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月の砂漠のかぐや姫 第6話
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ゴビに点在する水場は、ナツメヤシが茂るオアシスであったり、祁連山脈からの伏流水が地上に顔を出している湖であったり、また、深い谷底をわずかに流れる細い細い川であったりと、土地ごとにその様子は異なりますが、この度の宿営地の近くにあった水場は、少し規模の大きなオアシスでした。
月の民は水場のすぐ近くに宿営地を設けると水場に住む精霊の機嫌を損ねるとして、少し離れた場所に天幕を立てることを習慣としていたので、女子供たちと竹姫が水辺に到着するまでは、縄ひもが一本燃え尽きるほどの時間が掛かりました。子供たちは驢馬に革製の水袋を載せて引き、女たちは水瓶を抱えたり頭に載せたりと、それぞれ一番楽な姿勢をとって水場に向かいました。竹姫も、手にした水瓶を、右手から左手、左手から右手へと持ち替えながらそれに続きました。
やがて、竹姫たちの足元で、下草がだんだんと褐色から緑色に変わってきました。
「竹姫、着きましたよ」
これまでの遊牧でこのオアシスを何度か利用したことのある女性が、竹姫の方を振り向いて教えました。
歩き疲れて足元ばかりを見ていた竹姫が視線をあげると、まず、元気に伸びたナツメヤシの木の緑が目に入りました。また、ナツメヤシの木々の間には、背の低い灌木が葉を茂らせていました。どうやら、これらはオアシスの周辺に群生しているようで、緑の葉の合間からはキラキラと輝く水面が見え隠れしていました。
「助かりました、思ってたより遠くて大変でした」
「お疲れ様でした、竹姫。私たちは先に水汲みをしますから、ゆっくりと来てください」
ほっとして水瓶を傍らに置き小休止する竹姫を見て微笑みながら、他の女性や子供たちはナツメヤシの間から水面に近づいていきました。やはり、遊牧で鍛えられた体力の違いや、水瓶を持つコツの有無というものがあるのでしょうか。空の水瓶をもって水汲みに来ただけですっかり疲れてしまった竹姫と違って、女子供たちは疲れた様子は見せていませんでした。
「むぅ、みんな元気だなぁ。わたしも頑張らないと」
よいしょっと勢いをつけて水瓶を持ち上げると、遅れて竹姫もオアシスに入っていきました。
「あ、涼しい」
既に日が傾き始めているとはいえ、ナツメヤシの木立を抜けたあたりから、竹姫は明らかに空気の温度が違うのを感じました。周囲をぐるっと見渡すと、オアシスは大きな池と幾つかの小さな池で構成されているようでした。離れたところから見れば小さなオアシスに思えたのですが、その外周を歩いて回れば半日はゆうにかかりそうでした。
また、ナツメヤシがオアシスの周りを守るようにぐるっと囲んでいる姿は、竹姫には、オアシスがゴビからの砂や風から身を守るために、ナツメヤシの壁を立てているように見えました。竹姫たちが宿営地としたところはまばらに草地があるゴビの台地でしたが、オアシスの対岸とその先では、ゴビの台地とさらにその奥に砂丘が広がっているように見えました。そして、オアシスのところどころには、竹姫たちと違う一団から水を汲みに来たのであろう子供や女性の姿も、見ることができました。
ゴビにいつも吹く風も、ナツメヤシと灌木の内側ではほとんど感じることができません。オアシスの内側は、その外側とは全く違う違う環境で、まるで、神様が別の世界を切り取ってきて、ゴビの台地にぽんっと置いたかのようでした。
「あれっ」
オアシスを見回していた竹姫の視界に、何かが引っ掛かりました。
よく目を凝らして見てみようと思ったそのとき、オアシスから水汲みの唄が聞こえてきました。
竹姫たちとは別の一団が、水を汲みながらオアシスの精霊にあいさつをする唄を歌っているのでした。
月から来て水と一つになった貴方
同じく月から来た兄弟があいさつを送る
どうか その静かな心
どうか その清らかな魂 に免じ
あなたの兄弟に 恵みを分け与えてください
