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月の砂漠のかぐや姫 第72話
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どうして、王柔は、これほどまでに奴隷の少女を気に掛けるのでしょう。
白い頭布を巻いて月の民の男としてふるまってはいますが、実は、王柔は月の民の者ではありませんでした。彼は月の民の勢力圏の直ぐ西で遊牧を行っている烏孫の者でした。烏孫と月の民は、その遊牧を中心とした生活様式や、身体の特徴もよく似ていました。その上、言葉も通じますから、彼のように堂々と月の民を名乗り、自分の後ろ盾となる存在があれば、出自を疑われることはないのでした。
烏孫の勢力圏は、吐露村を抜けてさらに西へ行った先に広がっています。その烏孫の男である王柔が、ヤルダンで王花の盗賊団の一員となっているのは、何故なのでしょうか。
王柔は、幼いころから王花の盗賊団の一員であったというわけでは、ありませんでした。彼は烏孫族の父母と共に、遊牧団の一員として、吐露村のはるか西の地で馬や羊を追っていました。
しかし、彼がまだ幼く、十にも満たなかったある年に、彼の部族を風粟の病という恐ろしい病が襲ったのでした。彼の周りでも、次々と病に倒れる人が出ました。人々は病の恐怖に恐れおののきながらも、病人に薬草を煎じて飲ませ、祈祷師に祈りを捧げてもらいましたが、大勢の犠牲者が出るのを止めることはできませんでした。風粟の病は、それこそ風のように周囲に広がっていき、罹患した者は高熱を発すると共に全身に粟のような紅斑が生じる病で、一度その病に罹れば半数は死に至ると言われる恐ろしい病なのでした。
残念なことに、王柔の両親も、その病の犠牲となって息を引き取りました。また、彼の兄や姉も亡くなってしまいました。彼に残されたのは、自分自身の命の他には、まだ小さな末の妹、ただ一人でした。
烏孫族は月の民のように根拠地を持たず、一族全てが遊牧民として移動しながら生活をしていました。そのため、病の大嵐が大勢の犠牲者を出しながら彼の部族を通り過ぎたあと、彼を助けてくれる近しい親族は残っていませんでした。一つの場所で集団生活をし、同じ水を飲み、同じ空気を吸う彼ら遊牧の民。彼の部族は、壊滅と言えるほどの大きな打撃を、その病によって受けていたのでした。
烏孫族も、月の民と同じく、大小の部族の緩やかな集合体です。王柔と稚(チ)と呼ばれていた彼の妹は、他の部族にいた父の知り合いに引き取られました。そこには、同情とやさしさもあったでしょうし、人手が欲しいという現実的な考えも合ったと思われましたが、荒野でのたれ死ぬ可能性すらあった兄妹からすると、それはとてもありがたいことでした。
恐ろしい災厄が過ぎ去った後、その頃はまだ柔と呼ばれていた王柔は、養父と共に遊牧に精を出し、稚は養母や他の子供たちに見守られながら、順調に成長していきました。
ところが、ある日、遊牧先から王柔が天幕に戻ってきたのに、いつも兄を迎えるために真っ先に飛び出してくる妹の姿が見られなかったのでした。
「小稚ー。どうしたー兄が帰ったぞー」
始めは、そう天幕に向って声をかけながら、いつものように、集めてきた羊や馬の世話をしていた王柔でしたが、いつになっても稚がやってくる様子は見られませんでした。不思議に思い天幕の方へ向かった王柔を迎えたのは、バツの悪そうな顔をした養母でした。
この時、自分がどのような話をし、どのような行動をしたのか、王柔ははっきりとは覚えていません。あまりに頭に血が上り、興奮してしまっていたからなのでしょう。ただ、一つだけ、はっきりとした事実がありました。その事実とは、そのころ遊牧を行っていた地域を交易隊が通過するのを良い機会として、養母が稚を奴隷として売り払ってしまった、というものでした。
「妹を、小稚を探さねばっ。どこに行った、小稚!」
