月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第55話

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 三日ほど前、ゴビの赤土の上で、羽磋はひたすらに馬を走らせていました。替え馬もない状態でそのように馬を走らせていては、馬がつぶれてしまう恐れがあるのは、羽磋にもわかっていました。でも、気が急いて急いて仕方がなかったのでした。
「輝夜が消えてしまうなんて嫌だ。絶対に、何とかする手段を見つけるんだ」
 そう胸の中で繰り返しながら、道なきゴビの大地を進む羽磋は、自分の身体にのしかかってくる不安から逃れるために、前に進むしかなかったのでした。
 高台で別れる前に、大伴からは、おおよその進むべき方向と、交易隊が目印のために上げてくれる狼煙の色などについての指示がありました。まだ狼煙が上がる夕刻までには時間があるので、交易隊が今どこにいるのかを正確には確認はできないのですが、遊牧を行う彼らは、太陽の位置などから、方角を知ることが出来ます。羽磋は、大伴が教えてくれたおおよその方角に従って、進んでいるのに間違いはないはずでした。それでも、羽磋の胸の中には、「本当にこの方向でいいのか」、「間違いなく交易隊に合流できるのか」という不安が、消えることなく存在し続けているのでした。
「どう、どうどう・・・・・・」
 駄目だ、このままでは駄目だ。
 羽磋は、自分の気持ちを落ち着かせるためと、馬を休ませるために、思い切って一度止まることにしました。自分では全く意識はしていないのですが、このような気持ちが高ぶった状態でも、冷静な判断を行う余裕を心のどこかに持っていられる、それが羽磋の長所の一つなのでした。
 羽磋は、グッと背をそらして空を見上げました。いつも通りの青い空に、白い薄雲がちらほらと浮かんでいます。頬には、細かい砂を含んだ風が当たっています。これも、いつものゴビの上を流れる風です。ゴビは何も変わっていません。それに、これまでも、宿営地から離れて一人で羊を追い、太陽の方角と宿営地で上がる狼煙だけを頼りに戻ってくることなどは、何度も経験しています。でも、どうしてでしょうか、どうして、これほどまでに不安を感じてしまうのでしょうか。
 羽磋は、自分の中に生じた不安を、どう扱ってよいかわからずにいました。それは、彼の中に生じた異物で、受け入れることも、慣れることもできないものなのでした。
「いや、こんなことじゃ駄目なんだ。俺は成人を認められたんだ。もう、一人前なんだ。しっかりしないと」
 パンパンッと自分の頬を叩いて、羽磋は自らに気合いを入れました。もっとも、そうやって気合を入れた当初は姿を消したかに見える不安は、実際には意識の水面下に身を潜めただけで、すぐに浮かび上がってくるのでしたが。
 いかに将来を見込まれているとはいえ、まだ十二歳の少年です。成人した当初は、失敗を重ねながら色んなことを学び、少しずつ責任ある仕事に携わっていくというのが通常の流れなのに、いきなり「ただ一人で他の部族のところへ行く」、それも、単に行くだけでなく「輝夜姫を救うために月の巫女に関する秘儀を調べに行く」というのですから、不安に押しつぶされそうになるのは、当然のことと言えました。
 いろんな状況が重なった中で、大伴としては、できるだけのことをしたのでしょう。大伴自身は、双蘼(シュアミ)族に出されていた時は、まだ成人しておらず、そのために自分で重大な判断ができない歯がゆさも経験していましたから、息子を他族に出すことがあるのなら成人させてからにしてやりたい、という思いがあったのかも知れません。
 これから羽磋が自分で色々な決断をすることが出来る、という意味では、大伴の考えの通り、成人していることは彼に取って大きな助けになるでしょう。しかし、成人としての第一歩を踏み出すこの時のことだけを考えると、誰の助けも得ることが出来ないこの状況は、羽磋の身体にギュッと力を入れさせる、厳しいものになっているのでした。
 羽磋は、ゆっくりと馬の腹を蹴り、馬が自然に歩く速度に任せて進み始めました。
 まずは、進まなければ始まらないのです。
 これから何があるにしても、今ここで止まっているよりは、良いのです。なぜなら、止まっているということは、少しずつ近づいてくる、輝夜姫が消えてしまうという危険に対して、何もしないということなのですから。
 輝夜姫に対しての心配が、羽磋の心から消えるはずがありません。これからのことに対する不安が、無くなるはずもありません。でも、馬の背にゆっくりと揺られているうちに、少しずつではありましたが、羽磋の身体から、迷いが消えていきました。
 そう、「迷っていても、恐れていても、前に進むしかないのだ」ということに、羽磋は気が付いたのでした。
 少年は、父から譲られた短剣を、そっと右手で撫でました。その短剣からは、大きな力が伝わってくるようでした。そして、父から渡された革袋に入っている、面のことを思い浮かべました。父は「めったなことでは人に見せるな」と言いながら、小刀で面の裏に羽磋の名前を彫り付け、渡してくれたのでした。「羽磋」の名の上には「大伴」と、その上には「造麻呂」と彫られているその面のことを考えると、これからのことについての不安が、少し和らぐような気がしました。さらに、少年は空を眺め、雲の間に、恋しい人を思い浮かべました。そこに浮かんでいる輝夜姫の姿は、不安そうな様子など少しも見せておらず、何事にも頑張っているいつもの元気な様子でした。その姿を見た少年は、自分の身体を縛っていた目に見えない縄が、ボロボロと崩れ落ちていって、身体が自由に動かせるようになったと感じられるのでした。
「あれは‥‥‥」
 夕暮れが近づいてきたゴビの大地に、狼煙が上がっていました。
 羽磋の前方で上がるその狼煙は、大伴から聞いていた本数と色のものでした。
「交易隊だっ」
 羽磋は、ぶるぶるっと顔を振ったかと思うと、朱に染まりだした空に流れ消えていく狼煙の立つところへ向かって、馬を走らせるのでした。
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