月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第154話

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 苑の言うとおりでした。これまでは、オオノスリの空風は、交易隊の上空を旋回しながら隊の移動に付き従っていたのですが、ヤルダンが近づいてくると、まるで立ち入ってはいけない境界線が空に引かれているかのように、一定の場所から先には来なくなってしまったのでした。
 どれだけ指笛を鳴らしても空風が自分の指示に従わないことに、苑はひどく困惑していました。自分が雛から育て訓練した空風が指示に従わないことなんて、これまでに一度もなかったことなのですから。
 冒頓の役に立てなくて申し訳ないと、苑は下を向きました。でも、意外なことに、冒頓は苑や空風を叱りつけるのではなく、逆に礼を言うのでした。
「いや、小苑。空風はよくやってくれたぜ。この先には、あいつが怖がる何かがいるってことだ。きっと、あいつらが待ち構えているんだろうが、それがはっきりとしただけありがたいってもんだ。さあ、小苑、ここからが本番だぜ。気合を入れていくとしようや」
「は、はいっす。ありがとうございます、冒頓殿」
 自分の言葉ですっかり元気を取り戻した様子の苑を満足そうに見ると、冒頓は隊の全員に向けて声を張り上げました。
「おい、お前ら。空風が教えてくれたぜ。この先であいつらが待っててくれるそうだ。ここまで走ってきて空振りだったらどうしようかと思ったが、やれやれ、一安心したぜ」
 冒頓の砕けた言い様に、男たちからどっと笑い声が上がりました。冒頓は短気な面があり感情の起伏が激しい男でしたが、けっして一つの考えに凝り固まってぎゅうっと視界が狭くなるような男ではありませんでした。むしろ、このように自分たちが臨んでいる緊迫した状況を、一歩引いたところから眺め、それを面白おかしく思う余裕を常に持っているのでした。そして、それこそが、「どんな困難な状況であってもこの男に従っていればいいのだ」と隊員に思わせる、冒頓の大きな魅力なのでした。
「いいか、お前ら。俺はなにも、あいつらがこのヤルダンにのさばっていて、ここを安全に通れないから、あいつらを叩くんじゃねぇ。それに、あいつらが、王花の盗賊団を攻撃したからでもねぇ。まぁ最初は、小野殿や王花殿に調査を頼まれたからってのもあったが、今は違う。お前らもそうだろう。こうやって、馬を駆ってここまで来たのは。なぁっ」
 冒頓は、男たちの周囲を回るようにゆっくりと馬を進めました。既に冒頓たちはヤルダンの入り口に達し、彼の張り上げる声は風に乗ってその中にまで流れ込んでいっていましたが、彼は一向にそれを気にしていませんでした。「どうせこちらがここまで来ているのは、あいつにはわかっているさ。奴らが俺たちを襲おうとしてここまで出張ってきているなら、空風はもっと前からついてこなくなっただろうしな。おうちで俺を待っててくれてるんだろうさ」、それが、冒頓の考えだったのでした。
「そうだ、あいつらが、俺たちが守っている交易隊に、手を出したからだ。なぁ、お前ら、たくさんの駱駝や荷が、あいつらの為に谷底に落ちちまった。俺たち匈奴護衛隊が守っていたのにだ。それに、だ」
 冒頓は、ここで大きく息を吸ってから、先をつづけました。
「俺たちと一緒に旅をしてきた、羽磋。俺たち匈奴護衛隊と一緒になって交易隊の警護をしてきたあいつまで、奴らのせいで谷底に落ちて・・・・・・、死んじまった」
 冒頓の決定的な一言に、苑ははっと顔を上げました。もちろん苑もそのことは考えていました。わかっていました。でも、今までは、それを認めないように努力していたのでした。苑にはわかっていました。冒頓も自分と同じだったのだと。そして、今、冒頓は、とうとう現実と向き合う決断をしたのだと。
 苑の身体は細かく震えだしました。
「だめだ。俺も、俺も、冒頓殿のように、現実に向き合わないとだめなんだ。羽磋殿が死んだなんて思いたくはないけど、だけど・・・・・・。くそぅ、あいつら、あの石ころめがっ」
 冒頓の言葉を受けて、これまで目を背けていた問題が、いやおうなく苑の心の中に浮かび上がってきました。でも、苑はどうしてもそれを認められません、認めたくないのです。彼は自分の体の震えを止めるために、自分の弓をぎゅっと握りしめました。
「それに、王花の盗賊団から案内人として来てくれた、王柔とお嬢ちゃん。あいつらも、羽磋と一緒に、谷底に落とされちまった。羽磋も王柔たちも、俺たちが守らなきゃならなかったんだ。ああ、そうなんだ。だがな、死んだら終わりだ。羽磋たちを生き返らすことなんて、俺にはできねぇ。できねえんだ。くそ、できねえんだよ。ああ、くそ、悔しい。だから、お前ら。戦ってくれ。奴らに、しっかりと後悔させてやろうじゃねぇか。俺たち匈奴護衛隊の守る荷に手を出したことを。俺たちの仲間を殺したことを。あぁそうだ、俺たちは、腹が立つから、そうだよ、腹が立つから、ここまで馬を駆ってきたんじゃねえか。俺たちの怒りを、矢や剣であいつらにしっかりと味合わせてやろうぜ。なぁ、おいっ、なあっ」
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