月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第47話

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 同じころの宿営地の中では、竹姫が一人、天幕の中に敷かれた布の上で膝を抱えていました。竹姫は大伴の一族と行動を共にしていたので、食事のときや休むときには、大伴達と同じ天幕か一族の女性たちが利用する天幕を使っていました。しかし、今は、日頃は使っていない、月の巫女のために用意された天幕の中に籠っていました。一人になりたい、誰にも会いたくない、そのような気持ちを抱えていたからです。
 常日頃であれば、積極的に自分から仕事を探し、水汲みや家畜の世話などを手伝う竹姫でしたが、やはり、他の人たちから特別に扱われている存在であることには、間違いがありません。もしもこれが、他の若者であれば、たちまち「怠けていないで仕事をしろ」との声が飛んでくるところですが、竹姫が自分の天幕に籠っていても、そのような叱責をする者は一人もおりません。むしろ、年長の者などには、「今日は大人しくしていてくれて助かる」などと考える者さえいるのでした。月の巫女とは精霊に近しい存在、万が一怪我でもされて、精霊の怒りを買うことがあっては困ると考える者もいたのです。
「羽は、どうしてあんなに怒っていたのだろう‥‥‥」
 竹姫は、もう何度繰り返したかわからない問いを、また自分に投げかけていました。
 あの時、羽はなんて言っていただろうか。「風邪を引いたとは、どう意味だ」、ああ、そうだ、二人が寝込んだのは風邪のせいじゃないって言っていた。それに、砂漠でハブブに襲われたとも。そして、「二人だけの秘密」とも言っていた。それに私に「名」を贈ってくれたとも。「名」を、人外の私に、「名」を。
 でも、竹姫が何度頭の中をぐるぐると駆けまわってみても、覚えていることを一つずつ順番に並べていっても、羽が話していた「ハブブに襲われた」り、「二人だけの秘密」を持ったり、「名を贈られた」りした記憶は、出てこないのでした。
 それに、「竹姫」。ああ、羽が自分を「竹姫」と呼ぶだなんて。もちろん、竹姫には、羽が彼女を心の底から拒絶したいと思って「竹姫」と呼んだなどとは、とても思えませんでした。怒りのあまり、いや、その前に羽が見せた哀しさのあまり、一時の感情の迸りとして出てきてしまった言葉だとは思います。しかし、たとえそうだとしても、その言葉は彼女の心を深く傷つけるものでした。それは、二人の間に生じてしまった溝がどれだけ大きなものかを、明確にするものでもありました。
 二人だけの秘密。名。そして、去り際に羽が語った夢! 羽は、竹姫と一緒に世界を見て回る、それが彼の夢で、砂漠で竹姫にその約束をしてくれたと話していました。
 自分がどれほど自分の居場所を欲していることか。この世界を見て回りたいと思っていることか。もし、羽と言う自分の最も大好きな人が、自分を認めて名を贈ってくれた上に、自分を世界に連れ出してくれるという約束をしてくれたなら、それ以上に嬉しいことがあるでしょうか。もし本当にそれがあったことならば、そのような大切なことを、自分が忘れているなんて、竹姫にはとても考えられないのでした。
「羽、判らない、判らないよ‥‥‥」
 竹姫は、膝を抱えた両手の上に、その小さな頭を力なくのせてつぶやきました。泣いてはいません。ただ、なんと言い表せばいいのでしょうか。心が、ゴビの赤土のように乾いて、溢れ出ようとする涙までも、吸い込んでしまっているかのようでした。

