月の砂漠のかぐや姫

くにん

文字の大きさ
上 下
12 / 350

月の砂漠のかぐや姫 第11話

しおりを挟む
「また、進み始めましたね」
 逃げた駱駝を探して、終始砂漠の奥の方に気を配っている竹姫と羽。ずっと離れたところに、その二人をじっと見つめている人影がありました。万が一にも二人に見つからないように、注意深く砂丘の影の中に潜んでいるその人物は、バダインジャランでラクダを探す竹姫と羽の行動を、ここまでずっと追いかけてきていたのでした。
 その人物は、二人が移動を再開したのに合わせて、傍らに座らせていた駱駝を立ち上がらせました。二人に気付かれないように一定の距離を保ちつつ、二人を追いかけていくつもりのようでした。

「砂丘の影の中に潜んではいるが‥‥‥どうやら、また動き始めるようだな」
 竹姫と羽を監視している人物からさらに離れたところに、もう一人、傍らに駱駝を座らせて、男が潜んでいました。この男は、竹姫と羽からは遠く離れた場所にいるので、どうやら、二人をではなく影に潜んでいる人物を監視しているようでした。
 竹姫と羽を監視することに気を取られ、逆に自分が監視されるなどとは考えもしていないようなその人物と違い、対象から発見されることのないよう注意深く監視を行い、なおかつ、自らの周囲にも気を放って警戒を怠らない男の様子からは、数々の修羅場を潜り抜けたと思わせる凄みが感じられました。
 筋肉質の大柄な体格で、月の民が騎上で用いるものよりも二回りは多きい強弓を背負うその男は、羽の父であり貴霜族の若者頭、この遊牧隊の長でもある大伴でした。
 バダインジャラン砂漠を彷徨う駱駝。それを探す竹姫と羽。その二人を監視している人物。そして、さらにその人物を監視している大伴。中天に差し掛かかった月は、眼下で繰り広げられているこの奇妙な光景を、どのように感じているのでしょうか。
 ただ黙って、それぞれに平等に青白い光を与える月。その月に、薄く雲がかかってくるのでした。