月から来て水と一つとなった貴方
羊や牛を追うことを選んだ兄弟が感謝の唄を捧げる
ゆっくりと何度も繰り返されるその唄にしばらく耳を傾けていた竹姫は、ふと、我に返りました。
「あ、だめだめ。こんなにゆっくりしてちゃ、だめだよわたし。みんなの役に立たなきゃ」
慌てて足元におろしていた水瓶を持ち、先に進んでいった女性たちを追いかける竹姫でした。すると、意外なことに女性や子供たちはまだ水汲みを始めておらず、池のふちで不安そうに顔を見合わせながら立ち止まっているのでした。
「あれ、皆さんどうなされたのですか」
皆がもう水汲みを終えてしまったかと思って急いで追いかけてきた竹姫は、不思議そうに尋ねました。
「それが‥‥‥」
「うまく言えないのですが‥‥‥」
年長の女性たちは、お互いに顔を見合わせて言い淀みました。隠し事があるというのではなくて、自分が感じていることをどのように説明すればよいか、良い言葉が見つからない様子でした。
「あのね、竹姫。なんだかね。嫌な感じなの。なにかね、精霊様が怒っているような気がするの」
そのような中で、子供の方が敏感に状況を感じられるのか、なまじ大人のようにうまく伝えようと考えないからなのか、水汲みに来た女子供の中でもっとも年かさのいかない女の子が、竹姫を見上げながら自分の感じたことを伝えました。
「すごく嫌な感じなんだよ」
そして、自分だけが竹姫にお話しできていることに気付くと、得意そうにもう一言付け加えました。
「そうなの、ありがとうね、小冬」
竹姫は少しかがんで得意満面の笑みを見せている冬の頭をなでると、皆の間を抜けて水面の前に出ました。皆の視線が竹姫に集中しました。
しばらく、竹姫はしゃがんで水面を触ってみたり、水の奥底をのぞき込んだりしていましたが、何かを思い切ったような真剣な表情で立ち上がると、水面に向かって両手を差し伸べました。
「ふうぅうう‥‥‥」
竹姫は、伸ばした両手を胸元にゆっくりと引き寄せながら、呼吸を整えました。
そして、静かに目を閉じて全身で周りの空気を感じ始めました。
そのような竹姫の様子を、最前まではニコニコしていた冬を含めて、女子供たちは不安そうにじっと見つめていました。
祈るように両手を組んでいる女性もいます。ぎゅっと水瓶を抱きしめている子供もいます。自分たちでは漠然とした不安としか感じられないものも、「月の巫女」なら、その正体を解き明かし、さらに解消してくれるのではないか、女子供たちからは、そのような期待が込められた視線が、竹姫に送られていました。
彼女達の周りには、何の音もありません。
静寂。
それは、自分たちの心臓の音が、自分で感じられるほどでした。
「ふうっっ‥‥‥」
竹姫が止めていた息を大きく吐きだしたとき、ようやく、ナツメヤシが揺れる音や他の一団が歌う唄が、戻ってきました。
「大丈夫、です。精霊様はなにか気にされていらっしゃるようでしたが、私たちのことを気になさっていらっしゃるわけではないようでした。大丈夫だよ、小冬」
水面の方を向いていた竹姫は、皆の方を振り返って自分の感じたことを伝えました。そして最後に冬へ一言を送り、頭をひとなでして安心させてやりました。息を詰めて竹姫を見やっていた一同は、竹姫の言葉を聞き大きく安どのため息をつきました。冬も音がするくらい大きく息を吐き出しました。知らず知らずのうちに、竹姫に同調して息を止めていたのでした。
「ありがとうございます。竹姫」
「そうですね、もう、変な空気も感じなくなりました。竹姫のおかげです」
「今日は竹姫がご一緒してくれて、本当に助かりました」
竹姫は「月の巫女」にあるとされる人外の力を使って、「水の精霊」たる何かと会話をしたわけではありません。目に見えない世界でなんらかの問題が生じていて、それを解決したわけでもありません。ただ、目を閉じて精神を集中し、周囲の空気から感じたことを自分の言葉に変換しただけです。でも、竹姫の好む好まぬに係わらず「月の巫女」の言葉の力は大きくて、水汲みに来ていた女子供たちが漠然と感じていた不安は、その言葉により解消されたようでした。
