22 / 352
月の砂漠のかぐや姫 第21話
しおりを挟む
「おお、阿部殿」
弱竹姫の後を追いかけてきた大伴も、阿部と弱竹姫の会話に加わりましたが、二人は大伴ではなく、別のところを眺めています。大伴は、二人が見つめる先に何があるのか不思議に思い、二人の視線を追いました。そして、苦々しく顔をしかめました。どうやら、大伴も秋田と呼ばれる男を快く思ってはいないようでした。
三人から投げかけられた視線に気が付いたのか、頭巾をかぶった男は軽く頭を下げました。こちらの方は、頭巾にさえぎられて表情を窺う事はできませんが、その仕草からは、三人に対しての敵意なり悪意なりは感じられませんでした
秋田に礼を返す代わりに、やれやれだ、とでもいうように軽く頭を横に振ってから、阿部は大伴に語り掛けました。
「仕方ないさ、月の巫女を補佐し祭祀をつかさどるあの占い師が、弱竹姫に命の危険が及ぶことはないと言い切ったのだから、それを信じるしかないだろう。そもそも、お前だって、奴の指示に従って、竜の玉を探しに旅立ったのではないか」
「それは、同族の者が次々と失敗をしたために、俺にお鉢が回ってきただけです、阿部殿」
「だが、結果的に、奴の言う通り、祁連山脈を越えた先の青海に竜が潜んでいて、お前がその竜から奪った竜の玉が、あそこに置かれているのだからな。奴の言うことに信憑性が欠けるとは言えまい」
阿部は、今度は視線を祭壇に置かれた机に向けました。机の上には、大人のこぶしほどの大きさのごつごつした岩が、真綿を固めた布を台として置かれていました。朝の光を浴びたその玉は周囲に光を放っていましたが、不思議なことにその光は少しの間も同じ色に留まることはなく、次から次へと五つの色に変化するのでした。
阿部の話に出たとおり、この玉は、かつて秋田が貴霜族に探索を指示したものでした。その指示とは、「貴霜族の放牧地である祁連山脈北側から祁連高原を超えて山脈の南側に抜けると、青海と呼ばれるとても大きな湖がある。その湖には、祖先が月から地に降りたときに竜となったものが、今も潜んでいるのだ。月の巫女の儀式を行うためには、その竜の首のあたりについている五色に光る玉が必要である。手に入れてまいれ」というものでした。その指示を受けて、貴霜族の族長は、壮健な部の者を何人も派遣しましたがいずれも果たせず、とうとう、成人したばかりの大伴に話が回ってきたのでした。何人もの先達が旅立ったまま帰らない探索に出るにあたり、大伴は讃岐の翁に相談を持ち掛け、その助言によって、何とか無事に竜の玉を持ち帰ることができたのでした。
「なればこそですよ、阿部殿。もしも、本当に、もしもですが、弱竹姫に万が一のことでもあれば、あの竜の玉を持ち帰ってきたこの俺が悪いのです」
阿部も大伴も、大事を前にして自分の責任を逃れたいなどと考えるような男ではありません。「自分の行いが原因となって大事な弱竹姫に何かがあっては申し訳ない」という心配が、このような形となって表れているのでした。ただ、心ならずも、その心配を当事者である弱竹姫の前で露わにしてしまっているのは、やはり、年少ゆえに経験の積み重ねが少なく、相手に気を配る余裕が充分でないということ、そして、なによりも、なぜだかその心配があまりにも現実味を帯びていて、もはや自分の心の内に秘めておくには耐えられなくなってきている、ということなのでした。
確かに、精悍な遊牧民の成人男子たる二人がここまで不安に感じるということは、やはり、精霊が二人に対して、この儀式で起こる何かを知らせようとしてくれているのかも知れません。
しかし、そうであれば、人外の存在である弱竹姫にそれが感じ取れないはずはないのです。では、「自分に何か起こるのでは」という心配を感じるそぶりすら見せていない弱竹姫は、そのような不安など全く感じ取っていないのでしょうか。
いいえ、弱竹姫が不安を感じ取っていない訳ではなかったのです。ですが、それを面に出すことが、彼女にはできなかったのでした。
彼女の中のすべての感覚が危険を告げていました。心の中で誰かが「まただ」と泣いていました。別の何者かは「もう嫌だ」と叫んでいました。目の前に草原が広がるのと同じぐらい確かに、彼女は自分には明日が来ないことを悟っていました。なぜなのでしょうか。理由はわかりませんでした。でも、確かにそうなのでしょう。理由などわからなくても、確かにそうであることを、彼女は知っていたのでした。