「竹姫、竹姫は中にいらっしゃいますか」
 天幕の外から、竹姫に呼び掛ける声がありました。今は誰とも会いたくない気持ちの竹姫でしたが、その声にはすぐに答えました。声の主が、大伴だったからです。
「大伴殿、お待ちください。すぐに出ます」
 天幕の外に出た竹姫を見た大伴は、その生気のなさに驚きました。竹姫は羽磋よりも早く目を覚ましていたので、大伴は竹姫と話をする機会を持っていました。その時の竹姫と、いま目の前にいる竹姫では、どちらが眠りから覚めた直後かわからないほど、彼女からは大事な何かが感じられませんでした。
「いったいどうされたのですか、竹姫。疲れでもでましたか」
 用件を伝えるよりも先に、竹姫の身体を心配する言葉が、大伴の口から出ました。
「いいえ、大丈夫です。でも、そうですね、ちょっと、疲れちゃったのかもしれません」
 そう言って、竹姫は微笑みましたが、その微笑みにもどこかに陰りが見られるのでした。
「大伴殿、羽は、どこにいるかご存知ないですか」
 よほど気になっていたのでしょう。自分の天幕を訪れた大伴の用件を尋ねる前に、竹姫が発した言葉は、羽の居場所を尋ねるものでした。
「竹姫、それについてお知らせに参ったのです」
 大伴は、羽磋のことを手短にまとめて、竹姫に伝えました。羽の成人を認め、名を贈ったこと。彼の名は「羽磋」となったこと。彼の能力を認めて、肸頓(きっとん)族へ出されることになったこと。急なことだが、ちょうど交易隊が近くを通るので、彼は既に旅立ったこと‥‥‥。
「羽磋から、これを預かってきました」
 あまりに急な話で相槌を打つこともできないまま立ち尽くしている竹姫に、大伴は、短剣を差し出しました。
「そして、あなたにこう伝えてくれと言われています。これをあなたに贈る、自分の夢は変わらない、きっとあなたを迎えに行くと。ありがとう、そして、悪かった。自分が戻るまで元気でいてくれ、と」
 竹姫は、目を丸くして大伴の言葉を聞きながら、彼が差し出す短剣を両手で受け取り、胸の前で握りしめました。そう、それだけしか、できませんでした。
「では、確かにお伝えしました。お疲れのご様子です、ゆっくりとお休みください」
 大伴は、伝えるだけのことを伝えると、竹姫を天幕の前に残したまま足早に立ち去りました。いくら女性の心持ちに疎い大伴でも、幼馴染の羽磋が急にいなくなれば、竹姫がどれだけ淋しい思いをするかは想像できます。しかし、その淋しさは、大伴が埋めてやれる類のものではありません。今は独りにしておいてやろう、それが、大伴なりの気配りなのでした。

 すとん。
 自分でも意識しないうちに、竹姫は天幕の中に戻り、崩れ落ちるように敷布の上に腰を下ろしていました。
「えーと、えーと、何の話なんだっけ」
 大伴の話はしっかりと聞いていたものの、竹姫はまだそれをきちんと理解していませんでした。あまりに急な、思いもよらない話だったために、それを受け止めるだけの準備が竹姫の心に出来ておらず、少しずつ整理しながら心の中に落とし込んでいっているような状態でした。
 大伴の話を思い出しながら、竹姫は自分が何かを握っていることに、ようやく気が付きました。短剣です。それは、いつも羽磋が使っていた短剣でした。
「これを羽、いえ、羽磋がわたしに贈るって‥‥‥」
 よく見ると、短剣には羽の名前と共に、別の字が刻みつけられていました。
「輝夜‥‥‥」
 竹姫は、その言葉をゆっくりと口に上らせました。
「大伴殿が言っていた。羽磋がわたしにこれを贈ると。輝夜、輝夜‥‥‥ああ、輝夜‥‥‥。羽、羽‥‥‥。羽‥‥‥うううう、あああ、ああああっ・・・・・・」
 羽磋が言っていました。自分が竹姫に名を贈ったと。竹姫は、「輝夜」という言葉を口に出した瞬間に、わかったのです。これこそが、彼が自分に贈ってくれた「名」だと。
 そして、それと同時に、せき止められていた気持ちが、急に心の奥からあふれ出てきました。
 羽は、自分に名を贈ってくれていたんだ。認めてくれていたんだ。羽は、羽は? 羽はどこにいるの? きっとわたしと一緒にいてくれるんだ。一緒に夢を見てくれるんだ、羽は、羽は? 羽はいないの? 羽は? 出された。肸頓族へ。もう、ここへは帰ってこない? 羽が? 羽が? 帰ってこないの? 羽、羽・・・・・・。
 竹姫の頬を涙が伝い、敷布の上に落ちました。竹姫は泣いていました。
 誰も訪れることのない天幕の中で一人、羽磋から贈られた短剣を握りしめ、竹姫はいつまでも肩を震わせているのでした。
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