 砂丘のうねりのほかには特に視界を遮るもののない砂漠では、見かけの距離よりも実際の距離の方が長いことがしばしばあります。竹姫が見つけた「赤い」何かに向って進み始めた二人でしたが、やはりその場所までは、思っていたよりも距離があるのでした。
 途中、砂丘を上ったり下ったりする必要もありましたから、高低差の関係で砂丘に視界を遮られて、どうしても「赤い」ものが見えなくなるときもありました。そんなときには、二人とも声には出しませんでしたが「次にあの場所を見たときに、あれがいなくなっていたらどうしよう」との不安を胸の内に抱えるのでした。
 そのため、急斜面を上り下りするときであっても、竹姫は駱駝の背からずり落ちそうになる身体を、鞍に両手でしがみついたりしながら必死に高く保って、少しでも手掛かりから目をそらさないように頑張るのでした。
 気持ちばかりが焦る中、できる限りの速さで急ぐ二人。
 そして二人は、ようやく、砂地のくぼみの中が良く見えるところまで辿り着きました。
「見て、羽。やっぱり、あの駱駝だったよ! 良かったね!」
「おおっ! 良し! いや、まだ捕まえたわけじゃないからな。大きな声出さないようにな」
 二人にとってうれしいことに、近づくにつれてその「赤い」ものは、逃げた駱駝であることがわかってきました。
 思わず大声を上げて喜ぶ竹姫と羽でしたが、やはり、遊牧経験で鍛えられている羽です。すぐに気を引き締めるのでした。
「むぅ、羽だって大きな声出したくせに‥‥‥。でも、そうだね、ゆっくり静かに、だね」
 竹姫も、羽の言うことをすぐに理解しました。ここで、駱駝が驚いて走って逃げだすようなことがあれば、また一から探索のやり直しです。慎重に慎重に事を運ばなければなりません。二人は、いつもの遊牧生活で駱駝を扱う際には見せたことのないような慎重さで、ゆっくりゆっくり、静かに静かに、逃げた駱駝に近づいていきました。
 斜面を降りてくぼみに入ります。
 静かに、静かに。
 緊張のあまり、足元で砂が踏みしめられる音さえ、とても大きく聞こえてきます。
 もう、赤い布を首に巻き付けた駱駝が、くぼみの中にぽつぽつと生えているアカシアの茂みの横に立っているのがはっきりと見えます。
「竹はここで待っていてくれ」
 少し離れたところで竹姫を乗せた駱駝を停止させると、逃げた駱駝を刺激しないように、羽はゆっくりゆっくりと近づいていきます。
「羽、頑張れー」
 竹姫は、駱駝の背で手綱をぎゅっと握りしめながら、声なき声で羽を応援しました。
 もう少し、あと少し。
 「なんだろう。これまで自分にこんなに慎重に近づいてくる人を見たことがないな」などとでも考えているのか、逃げた駱駝は不思議そうに羽に視線を向けましたが、そこにはおびえたような色は見えませんでした。
「よしよし、良い子だ。そのままそのまま。たらふく食ったんだろう、良かったな……。よしよし、よし、よし。やった、やっと捕まえたぁっ」
 駱駝をなだめるためか自分の緊張を鎮めるためか、小さな声で駱駝に語り掛けながら近づく羽。そして、とうとう、羽は逃げた駱駝の両前足にひもを結わえることができたのでした。一度両前足を結わえてしまえば、駱駝は走ることができません。いつでも轡をとって連れ出すことが可能です。薄暮の時から始まった二人の探索行は、長い時間をかけてバダインジャラン砂漠に踏み込んだところで、ようやく終了したのでした。もう、夜はすっかり更けて、月は中天に達していました。
「助かったぁ」
 さしもの羽もほっとしたのでしょう。大きく伸びをして砂漠に大の字に寝ころびました。
「なんだ、こいつは」とでもいうように、捕まった駱駝が羽の顔に鼻を近づけ匂いを嗅ぎました。
「ははは、まったく、いい気なもんだぜこいつはよ。ふらふらと夜の散歩に出ただけですって顔してるぜ」
 羽は、その駱駝の鼻面をいとおしそうに撫でさすりました。駱駝が悪くないのは彼にもわかっています。むしろ、自分の姿を見て逃げ出さないでいてくれたことに、嬉しさを感じているぐらいでした。
「良かったね、羽! 良かったね、羽ぅうう」
 竹姫は、自分の駱駝から飛び降りると、大の字になっている羽に飛びつきました。嬉しいのかほっとしたのか、言葉の後半は泣き声になっていました。
「わっわっ。竹。ありがたいけど、ちょっと待てちょっと」
 自分の事のように喜んでくれる竹姫、その勢いに圧倒されながらも、慌てて羽は竹姫がここまで乗ってきた駱駝に近づき、しっかりと両前足を結わえました。これで安心、同じ失敗は二度と繰り返さないというものでした。
「羽ーっ」
 竹姫はまだ、喜びの波動が、身体中を駆け巡っているようでした。
 がしっと羽の両手を握ります。そしてその両手を自分の頬に当てました。
「ほんとにほんとに、良かったねぇ‥‥‥。う、う、あああぁぁん、良かったあ」
 そのまま、泣き出してしまう竹姫でした。羽も、もちろん、とても安心して、嬉しくて、大声をあげたいぐらいなのですが、先に竹姫にここまで喜ばれてしまうと、照れが来てしまいます。でも、両手は竹姫に握られたままです。
「あ、ありがとうな、竹。ほんとにありがとう」
 そう、竹姫に声をかけながら、照れ隠しに頬をかくこともできずに、二人を照らす月を見上げる羽なのでした。
しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました

ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

強制力がなくなった世界に残されたものは

りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った 令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達 世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか その世界を狂わせたものは

処理中です...