女や子供たちは口々に竹姫への感謝を述べながら、すっかり安心した様子で水を汲む用意を始めました。そして、精霊に感謝をささげる歌を唄いながら、水瓶を満たしていくのでした。
月の民は水場のすぐ近くに宿営地を設けると水場に住む精霊の機嫌を損ねるとして、少し離れた場所に天幕を立てることを習慣としていたので、女子供たちと竹姫が水辺に到着するまでは、縄ひもが一本燃え尽きるほどの時間が掛かりました。子供たちは驢馬に革製の水袋を載せて引き、女たちは水瓶を抱えたり頭に載せたりと、それぞれ一番楽な姿勢をとって水場に向かいました。竹姫も、手にした水瓶を、右手から左手、左手から右手へと持ち替えながらそれに続きました。
やがて、竹姫たちの足元で、下草がだんだんと褐色から緑色に変わってきました。
「竹姫、着きましたよ」
これまでの遊牧でこのオアシスを何度か利用したことのある女性が、竹姫の方を振り向いて教えました。
歩き疲れて足元ばかりを見ていた竹姫が視線をあげると、まず、元気に伸びたナツメヤシの木の緑が目に入りました。また、ナツメヤシの木々の間には、背の低い灌木が葉を茂らせていました。どうやら、これらはオアシスの周辺に群生しているようで、緑の葉の合間からはキラキラと輝く水面が見え隠れしていました。
「助かりました、思ってたより遠くて大変でした」
「お疲れ様でした、竹姫。私たちは先に水汲みをしますから、ゆっくりと来てください」
ほっとして水瓶を傍らに置き小休止する竹姫を見て微笑みながら、他の女性や子供たちはナツメヤシの間から水面に近づいていきました。やはり、遊牧で鍛えられた体力の違いや、水瓶を持つコツの有無というものがあるのでしょうか。空の水瓶をもって水汲みに来ただけですっかり疲れてしまった竹姫と違って、女子供たちは疲れた様子は見せていませんでした。
「むぅ、みんな元気だなぁ。わたしも頑張らないと」
よいしょっと勢いをつけて水瓶を持ち上げると、遅れて竹姫もオアシスに入っていきました。
「あ、涼しい」
既に日が傾き始めているとはいえ、ナツメヤシの木立を抜けたあたりから、竹姫は明らかに空気の温度が違うのを感じました。周囲をぐるっと見渡すと、オアシスは大きな池と幾つかの小さな池で構成されているようでした。離れたところから見れば小さなオアシスに思えたのですが、その外周を歩いて回れば半日はゆうにかかりそうでした。
また、ナツメヤシがオアシスの周りを守るようにぐるっと囲んでいる姿は、竹姫には、オアシスがゴビからの砂や風から身を守るために、ナツメヤシの壁を立てているように見えました。竹姫たちが宿営地としたところはまばらに草地があるゴビの台地でしたが、オアシスの対岸とその先では、ゴビの台地とさらにその奥に砂丘が広がっているように見えました。そして、オアシスのところどころには、竹姫たちと違う一団から水を汲みに来たのであろう子供や女性の姿も、見ることができました。
ゴビにいつも吹く風も、ナツメヤシと灌木の内側ではほとんど感じることができません。オアシスの内側は、その外側とは全く違う違う環境で、まるで、神様が別の世界を切り取ってきて、ゴビの台地にぽんっと置いたかのようでした。
「あれっ」
オアシスを見回していた竹姫の視界に、何かが引っ掛かりました。
よく目を凝らして見てみようと思ったそのとき、オアシスから水汲みの唄が聞こえてきました。
竹姫たちとは別の一団が、水を汲みながらオアシスの精霊にあいさつをする唄を歌っているのでした。
月から来て水と一つになった貴方
同じく月から来た兄弟があいさつを送る
どうか その静かな心
どうか その清らかな魂 に免じ
あなたの兄弟に 恵みを分け与えてください
月から来て水と一つとなった貴方
羊や牛を追うことを選んだ兄弟が感謝の唄を捧げる
ゆっくりと何度も繰り返されるその唄にしばらく耳を傾けていた竹姫は、ふと、我に返りました。
「あ、だめだめ。こんなにゆっくりしてちゃ、だめだよわたし。みんなの役に立たなきゃ」
