月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第147話

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 冒頓の指示を伝えに、小隊長たちはそれぞれの持ち場に帰っていきました。
 広場の各所では、野営の準備が始まりました。もちろん状況が状況ですから、交易路を進む時の簡素な野営よりもさらに簡単な最低限のものでしたが。
 男たちは自分の管理する駱駝や馬に餌と水をやりながら、自分たちは乳酒を飲み干し肉をかじって腹を満たしました。誰が夜番につくかの伝達が行きわたると、早番に当たらなかった者は、我先に自分の皮袋からマントを取り出すと、台地に放り投げた袋を枕にし、それにくるまって眠ろうとしました。
 あの襲撃でくたくたに疲れた体が、目まぐるしい状況の変化に戸惑った心が、睡眠による回復を強く求めていたのです。
 でも、多くの男たちはなかなか眠りに落ちることができずに、長い一夜を過ごすことになってしまいました。
 落下してきた砂岩に打たれたり、突進してきた駱駝に跳ね飛ばされたりして大けがを負った男は、心臓の鼓動に合わせて生じるズキンズキンという痛みに脂汗を流しながら、眠れぬ夜を過ごしました。
 かろうじてけがを負うことは避けられたものの、自分が世話をした駱駝をこの広場で見つけることができなかった男は、その背に積んでいた荷が駱駝もろとも谷底へ落下していくところを思い浮かべ、悔し涙を流しました。
 騎馬隊の男たちは、眠りにつく前に何度も何度も自分の弓矢と短剣の確認をしました。確認を終えて眠りにつこうとする度に、「弓の弦は切れそうになっていなかったか。短剣の刃はこぼれていなかったか」と気になってきて、確認せずにはいられなくなってしまうのでした。このようなことは、初めて戦場に出る時以来のことでした。
 そのような中で、苑は羽磋や王柔や理亜のことを考えて、まんじりともせずに夜を過ごしていました。
 讃岐村から土光村へ移動するときに羽磋と一緒に戦った、あの隘路が思い出されました。あれはまだ羽磋もこの隊に合流して間もない頃で、苑も羽磋との距離を測りかねていました。でも、羽磋はびっくりするぐらい真っすぐな性格で、苑はすぐに打ち解けることができました。それに、苑は羽磋からすれば年下で未成人でしたが、親しみと同時に護衛隊の先輩という敬意も持ってくれていることが、彼の態度から感じることができました。目蓋を閉じれば、羽磋の固い意志が宿る強い眼差しが浮かび上がってきます。あの羽磋が、まさか・・・・・・。
 それに、王柔。他人と争うよりも自分が我慢して物事をやり過ごそうとするその気弱な性格は、年少とは言え匈奴の勇敢な男である苑の好むところではありませんでした。でも、羽磋と一緒にいることが多かったからでしょうか、最近の王柔は少し変わってきたように思っていたところでした。特に理亜のことになると、王柔は面倒事を避けようとか人に任せてしまおうとかせずに、積極的に自分自身で物事に当たっていました。それは、確かにうまくいっているとは言い難かったかもしれませんが、これまでの王柔よりも今の王柔の方が、苑にはずっと好ましく見えていました。やはり、王柔が谷底に落ちてしまったというのも、理亜を守ろうとしてのことなのでしょうか。
 ああ、それに、理亜。苑は少女の赤い髪、そして、たどたどしい月の民の言葉で歌われる「はんぶんナノ」の唄を思い出しました。一緒にいたのは短い間でしたが、彼女は交易隊や護衛隊の男たちからずいぶんと可愛がられていましたし、隊の中に自分よりも年下がいなかった苑にとっても、とても愛らしい存在でした。その小さな理亜までもが、谷底へ落下してしまったというのです。
 羽磋たちのことを考え出すと、自分の体がむずむずとしてきて、苑はどうしようもなくなってしまいました。羽磋たちを探しに行きたくて仕方がないのです。でも、谷底へ降りる道などどこにもありませんし、あまりにも深くて昼間でも岩壁の暗い影に隠れてしまっている川面を、この暗い中で上から眺めることなどとてもできません。それに、そもそも、護衛隊の一員である苑には交易隊を守るという仕事があります。冒頓の命令なしに、隊を離れて勝手な行動をすることなどできません。
 それは、もちろん苑にもわかっています。わかってはいるのですが、体が大地に横たわっているのを拒否するのです。
 しばらくは、なんとか明日に備えて眠りにつこうと努力をしていた苑でしたが、とうとうあきらめて体を起こしました。
 苑は、周りで眠っている男たちを起こさないように気を付けて立ち上がると、足音を立てないようにそっと歩き出しました。彼が向かっているのは、この広場の縁の谷底へ臨むところでした。下を見ても何も見えないことはわかっていても、どうしても羽磋たちを探さずにはいられなかったのでした。
 もうすっかり夜もふけていました。柔らかな月明かりと夜番の者が絶やさないように気を付けている焚火の明かりが、広場に隆起している砂岩の塊から、底なしの穴のような黒い影を伸ばしていました。そこかしこから、けがをした者が漏らすうめき声が聞こえてきました。
 だんだんと心細い気持ちが増してくるのを吹き飛ばすように頭をブルブルと振ると、苑は小走りになって縁の方へと向かいました。
 隊の多くの者は焚火が置かれている広場の中央の方へ集まっていて、縁の方には誰もおりません。焚火の明かりはここまでは届いていませんから、うっかりと足を踏み外して落下しないように気をつけながら進まなければならないほど、暗くなっています。でも、驚いたことに、苑はその暗がりの中で、月明かりを背に受けながら谷底を見下ろしている、細身の男の姿を見つけたのでした。
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