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8品目:宅飲み、押しかけ、チーズたら(298円)
(8-6)チーズたら
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「誰だろう……ちょっと行ってくる」
彼がおもむろに立ち上がり、扉を開ける。この部屋はワンルームなので玄関からわたしとアイハさんは丸見えになるが、幽霊なので特に隠れることもしない。
現れたのは彼と同い年くらいの、金髪で派手な格好をした女性だった。夏らしく薄着で、肩から先と生脚が全開だ。
「うっす、ユキ」
「おう、リカか。どうした?」
二人は知り合いのようだ。大学の同級生だろうか。っていうか下の名前で呼んでるし。
「チトセとこの辺で買い物してたんだよね~。アイツは夜からバイトだからこれからどうしようかな~って思ったんだけど、ユキの家が近いの思い出したからさ~。今から飲まない? どーせ家にがっぽり酒溜め込んでるんでしょ?」
「人を脱税してる富豪みたいに言うなよ……」
このリカという女性は嘘をついている。駅前に女子大生が買い物をするようなショップなんて見当たらなかった。
彼との関係値は知らないが、少なくとも連絡先くらいは知っている間柄のはずだ。それなのに連絡もなしにいきなり家に押しかけてくるあたり、下心が透けて見える。たぶんこの人は、彼のことを。
「どうせこの後飲むつもりだったんでしょ? ほら、教員試験も終わったし打ち上げしようよ」
リカさんはいつの間にか玄関まで踏み込み、上目遣いに彼を見つめていた。同性ならすぐにわかる、計算づくしの行動だ。何も気づかない男性ならコロッと招き入れてしまうかもしれない。仮に、彼がリカさんのことをほんの少しでも異性として意識しているのなら、断る理由はない。自宅でサシ飲みなんて、関係を進展させる絶好のチャンスだ。
「ごめん、実は友達ともう始めちゃってるんだよね」
しかし彼は、わたしの一抹の不安をよそにあっさりと断ってしまった。
リカさんは室内を覗き、卓上のお酒やおつまみを発見して「ホントだ」と残念がる。
「でも誰もいないよ?」
「えーと、買い出しの最中で」
「大学の人? だったらアタシも混ぜてよ」
「いや、居酒屋で知り合った人たち」
「へぇ、同い年くらい?」
「……女子高生と、実質小学生」
「は?」
思わずビールを噴き出しそうになったが、必死に堪えた。
「いや、間違えた」
「なーんか怪しい……」
リカさんが再度部屋を覗き込む。しかし彼女の瞳にわたしたちの姿は映らないはずだ。
「ちょっと上がらせてもらうから」
「お、おい」
リカさんはミュールを脱ぎ、勝手に部屋に入ろうとする。隠し事をされているのが気に食わないのか、依怙地になっているようだ。
「てか、さっきから寒いんだけど。エアコン何度で設定してるのよ」
「二十八度だけど……」
「いやいや、これ体感二十度切ってるって。それにさっきからやけに人の視線を感じるっていうか……」
彼の唇がニヤリと不敵に吊り上がった。
「まぁ、この家、『出る』からね」
「で、出るって何が……?」
「そりゃあアレだよ、幽霊」
「嘘! アタシがそういうの苦手って知ってて、驚かそうとしてるんでしょ」
「黙ってたけど実は僕、霊感があるんだよ。この部屋には少なくとも二人はいるね。チーズ好きで大酒飲みの女性の霊と、人懐っこい子どもの霊」
「ちょっと、やめてよ……」
わたしとアイハさんは目を合わせ、ニヤリと笑った。
アイハさんが持っていたアーモンドを凝視し、テーブルに落とす。
「なにっ!? 今の音っ?」
わたしも続けて、壁をコツンと叩いた。
「ユキ! 今なんか音がしたって!」
彼は何も言わなかった。部屋を沈黙が支配する。
無言の時間が、かえって『出る』ことに説得力を持たせていた。
「……彼女たちは好奇心旺盛だから、長居すると憑いちゃうかもしれないね」
「……か、帰る! また大学でね!」
リカさんは慌ててミュールを履いて、早足でアパートを去っていった。
「……ごめん、嫌な言い方しちゃって」
「いいよ。わたしも苦手なタイプだったし」
「悪いやつじゃないんだけど、たまに強引なところがあるんだよな。そんなに酒が飲みたかったのかな?」
頭の後ろをぽりぽりと掻きながら、不思議そうにつぶやく。
「……やっぱりユッキーも悪いかも」
「ですねぇ」
「え、何が?」
本気でわかってないみたいだけど教えてあげなーい。
「あ、そういえば忘れてた」
彼は戸棚から長方形の袋を取り出して、テーブルに置いた。パッケージには『チーズたら』と書いてある。
「チーズ好きで大酒飲みの幽霊さんにはこれがなきゃ」
「大酒飲みは余計だし!」
そういえばわたしはチーズたらというものを食べたことがない。両親は普段からお酒を嗜む人たちではなかったから。
「あれ? でもさっきのスーパーでは買ってなかったよね?」
「マナがいつ来るかわからなかったから、ずっと前に買っておいたんだよ」
とくん、と心臓が跳ねる。
不意打ちなんてずるい。
思えば彼は、出会った頃からずっと優しかった。人も幽霊も分け隔てなく接し、年齢に関係なく対等に扱ってくれた。
この場にいたら邪魔者だなんて一瞬でも思った自分が馬鹿みたい。飲み会に役目も居場所も関係ない。ただみんなで楽しくお酒を飲み交わすだけでいいんだ。
彼ならきっと大丈夫。幽霊になってしまった望海さんの記憶を取り戻して、わかり合える。わたしにできる手伝いがあれば、何だって協力してあげたい。
