月の砂漠のかぐや姫

くにん

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月の砂漠のかぐや姫 第36話

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「竹姫の話だ。まず確認するが、俺が不在の間に、砂漠でお前が見聞きしたことを誰かに話したか」
 大伴の声は、低く小さなままでした。周囲に気を配りながら、背中を預ける羽磋にだけ聞こえるように気を配っています。
「え、いえ、誰にも話していません。俺が目を覚ましてから、竹と話をするまで誰とも、いや、母上と話をしました。でも、砂漠での出来事は話をしていません。竹とは話をしましたが全然話がかみ合わなくて、とても他の人と話すどころでは‥‥‥。そうです、父上。どうして、竹と母上に、俺たちが高熱を出して倒れていたと説明をされたのですか」
 羽磋も、大伴に倣って、低く小さな声で話しました。しかし、大伴に問いただそうとしていた高熱の件について話すときには、声が大きくなるのをこらえるために努力が必要でした。そうです、思いがけず自分の成人の話が出て後回しになってはいたのですが、説明のことを大伴に尋ねなければならないと、羽磋はずっと思い詰めていたのでした。
「そうか、誰にも話していないか。それは良かった」
 それは、よほど、大伴の中で心配されていたことなのでしょう。大伴の声には、明らかな安堵の響きがありました。
「高熱の件については追々説明するさ。まずは、お前の砂漠での体験を聴かせてくれ。そもそも、俺はお前たちが倒れているところを見つけて連れ帰ってはきたが、なぜ倒れていたか、その原因は知らないんだぞ」
 「確かにそれはそうだ」と羽磋は思いました。自分たちが倒れていた理由を大伴が知るわけはないのです。とはいえ、羽磋自身も、その点についてはよくわからないというのが正直なところなのですが。「意識を失って倒れていた原因がわからないから、とりあえず、高熱を出して倒れていたこととした」というところが、大伴の説明の理由なのかもしれません。でも、大伴の口ぶりからは、それ以上の何かがあることが窺えるのでした。
 その何かを問い質したいところではありましたが、羽磋は、年長者である大伴の言葉に従い、自分の疑問の追求は後に回して、竹姫と砂漠で経験した出来事をはじめから話すことにしました。もっとも、お互いの悩み、夢、希望、そして、二人だけの秘密については口にはせず、自分の胸にしまって置くことにしました。それは、そもそも大伴に話す必要がないことと思えましたし、竹姫の前では怒りのあまりあのような言葉を口にしてしまいましたが、竹姫が大事な存在であること、そして、竹姫が行きたいところ全てを二人で旅をして回るのが彼の夢であることは、今でも羽磋の中で全く変わっていなかったからです。そう、終わってしまった夢や果たせなかった希望を話すことはできても、自分が今抱いている夢や希望は、照れや恥ずかしさがあって、なかなか話せないものです。特に、その相手が自分の父親である場合は、なおさらなのでした。

「それで、すみません、結局ハブブに追いつかれてしまった俺たちは、駱駝を盾にしてなんとかハブブをやり過ごすことしかできませんでした。でも、悪いことにハブブの中を暴れまわっていた竜巻が、どんどんと俺たちの方へ接近してきて‥‥‥」
「竜巻にまで襲われたのか。よく、無事でいられたな、お前たちは」
 現実に二人が無事でいるからこそ出せるあきれたような声を、大伴が出しました。
「ええ、ほんとにそうです。おれは覚悟を決めて、竹の上に覆いかぶさりました。それしかできなかったのです。その時、竹が、何か唄のようなものを歌っていたことを覚えています。その後は、目が覚めるときまで何も覚えていません」
 羽磋の話が、竜巻に追われて竹姫が唄を歌ったくだりになると、突然、大伴は身をひねり、羽磋に向き合いました。そして、驚いた羽磋に顔を近づけて、ひどく興奮した様子で問いただしました。
「唄だと。唄を歌っていたのか。どんな唄か覚えているか、羽磋」
 自分が呪い(まじない)言葉を唱えていたように、竹姫も危険を避ける祈りの唄を歌っていたのだろうとしか考えていなかった羽磋は、大伴のあまりの勢いに戸惑いながら、唄の断片が残っていないか記憶の中を探しまわりました。
「唄ですか、えーと、たしか、雲を湧き立ててあなたがやってくる、繰り返しやってくる、わたしはそれを知っている、これからもずっと、というような、すみません、切れ切れでしか覚えていなくて」
「いや、十分だ、ありがとう」
 大伴は、目を閉じて羽磋の返した歌の断片を聞き取りました。何か思い当たることがあるのでしょうか、再び元の方を向いて羽磋と背中合わせになった大伴の身体が少し震えているように、羽磋には感じ取れるのでした。
 実は、大伴にとって、その唄の詩は初めて聞くものではなかったのでした。
 「草地の果てに 雲を湧き立て 貴方は やって来る・・・・・・」 そうです、竹姫がバダインジャラン砂漠で歌ったというその唄は、かつて、弱竹姫が烏達渓谷で儀式の際に歌った唄に、間違いありませんでした。大伴が十五歳だったあの時、弱竹姫は祭壇の上でこの唄を繰り返し繰り返し歌い、そして‥‥‥。
「羽磋よ、お前は、先代の月の巫女の話を知っているか」
「先代の月の巫女、ですか」
 羽磋は話の突然の飛躍に戸惑いながら、大伴の話に何とかついていこうとして、記憶の引き出しを片っ端から開けていきました。たしか・・・・・・そうです、聞いたことがあります。竹姫のだいぶん前にも双蘼(そうび)族の筑紫(つくし)村から月の巫女が出たことがある、と。
「ずいぶん前のことだそうですが、双蘼族から月の巫女が出たとは聞いています。なんでも、たいそうおきれいな方でしたが、匈奴との闘いの中で、月に還られたとか」
「そうだな、知っていたとしてもその程度かもしれぬな。少し長い話になるが、お前には俺の知っていることを話そう。お前は聞くべきだし、また、聞かねばならん」
 羽磋の返事に納得した様子の大伴は、そう前置きをして、ゆっくりと腰を下ろしました。それに合わせて羽磋も腰を下ろしました。日光にさらされ続けている高台の赤土の熱が、下衣を通して二人の身体に伝わってきました。
 高台の周囲にはゴビの荒地が広がっており、その中に点在するわずかな草地には、羊らとそれを統べる遊牧民が集まっています。そして、大伴と羽磋は、相変らず背中合わせで周囲を警戒したまま、高台の中央に腰を下ろして、長い思い出話を始めようとしています。ゴビのほんの一角で生じたこの奇妙な光景を、秋の薄い雲の向こう側から、太陽の光の薄膜をかぶった白月が、まるで大伴の話を盗み聞きするかのように、ひっそりと見下ろしているのでした。
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