月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第115話

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「ありがとうございます、お気を使っていただいて。でも、大丈夫です。もともと、僕は遊牧隊として季節に合わせてゴビを走り回っていましたから、夜番の経験もあるんです。それに、土光村に来るまでの間、小野殿の交易隊に入れていただき、そこでも夜番を経験していますから、交易隊の夜番も初めてではないんです」
「ああ、そうなんですか。遊牧隊の方だったんですね、羽磋殿は」
「ええ、そうなんです。とは言っても、たくさんの家畜を連れて移動する遊牧隊と、遠くの場所を目的地として移動する交易隊では、進む速度が全く違いますので、正直に言うと、こちらの方が大変なんですけどね」
 羽磋はそう言って、王柔に笑って見せました。もっとも、大変だとは言いながらも、羽磋の足取りはしっかりとしたもので、体調の面では心配はなさそうでした。実際のところ、同じ夜番に配置された苑とのなにげない話が楽しくて、羽磋は夜番の後半に配置されている者と交代することなく、そのまま朝まで語り明かしたいとさえ、思っていたのでした。
「そうですね、交易隊は移動するのが仕事ですから、一日で相当の距離を歩きますよね。でも、遊牧隊で移動に慣れてらっしゃるからか、羽磋殿は全然大丈夫そうですね」
 王柔は、羽磋の元気な様子を確認して、ほっとしました。そうすると、彼の気持ちは、直ぐに別の心配の方へ移っていきました。
 王柔と羽磋を先頭にして、交易隊の行軍は順調に進んでいます。おそらくは、今日の夕方にはヤルダンの入口近くまで、進むことができるのではないかと思われます。
 ヤルダンの西側、吐露村側には、大きな砂岩の壁「ヤルダンの門」があり、明確にヤルダンとそれ以外の地域が区別されています。しかし、ヤルダンの東側、土光村側にはそのようなものは無いのでした。土光村から交易路を進んでいくと、変化の少ないゴビの大地に、いつのまにか、ぽつぽつと奇妙な砂岩の塊が増えていき、そして、大規模な砂岩の台地やゴビに刻み込まれた大きな裂け目が、交易路を取り込むように現われてくるのでした。
 そのヤルダンの始まり、砂岩が現われ始めるところまで、あと半日程度のところまで、交易隊は到達しているのでした。
「ヤルダンの中は、一体どうなってしまっているんだろう。あそこは、ただでさえ恐ろしいところだったのに」
 これまでも、ヤルダンを通り抜けるたびに、その異様な雰囲気に怯え、何かが襲い掛かってくるのではないかと、常にビクビクとしていた王柔でした。
 たしかに、今まではヤルダンが恐怖以上の何かを、彼に与えることはありませんでした。しかし、とうとうその恐れが現実のものになり、王花の盗賊団の仲間が、ヤルダンで何者かに深手を負わされてしまったのです。しかも、襲われた者は、「砂岩が動いた」、「奇岩に襲われた」などと、考えられないことを言っているのです。
 王花からこの交易隊の案内人を任されたことももちろんですが、理亜のことを考えると、どうしてもヤルダンの中に入らなければなりません。それは判っているのですが、やはり、ヤルダンがだんだんと近づいて来ていることを考えたときには、王柔は身体が小刻みに震えるのを止めることができないのでした。
「王柔殿、ヤルダンへは、まだ時間がかかるのですか」
「え、ええっ。ああ、ヤルダンですか・・・・・・」
 そんな王柔の気持ちを知るはずもなく、羽磋は先行きの目処を、彼に尋ねるのでした。
 ときおり気落ちして足元に落ちることもある王柔の目線と違って、羽磋の目線は常に遠くに向けられていました。それは自分たちの前にばかりでなく、左右に広がるゴビの大地のはるか先にまで、幅広く向けられていました。
 羽磋にはヤルダンを超え、吐露村へ行かなくてはいけない理由があり、早く前に進みたい気持ちがあります。そして、吐露村で阿部に会ったからといって、自分が探している「輝夜姫が消えてしまわないための方法」が直ぐに見つかるとも思っていません。
 もちろん、そこで解決策が見つかれば一番有難いのですが、そうであれば大伴が彼にそう告げてくれているはずです。やはり、阿部に会って得られるものは自分の旅の道標に過ぎず、自分の求めるものそれ自体は、このゴビの大地のどこかに眠っているのだろう、そう考えているのです。
 自分の旅がこの先もまだまだ続くであろうと覚悟しているからこそ、この自分の歩みの遅さが、羽磋にはもどかしく思えて仕方ないのでした。
「そうですね、今日の内には、ぽつぽつと奇岩が現われはじめる、ヤルダンの入口辺りに辿り着けると思うんですが・・・・・・」
 王柔は羽磋の言葉で、改めて足元に落ちていた視線を上げました。ヤルダンに入るまではそれほど入り組んだ地形を通ることもなく、自分の案内がなくても交易隊がゴビを進んでいくことはたやすいので、いつのまにか、王柔の身体はゴビの大地を歩きながらも、彼の心は自分の迷いの中を歩いていたのでした。
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