おそらくその話を聞いた途端に、王柔の身体は動いていたのでしょう。彼は自分が遊牧に出る際に持ち出す、水や食料の入った革袋を掴むと、愛馬に飛び乗って脇目も振らずに駆けだしました。
「お待ちよ、柔っ。仕方なかったんだよ! あの子は、あの子は・・・・・・」
彼の背を、養母が慌てて叫んだ言葉が追いかけましたが、それは、妹への心配で胸が一杯な彼の耳には、全く届いていませんでした。
天幕を飛び出したからと言って、彼に妹がどこにいるかの見当がついているわけはありません。彼は、思いつくまま馬を走らせ、やがて、馬がつぶれて倒れてしまった後はその足で、ただやみくもに走り続けました。
「稚、小稚・・・・・・。どこだ・・・・・・」
性も根も尽き果て、とうとう彼は大地に倒れ込んでしまいました。
仰向けになり空を見上げる王柔。妹はどこに行ってしまったのか・・・・・・。風が巻き上げる砂で霞んだ青空の下で、王柔は、自分が極々小さな存在であり、この広い空の下のどこかにいるはずの妹を探し出すには、あまりにも手が短いことを実感していたのでした。
水も食料もなく、気力という支えさえも尽きようとしていた王柔。このままゴビの土に還る恐れさえあった彼でしたが、どういう精霊の導きか、その彼を拾うものがあったのでした。
それは、良馬の産地として知られる西域イリ地方を発してアルマトを通り、この烏孫を抜けて吐露村へ向かおうとしていた、小野の交易隊だったのでした。
小野の交易隊は阿部の指示のもと動いています。今ではヤルダンの管理を任されている王花の盗賊団は、阿部の認めるところで、その任を行っています。そのようなつながりによって、王柔は王花の盗賊団の一員となったのでした。これには、色々ないきさつがあったのですが、彼が盗賊団の一員となったのは、いつか妹を連れた奴隷商人に巡り合うかもしれないという、淡い淡い希望を持っていたということもあったからなのでした。
それにしても、無鉄砲に部族を飛び出していった彼が、荒野で干からびて死ぬわけでもなく、また、奴隷として売られることもなかったのは、偶然にも交易隊に拾われた、それも、他の交易隊でなく小野の交易隊に拾われた、まさにその巡り合わせによるものだったのでした。
白い頭布を巻いて月の民の男としてふるまってはいますが、実は、王柔は月の民の者ではありませんでした。彼は月の民の勢力圏の直ぐ西で遊牧を行っている烏孫の者でした。烏孫と月の民は、その遊牧を中心とした生活様式や、身体の特徴もよく似ていました。その上、言葉も通じますから、彼のように堂々と月の民を名乗り、自分の後ろ盾となる存在があれば、出自を疑われることはないのでした。
烏孫の勢力圏は、吐露村を抜けてさらに西へ行った先に広がっています。その烏孫の男である王柔が、ヤルダンで王花の盗賊団の一員となっているのは、何故なのでしょうか。
王柔は、幼いころから王花の盗賊団の一員であったというわけでは、ありませんでした。彼は烏孫族の父母と共に、遊牧団の一員として、吐露村のはるか西の地で馬や羊を追っていました。
しかし、彼がまだ幼く、十にも満たなかったある年に、彼の部族を風粟の病という恐ろしい病が襲ったのでした。彼の周りでも、次々と病に倒れる人が出ました。人々は病の恐怖に恐れおののきながらも、病人に薬草を煎じて飲ませ、祈祷師に祈りを捧げてもらいましたが、大勢の犠牲者が出るのを止めることはできませんでした。風粟の病は、それこそ風のように周囲に広がっていき、罹患した者は高熱を発すると共に全身に粟のような紅斑が生じる病で、一度その病に罹れば半数は死に至ると言われる恐ろしい病なのでした。
残念なことに、王柔の両親も、その病の犠牲となって息を引き取りました。また、彼の兄や姉も亡くなってしまいました。彼に残されたのは、自分自身の命の他には、まだ小さな末の妹、ただ一人でした。
烏孫族は月の民のように根拠地を持たず、一族全てが遊牧民として移動しながら生活をしていました。そのため、病の大嵐が大勢の犠牲者を出しながら彼の部族を通り過ぎたあと、彼を助けてくれる近しい親族は残っていませんでした。一つの場所で集団生活をし、同じ水を飲み、同じ空気を吸う彼ら遊牧の民。彼の部族は、壊滅と言えるほどの大きな打撃を、その病によって受けていたのでした。
