月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第151話

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 いえ、実際のところ、このような緊急の時ですから、冒頓が羽磋の愛馬を誰かにあてがったとしても、それがそのまま、彼が羽磋の死を認めたということにはならないでしょう。例え羽磋がこの場にいたとしても、自分が怪我をして馬に乗れないような場合には、他の誰かに愛馬を託したことでしょうから。
 でも、冒頓には、苑の言葉が自分の考えを、羽磋が生きていると思うか死んでいると思うかについてどう思うかを、遠回しに聞いてきているものに思えたのでした。
 では、あまり表情や態度には表していないものの、羽磋たちがどうなったかについて、冒頓自身はどう考えていたのでしょうか。
 実のところは、冒頓はそのことについて判断を下せてはいませんでした。「死んだら終わり」、それが冒頓の考えですが、あのような状況であるにもかかわらず「羽磋が終わってしまった」という実感が、まったく持てていなかったのでした。
「まぁ、小苑はそんな風に頭を巡らす奴じゃぁねぇしな。俺の気のせいか」
 冒頓は、苑の言葉が自分の真意を探るような深い思いを含んだものでなく、単に指示を求めたものであると思い直すと、それを幸いとして、こちらも深い意味などない単なる指示として答えることにしました。
「ああ、羽磋の馬は、ここに残しておく。ここに残る徒歩の者の誰かに預けといてくれや」
「了解しましたっす。冒頓殿っ」
 苑は大声で冒頓に答えると、手元に帰ってきた空風を木箱に戻して、自分の出立の準備の為に駆け出していきました。先ほどまでの暗い声に比べて、その声には幾分かの明るい何かが混じっていたように冒頓には受け取れましたが、ひょっとしたら、それも冒頓自身の中にある迷いが、そのように聞こえさせたのかもしれませんでした。
 苑だけではありません。空風が帰ってくることで、苑が行っていた捜索が終了したことを知った男たちは、いよいよ迫った戦いの準備の為に、それぞれの持ち場へと走って戻っていきました。
 この後、男たちはそれぞれの役割に別れることになります。交易隊のうち治療の覚えがある者はけが人の手当に当たります。護衛隊のうち徒歩の者は広場の守りを固め、万が一の襲撃があった時には交易隊の盾となります。そして、馬を相棒とする騎馬隊の者はヤルダンへ出立し、もはやはっきり敵と認識された母を待つ少女の奇岩を粉砕するのです。


 僅かな時間が経過した後には、広場の中央には冒頓とその騎馬隊の者が、戦いの準備を整えて集まっていました。
 彼らは、冒頓の護衛隊の中でも、特に戦いの経験が豊富な者たちでした。自分たちが守る交易隊、そして、自分たち護衛隊そのものに大きな損害を与えた敵にようやくやり返すことことができる、その思いが彼らの目に強い光となって宿っていました。
 冒頓は、騎馬隊の前に自分の馬を進めると、剣を抜いて力強い一声を上げました。
「行くぜ、お前らっ!」
「おおうっ!!」
 ドドウッドウッドウッツ。
 冒頓の号令に合わせて騎馬隊の男が愛馬に指示を送ると、激しい蹄の音が広場の中央で生じ、土ぼこりが高く巻き上げられました。
「行ってきます。羽磋殿」
 苑は心の中でそのようにつぶやくと騎馬隊の先頭に立って、広場からヤルダンへと繋がる交易路へと飛び出していきました。
 苑の後には騎馬隊の男たちが続いていくのですが、その中には谷の方に体を向けると左胸に手を当てて頭を下げる、匈奴の男たちが死者に対して行う礼をしてから出発する者もおりました。
 その行いに対しても、冒頓は何も言いませんでした。
 状況だけを見れば、羽磋や王柔たちが生きているとはとても思えないのです。それに、彼らだけではなく、交易隊の財産であり旅を共にしてきた仲間でもある駱駝が、数多く谷底へ落下していったのは事実なのですから、彼らのような態度は、むしろ、敬虔なものであるとさえ言えるかもしれないのですから。
「さぁて、俺も行ってくるぜ、羽磋」
 冒頓も羽磋に対して心の中で挨拶を送ると、騎馬隊のしんがりとなって交易路へ飛び出していきました。でも、それがどこにいる羽磋に対しての挨拶なのか、それは、今も彼の中では定まっていませんでした。
 ただ一つ確かなことは、「あの母を待つ少女の奇岩、あいつだけはぶっ壊してやらないと気が済まねぇ」、その熱い気持ちが、じりじりと彼を内面から焼き続けているということだけなのでした。
「オオオオゥッ! ご無事で、ご無事でっ!」
「冒頓殿! ご武運をっ!」
「奴らに匈奴騎馬隊の恐ろしさを思い知らせてやってください!」
「くそ、この体が、体が動きさえすれば。ああっ、冒頓殿、悔しいです、悔しいですっ」
 勢いよく広場から交易路へ飛び出していく冒頓たちの背を、残された男たちの雄たけびが力強く押しました。さらに、馬上で揺れる彼らの肩の上には、冒頓たちに託すことしかできない男たちの願いが、祈りが、そして、恨みが、しっかりと積み重なっていったのでした。
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