますが、いざというときに自分を支える力となるものは、他人の言葉ではない。それは、自分の内側から出た思いだけなのだ、ということをです。だからこそ、冒頓は「どうしたいか」ということを自分が認識することはもちろん、他の者がそれを認識することも、とても大切にしているのでした。王花の酒場で冒頓が王柔に投げた「お前はどうしたいんだ」という問いも、この思いから出たものだったのでした。
冒頓の考えの通り、彼の言葉は男たちの中に染みとおり、その体を内側から震い立たせました。それは、「匈奴騎馬隊の誇りと仲間に傷をつけたヤルダンの奇岩に対する怒り」が、彼らの心の中にあることを明確化させ、今彼らを動かしているものは、その「怒り」であることを、彼らに再認識させたからでした。この「怒り」という感情は、誰かに言われたものではなく、自分自身の内側からでた真っすぐで素直な感情でしたから、命を得たかのように動く砂岩との戦いという極めて異常な場面で、万が一彼らが倒れそうになったとしても、折れることなく彼らを支えるつっかえ棒になるはずなのでした。
わずか二十余頭ほどの小さな騎馬隊ではありましたが、冒頓を中心とした男たちの周りには、太陽に照り付けられて焼けた砂漠の表面と同じほどの熱い空気が生じていました。
「気を抜くなよ、お前ら。母を待つ奇岩が立つ場所は、もう遠くないんだぜ」
冒頓は、ヤルダンの奥を指し示しました。
一斉にそちらを向いた男たちの頬に、急に正面から冷たい何かが吹き付けられました。風でしょうか。いいえ、風はこれまでと同じようにゴビの上を渡っていて、ヤルダンの方からは流れてきていません。それに、この時間の風は、ゴビの地表の熱で温められているので、肌を刺激するような冷たさがあるはずもないのです。
でも、確かに、男たちは感じたのでした。ヤルダンの奥の方から、自分たちに向けて放たれた、とても冷たい空気を。
冒頓も馬上でその冷たい風を感じましたが、彼には不思議にも驚きにも感じられませんでした。
空風の動きからも、ヤルダンの中で、母を待つ少女の奇岩が自分たちを待ち構えているのは明らかなのです。冒頓にとっては、このような冷たい気を放って自分たちを待ち構えている敵がいることが、なんだかありがたくさえ思えているのでした。
どうしてでしょうか。
彼は、交易隊や護衛隊にひどい損害が生じたこと、それに、羽磋や王柔たちを失ってしまったことについて、自分自身に腹が立って仕方がなかったのです。自分なら、自分がきっちりと目を配っていれば、それを防げたはずだと、自分を責めていたのです。そして、その自分自身以外のどこにもぶつけようがない怒りは、時間が経つに連れてどんどんと膨らむ一方だったのです。ですから、自分たちを襲ってきた相手という、その怒りをぶつけることができる対象を近くに感じられることで、爆発しそうだった気持ちの吐け口ができたように思え、嬉しくさえ感じられていたのでした。
「へへ、あちらさんも、待ち構えているってことかな。ありがてえってもんだぜ。よし、お前ら、出立っ」
「オウオウッ」
「イヤッホウッ」
冒頓は、大声を上げると、真っ先に愛馬の腹を蹴りました。その後ろで、自分自身に気を入れるかのように奇声を発しながら、男たちも愛馬に出発の合図をくれました。男たちを乗せた馬たちは、ひょっとしたらオオノスリの空風のように、なにか恐ろしいもの野存在を感じ取っていたかもしれません。それでも、さすがは、鍛え上げられた冒頓の護衛隊の馬たちです。乗り手の指示に逆らう仕草など一切見せずに、ヤルダンの内部に向けて、猛然と走り出したのでした。
戦いの時が、近づいていました。
オオノスリの空風は、ヤルダンから距離を置いた場所で、大きく広げた翼に風を受けながら、ゆっくりと大空を旋回をしていました。その優れた目には、何が見えているのでしょうか。彼の主人である苑たちの行く先に、ヤルダンの奇岩たちが待ち受けている姿でも見えるのでしょうか。それとも・・・・・・。
「ピィーッ」
空風があげた甲高い鳴き声は、一団となってヤルダンを突き進む主人の耳には、激しく大地を蹴る馬の足音にかき消されてしまい、届きませんでした。
「ピィ、ピッ、ピィッー」
それでも、空風は何かを主人に告げるかのように、空の上で鳴き続けるのでした。
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