烏孫族も、月の民と同じく、大小の部族の緩やかな集合体です。王柔と稚(チ)と呼ばれていた彼の妹は、他の部族にいた父の知り合いに引き取られました。そこには、同情とやさしさもあったでしょうし、人手が欲しいという現実的な考えも合ったと思われましたが、荒野でのたれ死ぬ可能性すらあった兄妹からすると、それはとてもありがたいことでした。
恐ろしい災厄が過ぎ去った後、その頃はまだ柔と呼ばれていた王柔は、養父と共に遊牧に精を出し、稚は養母や他の子供たちに見守られながら、順調に成長していきました。
ところが、ある日、遊牧先から王柔が天幕に戻ってきたのに、いつも兄を迎えるために真っ先に飛び出してくる妹の姿が見られなかったのでした。
「小稚ー。どうしたー兄が帰ったぞー」
始めは、そう天幕に向って声をかけながら、いつものように、集めてきた羊や馬の世話をしていた王柔でしたが、いつになっても稚がやってくる様子は見られませんでした。不思議に思い天幕の方へ向かった王柔を迎えたのは、バツの悪そうな顔をした養母でした。
この時、自分がどのような話をし、どのような行動をしたのか、王柔ははっきりとは覚えていません。あまりに頭に血が上り、興奮してしまっていたからなのでしょう。ただ、一つだけ、はっきりとした事実がありました。その事実とは、そのころ遊牧を行っていた地域を交易隊が通過するのを良い機会として、養母が稚を奴隷として売り払ってしまった、というものでした。
「妹を、小稚を探さねばっ。どこに行った、小稚!」
おそらくその話を聞いた途端に、王柔の身体は動いていたのでしょう。彼は自分が遊牧に出る際に持ち出す、水や食料の入った革袋を掴むと、愛馬に飛び乗って脇目も振らずに駆けだしました。
「お待ちよ、柔っ。仕方なかったんだよ! あの子は、あの子は・・・・・・」
彼の背を、養母が慌てて叫んだ言葉が追いかけましたが、それは、妹への心配で胸が一杯な彼の耳には、全く届いていませんでした。
天幕を飛び出したからと言って、彼に妹がどこにいるかの見当がついているわけはありません。彼は、思いつくまま馬を走らせ、やがて、馬がつぶれて倒れてしまった後はその足で、ただやみくもに走り続けました。
「稚、小稚・・・・・・。どこだ・・・・・・」
性も根も尽き果て、とうとう彼は大地に倒れ込んでしまいました。
仰向けになり空を見上げる王柔。妹はどこに行ってしまったのか・・・・・・。風が巻き上げる砂で霞んだ青空の下で、王柔は、自分が極々小さな存在であり、この広い空の下のどこかにいるはずの妹を探し出すには、あまりにも手が短いことを実感していたのでした。
水も食料もなく、気力という支えさえも尽きようとしていた王柔。このままゴビの土に還る恐れさえあった彼でしたが、どういう精霊の導きか、その彼を拾うものがあったのでした。
それは、良馬の産地として知られる西域イリ地方を発してアルマトを通り、この烏孫を抜けて吐露村へ向かおうとしていた、小野の交易隊だったのでした。
小野の交易隊は阿部の指示のもと動いています。今ではヤルダンの管理を任されている王花の盗賊団は、阿部の認めるところで、その任を行っています。そのようなつながりによって、王柔は王花の盗賊団の一員となったのでした。これには、色々ないきさつがあったのですが、彼が盗賊団の一員となったのは、いつか妹を連れた奴隷商人に巡り合うかもしれないという、淡い淡い希望を持っていたということもあったからなのでした。
それにしても、無鉄砲に部族を飛び出していった彼が、荒野で干からびて死ぬわけでもなく、また、奴隷として売られることもなかったのは、偶然にも交易隊に拾われた、それも、他の交易隊でなく小野の交易隊に拾われた、まさにその巡り合わせによるものだったのでした。
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