慌てて足元におろしていた水瓶を持ち、先に進んでいった女性たちを追いかける竹姫でした。すると、意外なことに女性や子供たちはまだ水汲みを始めておらず、池のふちで不安そうに顔を見合わせながら立ち止まっているのでした。
「あれ、皆さんどうなされたのですか」
皆がもう水汲みを終えてしまったかと思って急いで追いかけてきた竹姫は、不思議そうに尋ねました。
「それが‥‥‥」
「うまく言えないのですが‥‥‥」
年長の女性たちは、お互いに顔を見合わせて言い淀みました。隠し事があるというのではなくて、自分が感じていることをどのように説明すればよいか、良い言葉が見つからない様子でした。
「あのね、竹姫。なんだかね。嫌な感じなの。なにかね、精霊様が怒っているような気がするの」
そのような中で、子供の方が敏感に状況を感じられるのか、なまじ大人のようにうまく伝えようと考えないからなのか、水汲みに来た女子供の中でもっとも年かさのいかない女の子が、竹姫を見上げながら自分の感じたことを伝えました。
「すごく嫌な感じなんだよ」
そして、自分だけが竹姫にお話しできていることに気付くと、得意そうにもう一言付け加えました。
「そうなの、ありがとうね、小冬」
竹姫は少しかがんで得意満面の笑みを見せている冬の頭をなでると、皆の間を抜けて水面の前に出ました。皆の視線が竹姫に集中しました。
しばらく、竹姫はしゃがんで水面を触ってみたり、水の奥底をのぞき込んだりしていましたが、何かを思い切ったような真剣な表情で立ち上がると、水面に向かって両手を差し伸べました。
「ふうぅうう‥‥‥」
竹姫は、伸ばした両手を胸元にゆっくりと引き寄せながら、呼吸を整えました。
そして、静かに目を閉じて全身で周りの空気を感じ始めました。
そのような竹姫の様子を、最前まではニコニコしていた冬を含めて、女子供たちは不安そうにじっと見つめていました。
祈るように両手を組んでいる女性もいます。ぎゅっと水瓶を抱きしめている子供もいます。自分たちでは漠然とした不安としか感じられないものも、「月の巫女」なら、その正体を解き明かし、さらに解消してくれるのではないか、女子供たちからは、そのような期待が込められた視線が、竹姫に送られていました。
彼女達の周りには、何の音もありません。
静寂。
それは、自分たちの心臓の音が、自分で感じられるほどでした。
「ふうっっ‥‥‥」
竹姫が止めていた息を大きく吐きだしたとき、ようやく、ナツメヤシが揺れる音や他の一団が歌う唄が、戻ってきました。
「大丈夫、です。精霊様はなにか気にされていらっしゃるようでしたが、私たちのことを気になさっていらっしゃるわけではないようでした。大丈夫だよ、小冬」
水面の方を向いていた竹姫は、皆の方を振り返って自分の感じたことを伝えました。そして最後に冬へ一言を送り、頭をひとなでして安心させてやりました。息を詰めて竹姫を見やっていた一同は、竹姫の言葉を聞き大きく安どのため息をつきました。冬も音がするくらい大きく息を吐き出しました。知らず知らずのうちに、竹姫に同調して息を止めていたのでした。
「ありがとうございます。竹姫」
「そうですね、もう、変な空気も感じなくなりました。竹姫のおかげです」
「今日は竹姫がご一緒してくれて、本当に助かりました」
竹姫は「月の巫女」にあるとされる人外の力を使って、「水の精霊」たる何かと会話をしたわけではありません。目に見えない世界でなんらかの問題が生じていて、それを解決したわけでもありません。ただ、目を閉じて精神を集中し、周囲の空気から感じたことを自分の言葉に変換しただけです。でも、竹姫の好む好まぬに係わらず「月の巫女」の言葉の力は大きくて、水汲みに来ていた女子供たちが漠然と感じていた不安は、その言葉により解消されたようでした。
女や子供たちは口々に竹姫への感謝を述べながら、すっかり安心した様子で水を汲む用意を始めました。そして、精霊に感謝をささげる歌を唄いながら、水瓶を満たしていくのでした。
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