「……死ぬ前に出会えてたらなぁ」
「何か言ったか?」
「べっつにー」
初めて食べたチーズたらは、しょっぱくて、濃厚で、ほのかに甘かった。
彼がおもむろに立ち上がり、扉を開ける。この部屋はワンルームなので玄関からわたしとアイハさんは丸見えになるが、幽霊なので特に隠れることもしない。
現れたのは彼と同い年くらいの、金髪で派手な格好をした女性だった。夏らしく薄着で、肩から先と生脚が全開だ。
「うっす、ユキ」
「おう、リカか。どうした?」
二人は知り合いのようだ。大学の同級生だろうか。っていうか下の名前で呼んでるし。
「チトセとこの辺で買い物してたんだよね~。アイツは夜からバイトだからこれからどうしようかな~って思ったんだけど、ユキの家が近いの思い出したからさ~。今から飲まない? どーせ家にがっぽり酒溜め込んでるんでしょ?」
「人を脱税してる富豪みたいに言うなよ……」
このリカという女性は嘘をついている。駅前に女子大生が買い物をするようなショップなんて見当たらなかった。
彼との関係値は知らないが、少なくとも連絡先くらいは知っている間柄のはずだ。それなのに連絡もなしにいきなり家に押しかけてくるあたり、下心が透けて見える。たぶんこの人は、彼のことを。
「どうせこの後飲むつもりだったんでしょ? ほら、教員試験も終わったし打ち上げしようよ」
リカさんはいつの間にか玄関まで踏み込み、上目遣いに彼を見つめていた。同性ならすぐにわかる、計算づくしの行動だ。何も気づかない男性ならコロッと招き入れてしまうかもしれない。仮に、彼がリカさんのことをほんの少しでも異性として意識しているのなら、断る理由はない。自宅でサシ飲みなんて、関係を進展させる絶好のチャンスだ。
「ごめん、実は友達ともう始めちゃってるんだよね」
しかし彼は、わたしの一抹の不安をよそにあっさりと断ってしまった。
リカさんは室内を覗き、卓上のお酒やおつまみを発見して「ホントだ」と残念がる。
「でも誰もいないよ?」
「えーと、買い出しの最中で」
「大学の人? だったらアタシも混ぜてよ」
「いや、居酒屋で知り合った人たち」
「へぇ、同い年くらい?」
「……女子高生と、実質小学生」
「は?」
思わずビールを噴き出しそうになったが、必死に堪えた。
「いや、間違えた」
「なーんか怪しい……」
リカさんが再度部屋を覗き込む。しかし彼女の瞳にわたしたちの姿は映らないはずだ。
「ちょっと上がらせてもらうから」
「お、おい」
リカさんはミュールを脱ぎ、勝手に部屋に入ろうとする。隠し事をされているのが気に食わないのか、依怙地になっているようだ。
「てか、さっきから寒いんだけど。エアコン何度で設定してるのよ」
「二十八度だけど……」
「いやいや、これ体感二十度切ってるって。それにさっきからやけに人の視線を感じるっていうか……」
彼の唇がニヤリと不敵に吊り上がった。
「まぁ、この家、『出る』からね」
「で、出るって何が……?」
「そりゃあアレだよ、幽霊」
「嘘! アタシがそういうの苦手って知ってて、驚かそうとしてるんでしょ」
「黙ってたけど実は僕、霊感があるんだよ。この部屋には少なくとも二人はいるね。チーズ好きで大酒飲みの女性の霊と、人懐っこい子どもの霊」
「ちょっと、やめてよ……」
わたしとアイハさんは目を合わせ、ニヤリと笑った。
アイハさんが持っていたアーモンドを凝視し、テーブルに落とす。
「なにっ!? 今の音っ?」
わたしも続けて、壁をコツンと叩いた。
「ユキ! 今なんか音がしたって!」
彼は何も言わなかった。部屋を沈黙が支配する。
無言の時間が、かえって『出る』ことに説得力を持たせていた。
「……彼女たちは好奇心旺盛だから、長居すると憑いちゃうかもしれないね」
「……か、帰る! また大学でね!」
リカさんは慌ててミュールを履いて、早足でアパートを去っていった。
「……ごめん、嫌な言い方しちゃって」
「いいよ。わたしも苦手なタイプだったし」
「悪いやつじゃないんだけど、たまに強引なところがあるんだよな。そんなに酒が飲みたかったのかな?」
頭の後ろをぽりぽりと掻きながら、不思議そうにつぶやく。
「……やっぱりユッキーも悪いかも」
「ですねぇ」
「え、何が?」
本気でわかってないみたいだけど教えてあげなーい。
「あ、そういえば忘れてた」
彼は戸棚から長方形の袋を取り出して、テーブルに置いた。パッケージには『チーズたら』と書いてある。
「チーズ好きで大酒飲みの幽霊さんにはこれがなきゃ」
「大酒飲みは余計だし!」
そういえばわたしはチーズたらというものを食べたことがない。両親は普段からお酒を嗜む人たちではなかったから。
「あれ? でもさっきのスーパーでは買ってなかったよね?」
「マナがいつ来るかわからなかったから、ずっと前に買っておいたんだよ」
とくん、と心臓が跳ねる。
不意打ちなんてずるい。
思えば彼は、出会った頃からずっと優しかった。人も幽霊も分け隔てなく接し、年齢に関係なく対等に扱ってくれた。
この場にいたら邪魔者だなんて一瞬でも思った自分が馬鹿みたい。飲み会に役目も居場所も関係ない。ただみんなで楽しくお酒を飲み交わすだけでいいんだ。
彼ならきっと大丈夫。幽霊になってしまった望海さんの記憶を取り戻して、わかり合える。わたしにできる手伝いがあれば、何だって協力してあげたい。
「……死ぬ前に出会えてたらなぁ」
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