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月の砂漠のかぐや姫 第102話
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小部屋の中で、一番扉に近い位置に座っていたのは羽磋でした。羽磋が小野に確認をしてからそれを開くと、明り取りの窓からさぁっと風が吹き込んできて、小部屋の中のむっとした空気を酒場の方へ、そして、その先の店の外へ、押し出していきました。
「いつの間に、こんなに体や心が凝り固まっていたのだろうか」
その風が吹いた後に一度に身体が軽くなったことで、自分がどれだけ話に集中していたのかに気づき、羽磋は驚いてしまいました。
とはいえ、長い一日は終わろうとしています。それに、やることは定まりました。
一度は吐露村に行くことができないのかと心配もしましたが、まずは自分のやれることをやるだけだと考えると、その心配はとりあえず心の脇に片付けておくことができそうでした。
酒場の方でも、日暮れと共に今日の宴の幕がおろされたようで、「ああ、今日は飲んだなぁ」とか、「さ、天幕に戻って、駱駝どもの様子でも見るか」などの声が聞こえてきました。
小野に促されて、羽磋は小部屋を出ました。
「急な出立になりますから、明日、わたしと一緒に、土光村の代表者にご挨拶に行きましょう」
背中から羽磋にかけられた言葉は、せっかくの他部族への留学という機会を活かして、できるだけ多くのつながりを彼に持たせてやりたいという、小野の計らいでした。
後ろを振り返ってそれに感謝を表した羽磋は、最後に部屋を出た王花が閉ざそうとする扉の奥に、まだ、王柔が残っていることに気がつきました。
「いいのよ」
その事を王花に告げようとした羽磋に、王花は優しく応えたのですが、その口調に込められた優しさは、自分に対してのものではなくて、部屋に残っている王柔に向けられたもののように、羽磋には感じられたのでした。
「ちょっとだけ、そっとしておいてあげて」
「大丈夫・・・・・・ですか、王柔殿は」
「大丈夫よ。ああ見えて、王柔は頑張れる子だから」
王柔のことをあまりよく知らない羽磋には、冒頓の言葉で打ちのめされた彼が、すっかり自信を失ってしまったように見えました。ひょっとしたら、もうヤルダンの案内人として活動するのが嫌だと言い出すのじゃないか・・・・・・、そのように思えるほど、彼は萎れてしまったように見えました。
でも、王柔の上司であり、これまで母親のように彼を見守ってきた王花は、羽磋とは全く反対に、心配よりも嬉しさを覚えていたのでした。
今まで、他人とのいざこざを避ける事ばかり考えていた彼が、あのように自分の考えを主張したことが、王花には嬉しい驚きだったのでした。
そこには、まだ、考えの足らないところがあるかもしれません。また、冒頓の持つ鋭さや、羽磋の持つ生真面目さや固い決意と、王柔の持つものとは異なるものであるかもしれません。しかし、彼の心の底に眠っていたなにかが、この理亜のことをきっかけにして、ようやく表に現れ始めたのではないかと、王花は感じているのでした。
自分の周りでそのようなやり取りがなされていたことに、王柔が気付いているはずはありませんでした。
なぜなら、彼は椅子に腰を掛けたまま、ぼんやりと机の上を眺めているのですが、開いている彼の目は実際には何も見ておらず、その耳には周りの音は入ってきてはいないのでした。
彼の心は、ぼんやりとした世界の中を漂いながら、ただ自分だけを相手に、何度も会話を繰り返していて、いつの間にか部屋に残っているのは自分一人になってしまったこと、そして、そこに入ってくる光が太陽の光から月明かりに変わったことさえも、気づいていない状態だったのでした。
王柔は考えているのでした。
・・・・・・冒頓殿が話した言葉が自分の心に突き刺さったのは、それが的を射ていたからじゃないか。
確かに、もっと理亜を大事に考えてほしいという願いを、僕は持っていた。でも、理亜を大事に考えつつこの問題を解決する方法を、僕は考えていただろうか。それを思いつくかどうかはともかくとして、最初からそれを考えるのは自分ではないと、いわば「丸投げ」していたのではないだろうか。
その「実際にどうするのか」というところを考えることから逃げた結果、いまの理亜に潜んでいる危険に気づけなかったのではないだろうか。
そうだ、確かにそうだ。ああ、だから駄目なんだ、僕は。
もちろん、僕が考えるように、理亜をヤルダンに連れて行くのには大きな危険が伴う。それは間違いがない。
でも、冒頓殿の言うように、理亜の現状がいつまでも続くとは限らないんだよ。危険かもしれないけど、解決の手段を求めて動かなければいけないという考えも、それはそれで正しいと思える。
最終的に判断を下すのは、やっぱり、王花殿であり小野殿であると思う。でも、理亜のことを本当に大切に思うのであれば、もっともっと、自分で考えることがたくさんあるんじゃないか・・・・・・。
王柔は考えていました。何度も何度も、同じことについて、考えていました。