ただ、その不安や悲しみを面に出したところで、いったい何になるというのでしょうか。彼女は「月の巫女」でした。力を望まれたのです。そして、務めを果たすことによって、月の民の血が流れることが確かに減るのです。そう、彼女は「月の巫女」です。民の幸せ以上に優先すべきものが彼女にあるのでしょうか。力を望まれたのです。力を与えること以外に出来ることがあるのでしょうか。たとえ、彼女自身が何らかの代償を支払わなければいけないのだとしても。
「そう、私は、月の巫女。人外の存在だから」
弱竹姫は、誰にも聞こえないように、そうっと言葉を風に乗せました。自分の成すべきことに納得をしているはずなのです。でも何故だか、そうでもしないと、自分が破裂してしまうような気がしたのでした。
弱竹姫の唇から生まれたその言葉は、直ぐに風によって人のいないところにまで運ばれ、草葉のざわめきの中に消えてしまいました。もちろん、その言葉が生まれたことに気が付いた者は、誰もおりませんでした。
弱竹姫の後を追いかけてきた大伴も、阿部と弱竹姫の会話に加わりましたが、二人は大伴ではなく、別のところを眺めています。大伴は、二人が見つめる先に何があるのか不思議に思い、二人の視線を追いました。そして、苦々しく顔をしかめました。どうやら、大伴も秋田と呼ばれる男を快く思ってはいないようでした。
三人から投げかけられた視線に気が付いたのか、頭巾をかぶった男は軽く頭を下げました。こちらの方は、頭巾にさえぎられて表情を窺う事はできませんが、その仕草からは、三人に対しての敵意なり悪意なりは感じられませんでした
秋田に礼を返す代わりに、やれやれだ、とでもいうように軽く頭を横に振ってから、阿部は大伴に語り掛けました。
「仕方ないさ、月の巫女を補佐し祭祀をつかさどるあの占い師が、弱竹姫に命の危険が及ぶことはないと言い切ったのだから、それを信じるしかないだろう。そもそも、お前だって、奴の指示に従って、竜の玉を探しに旅立ったのではないか」
「それは、同族の者が次々と失敗をしたために、俺にお鉢が回ってきただけです、阿部殿」
「だが、結果的に、奴の言う通り、祁連山脈を越えた先の青海に竜が潜んでいて、お前がその竜から奪った竜の玉が、あそこに置かれているのだからな。奴の言うことに信憑性が欠けるとは言えまい」
阿部は、今度は視線を祭壇に置かれた机に向けました。机の上には、大人のこぶしほどの大きさのごつごつした岩が、真綿を固めた布を台として置かれていました。朝の光を浴びたその玉は周囲に光を放っていましたが、不思議なことにその光は少しの間も同じ色に留まることはなく、次から次へと五つの色に変化するのでした。
阿部の話に出たとおり、この玉は、かつて秋田が貴霜族に探索を指示したものでした。その指示とは、「貴霜族の放牧地である祁連山脈北側から祁連高原を超えて山脈の南側に抜けると、青海と呼ばれるとても大きな湖がある。その湖には、祖先が月から地に降りたときに竜となったものが、今も潜んでいるのだ。月の巫女の儀式を行うためには、その竜の首のあたりについている五色に光る玉が必要である。手に入れてまいれ」というものでした。その指示を受けて、貴霜族の族長は、壮健な部の者を何人も派遣しましたがいずれも果たせず、とうとう、成人したばかりの大伴に話が回ってきたのでした。何人もの先達が旅立ったまま帰らない探索に出るにあたり、大伴は讃岐の翁に相談を持ち掛け、その助言によって、何とか無事に竜の玉を持ち帰ることができたのでした。
「なればこそですよ、阿部殿。もしも、本当に、もしもですが、弱竹姫に万が一のことでもあれば、あの竜の玉を持ち帰ってきたこの俺が悪いのです」
阿部も大伴も、大事を前にして自分の責任を逃れたいなどと考えるような男ではありません。「自分の行いが原因となって大事な弱竹姫に何かがあっては申し訳ない」という心配が、このような形となって表れているのでした。ただ、心ならずも、その心配を当事者である弱竹姫の前で露わにしてしまっているのは、やはり、年少ゆえに経験の積み重ねが少なく、相手に気を配る余裕が充分でないということ、そして、なによりも、なぜだかその心配があまりにも現実味を帯びていて、もはや自分の心の内に秘めておくには耐えられなくなってきている、ということなのでした。
