幽霊居酒屋『ゆう』のお品書き~ほっこり・じんわり大賞受賞作~

及川 輝新

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9品目:あなたのためのチキン南蛮(550円)

(9-5)共存

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 それからしばらくの間、僕は望海さんから質問攻めに遭った。

 大学のこと。塾講師のバイトのこと。教育実習のこと。採用試験のこと。望海さんはまるで我が子の成長を喜ぶかのように、弾んだ声で話を聞いてくれた。

 これまでの僕たちのやり取りを聞いていたのだろう、店内はお祭りの様相を呈していた。代わる代わるにお客さんがジョッキ片手にやってきて、「おめでとう!」と一言。そして僕たちはご馳走になったお酒を一気飲み。まるで結婚式の新郎新婦だ。注文が飛ぶように入り、ユウさんは両手で別々の調理をして、アイハはバタバタと店内を駆け巡る。どんちゃん騒ぎ、とはこういう状況を指すのかもしれないと思った。

 楽しい雰囲気に水を差すのは本意ではないが、はっきり確認しておかないといけないこともある。ここは僕から尋ねるべきだろう。



 僕は先ほど読んだイオリさんからの手紙を望海さんに手渡した。



「ここに書いてあることって、本当ですか?」

 望海さんが一文字ずつ追っていく。その目つきは生徒の読書感想文を添削する教師のようだった。

「そうね、全部本当のことよ」
「学校で根も葉もない噂を立てられたことも?」
「ええ」
「職場を半強制的に辞めさせられたことも?」
「うん」
「Aの代わりに事故死したことも?」
「そう」

「……なんで、Aを助けたんですか。この子さえいなければ、望海さんはこんな目に遭うことはなかった。もしかしたら自宅で教師いじめの証拠が見つかって、仕事に復帰できたかもしれない」
「……共存」
「え?」
「覚えてる? 初めてお弁当屋さんでキミと一緒にお昼を食べた時、私が言った言葉」

 共存。

 忘れるはずもない。当時幽霊という異質の存在に怯えていた僕に対し、望海さんがかけてくれた一言だ。受け入れる・拒絶するの二択ではなく、共存する道もあるという第三の選択肢を示してくれた。

「あの子の全部を許容したわけじゃない。一方で、敵として対立するつもりは微塵もなかった。仲良しこよしになれなくたって、もう一度同じ道を歩む世界もあったはずなの」

 器が大きいのか、単に割り切っているだけなのか。きっとどちらでもない。

 教師の卵である立場上、僕は特定の生徒を糾弾するような態度はとらないように努めたつもりだった。だが望海さんがすべての不幸を肩代わりさせられたことを思うと、冷静ではいられない。

「……あの日ね、もう一度彼女と話したくて、学校に行こうとしていたの。校長先生には何度か電話したんだけど、突っぱねられちゃって。ただ私にも主張はあったし、何よりもう一度先生をしたかったの。ずっと目指していた仕事だしね」

 あれだけの酷い扱いを受けて、なおも立ち上がるとはなんという不屈の魂だろう。これだけの情熱を、今の僕は持ち合わせているだろうか。

「そしたら通学路を彼女が歩いていたの。死んだような顔色で。すぐにわかったわ。きっと以前の私と同じような立場にいるんだなって。足元はおぼつかないし、目の焦点も合っていなかった。正直ね、ちょっとだけ溜飲が下がった気がしたわ」

 ウーロンハイを飲みながら、望海さんは遠い目で語る。

「でもね、すぐに思い出したの。私の目的は彼女への復讐じゃなくって、和解だって。彼女が今悩みを抱えているのなら、解決の手伝いをするべきだと思った。だってあの子の気持ちがわかるのは、私だけだもの」

 強がりでも虚飾でもない本心だということが、ひしひしと伝わってくる。

「声をかけようとしたまさにその時、彼女が大通りに飛び出したの。死のうとしているということは、直感的に悟ったわ」
「……怖く、なかったんですか」

 マナが確かめるように尋ねる。自分の体躯の何倍もある機械が高速で迫ってくる感覚は、当事者にしか理解できないだろう。

「身体が勝手に動いちゃったのよ。恐怖を感じるヒマもなかったわ」

 望海さんは眉を八の字にして、自分自身に呆れるように笑った。

「トラックに撥ねられて、視界はぼんやりしてるんだけど、聴覚だけははっきりしていたの。彼女はずっと『ごめんなさい、ごめんなさい』って謝ってたわ。事故のことなのか、嘘を吹聴したことなのかはわからなかったけど。『もう、いいよ』って返事できなかったことが心残りかなぁ。後悔はしていないわ。最後の最後に先生らしいことができたから」

 教師の鏡と言うのは簡単だ。でもそんなありふれた言葉で片付けてはいけないような気がした。僕はこのエピソードから、たくさんのことを学ぶべきなのだ。数年後の自分はここまで立派な教師になれるだろうか。

「学校を辞めたこと、黙っててごめんなさい。教職を目指す行真くんの邪魔をしたくなかった。ううん、キミにだけは失望されたくなかったの。キミは私を尊敬してくれていたから」

 教壇を去ってから、どんな思いで僕の報告を聞いていたのだろう。変わらず望海さんを崇拝する僕に、嘘を重ねる自分に、ずっと苦しんでいたに違いない。

「それに突然いなくなって、心配かけちゃったね」
「そんな、僕のことなんて……」

 今でさえ、他人のことを優先的に考えている。僕だって言わなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに。

 すごいですね。尊敬します。僕にとって理想の教師です。

 どんな安っぽいフレーズも、口に出した瞬間霧となって、望海さんに届く前にきっと消えてしまう。

 こんな時、何を伝えたらいいのか、

 ふと、厨房から肉と油のにおいが漂ってくる。

 カウンター越しに僕の前に立っていたユウさんが、そっと大皿を置いた。



「これはサービスだ」



 鮮やかなレタスの上に、衣をまとった一枚肉。カリカリの鳥もも肉は、濃い黄色のタルタルソースの帽子を被っている。刻みパセリの色合いも美しい。

 即席じゃない、正真正銘のチキン南蛮だ。

 ぎゅううう、とお腹が二重層を奏でる。

 ん、二重奏?

 右隣を見やると、望海さんが恥ずかしそうにお腹を押さえていた。

「い、いただきましょうか……」
「……はいっ」



 どんなに立派な先生も、大好物の前では一人のグルメ愛好家だった。

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