酒場の方で片づけをする人の気配も消えてしまい、皆がそれぞれの寝床へと引き上げてしまった後になっても、王柔は小部屋の中で、自分の心の奥底へと潜り続けるのでした。
「いつの間に、こんなに体や心が凝り固まっていたのだろうか」
その風が吹いた後に一度に身体が軽くなったことで、自分がどれだけ話に集中していたのかに気づき、羽磋は驚いてしまいました。
とはいえ、長い一日は終わろうとしています。それに、やることは定まりました。
一度は吐露村に行くことができないのかと心配もしましたが、まずは自分のやれることをやるだけだと考えると、その心配はとりあえず心の脇に片付けておくことができそうでした。
酒場の方でも、日暮れと共に今日の宴の幕がおろされたようで、「ああ、今日は飲んだなぁ」とか、「さ、天幕に戻って、駱駝どもの様子でも見るか」などの声が聞こえてきました。
小野に促されて、羽磋は小部屋を出ました。
「急な出立になりますから、明日、わたしと一緒に、土光村の代表者にご挨拶に行きましょう」
背中から羽磋にかけられた言葉は、せっかくの他部族への留学という機会を活かして、できるだけ多くのつながりを彼に持たせてやりたいという、小野の計らいでした。
後ろを振り返ってそれに感謝を表した羽磋は、最後に部屋を出た王花が閉ざそうとする扉の奥に、まだ、王柔が残っていることに気がつきました。
「いいのよ」
その事を王花に告げようとした羽磋に、王花は優しく応えたのですが、その口調に込められた優しさは、自分に対してのものではなくて、部屋に残っている王柔に向けられたもののように、羽磋には感じられたのでした。
「ちょっとだけ、そっとしておいてあげて」
「大丈夫・・・・・・ですか、王柔殿は」
「大丈夫よ。ああ見えて、王柔は頑張れる子だから」
王柔のことをあまりよく知らない羽磋には、冒頓の言葉で打ちのめされた彼が、すっかり自信を失ってしまったように見えました。ひょっとしたら、もうヤルダンの案内人として活動するのが嫌だと言い出すのじゃないか・・・・・・、そのように思えるほど、彼は萎れてしまったように見えました。
でも、王柔の上司であり、これまで母親のように彼を見守ってきた王花は、羽磋とは全く反対に、心配よりも嬉しさを覚えていたのでした。
今まで、他人とのいざこざを避ける事ばかり考えていた彼が、あのように自分の考えを主張したことが、王花には嬉しい驚きだったのでした。
そこには、まだ、考えの足らないところがあるかもしれません。また、冒頓の持つ鋭さや、羽磋の持つ生真面目さや固い決意と、王柔の持つものとは異なるものであるかもしれません。しかし、彼の心の底に眠っていたなにかが、この理亜のことをきっかけにして、ようやく表に現れ始めたのではないかと、王花は感じているのでした。
自分の周りでそのようなやり取りがなされていたことに、王柔が気付いているはずはありませんでした。
なぜなら、彼は椅子に腰を掛けたまま、ぼんやりと机の上を眺めているのですが、開いている彼の目は実際には何も見ておらず、その耳には周りの音は入ってきてはいないのでした。
彼の心は、ぼんやりとした世界の中を漂いながら、ただ自分だけを相手に、何度も会話を繰り返していて、いつの間にか部屋に残っているのは自分一人になってしまったこと、そして、そこに入ってくる光が太陽の光から月明かりに変わったことさえも、気づいていない状態だったのでした。
王柔は考えているのでした。
・・・・・・冒頓殿が話した言葉が自分の心に突き刺さったのは、それが的を射ていたからじゃないか。
確かに、もっと理亜を大事に考えてほしいという願いを、僕は持っていた。でも、理亜を大事に考えつつこの問題を解決する方法を、僕は考えていただろうか。それを思いつくかどうかはともかくとして、最初からそれを考えるのは自分ではないと、いわば「丸投げ」していたのではないだろうか。
その「実際にどうするのか」というところを考えることから逃げた結果、いまの理亜に潜んでいる危険に気づけなかったのではないだろうか。
そうだ、確かにそうだ。ああ、だから駄目なんだ、僕は。
もちろん、僕が考えるように、理亜をヤルダンに連れて行くのには大きな危険が伴う。それは間違いがない。
でも、冒頓殿の言うように、理亜の現状がいつまでも続くとは限らないんだよ。危険かもしれないけど、解決の手段を求めて動かなければいけないという考えも、それはそれで正しいと思える。
最終的に判断を下すのは、やっぱり、王花殿であり小野殿であると思う。でも、理亜のことを本当に大切に思うのであれば、もっともっと、自分で考えることがたくさんあるんじゃないか・・・・・・。
王柔は考えていました。何度も何度も、同じことについて、考えていました。
酒場の方で片づけをする人の気配も消えてしまい、皆がそれぞれの寝床へと引き上げてしまった後になっても、王柔は小部屋の中で、自分の心の奥底へと潜り続けるのでした。
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