確かに、精悍な遊牧民の成人男子たる二人がここまで不安に感じるということは、やはり、精霊が二人に対して、この儀式で起こる何かを知らせようとしてくれているのかも知れません。
しかし、そうであれば、人外の存在である弱竹姫にそれが感じ取れないはずはないのです。では、「自分に何か起こるのでは」という心配を感じるそぶりすら見せていない弱竹姫は、そのような不安など全く感じ取っていないのでしょうか。
いいえ、弱竹姫が不安を感じ取っていない訳ではなかったのです。ですが、それを面に出すことが、彼女にはできなかったのでした。
彼女の中のすべての感覚が危険を告げていました。心の中で誰かが「まただ」と泣いていました。別の何者かは「もう嫌だ」と叫んでいました。目の前に草原が広がるのと同じぐらい確かに、彼女は自分には明日が来ないことを悟っていました。なぜなのでしょうか。理由はわかりませんでした。でも、確かにそうなのでしょう。理由などわからなくても、確かにそうであることを、彼女は知っていたのでした。
ただ、その不安や悲しみを面に出したところで、いったい何になるというのでしょうか。彼女は「月の巫女」でした。力を望まれたのです。そして、務めを果たすことによって、月の民の血が流れることが確かに減るのです。そう、彼女は「月の巫女」です。民の幸せ以上に優先すべきものが彼女にあるのでしょうか。力を望まれたのです。力を与えること以外に出来ることがあるのでしょうか。たとえ、彼女自身が何らかの代償を支払わなければいけないのだとしても。
「そう、私は、月の巫女。人外の存在だから」
弱竹姫は、誰にも聞こえないように、そうっと言葉を風に乗せました。自分の成すべきことに納得をしているはずなのです。でも何故だか、そうでもしないと、自分が破裂してしまうような気がしたのでした。
弱竹姫の唇から生まれたその言葉は、直ぐに風によって人のいないところにまで運ばれ、草葉のざわめきの中に消えてしまいました。もちろん、その言葉が生まれたことに気が付いた者は、誰もおりませんでした。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。

調子に乗りすぎて処刑されてしまった悪役貴族のやり直し自制生活 〜ただし自制できるとは言っていない〜
EAT
ファンタジー
「どうしてこうなった?」
優れた血統、高貴な家柄、天賦の才能────生まれときから勝ち組の人生により調子に乗りまくっていた侯爵家嫡男クレイム・ブラッドレイは殺された。
傍から見ればそれは当然の報いであり、殺されて当然な悪逆非道の限りを彼は尽くしてきた。しかし、彼はなぜ自分が殺されなければならないのか理解できなかった。そして、死ぬ間際にてその答えにたどり着く。簡単な話だ………信頼し、友と思っていた人間に騙されていたのである。
そうして誰もにも助けてもらえずに彼は一生を終えた。意識が薄れゆく最中でクレイムは思う。「願うことならば今度の人生は平穏に過ごしたい」と「決して調子に乗らず、謙虚に慎ましく穏やかな自制生活を送ろう」と。
次に目が覚めればまた新しい人生が始まると思っていたクレイムであったが、目覚めてみればそれは10年前の少年時代であった。
最初はどういうことか理解が追いつかなかったが、また同じ未来を繰り返すのかと絶望さえしたが、同時にそれはクレイムにとって悪い話ではなかった。「同じ轍は踏まない。今度は全てを投げ出して平穏なスローライフを送るんだ!」と目標を定め、もう一度人生をやり直すことを決意する。
しかし、運命がそれを許さない。
一度目の人生では考えられないほどの苦難と試練が真人間へと更生したクレイムに次々と降りかかる。果たしてクレイムは本当にのんびり平穏なスローライフを遅れるのだろうか?
※他サイトにも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる