幽霊居酒屋『ゆう』のお品書き~ほっこり・じんわり大賞受賞作~

及川 輝新

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5品目:有る日のカレイの煮つけ(580円)

(5-3)最後の矜持

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「……え?」



 ジョッキを洗いながらユウさんが尋ねてくる。身を屈めているので表情はうかがえない。

「初めて来た日に言っていただろう。『死にたい』と」

 失恋直後で我を失い、酒に逃げていた時のことを思い出す。

「……例えですよ。よく使う表現じゃないですか」
「いいや、君は本当に死にたがっていた」
「さすがにフラれたくらいでそこまでは……」
「君にとって、ただの片思いの相手ではなかったのだろう?」

 流水がシンクを叩く音と、ジョッキをスポンジで磨く音が、はっきりと耳に届く。



「……なるべくネタとして昇華できるように振る舞ったつもりなんですけどね」



 ユウさんの言う通りだ。

 死にたいなんて冗談。一種の比喩。

 それこそが嘘で、僕の最後の矜持だったのかもしれない。

 僕はあの日、心の底から死を望んでいた。

 ただの失恋であれば、もっと素直に泣きわめいたり愚痴ったりできたのかもしれない。

「大げさに言えば、僕にとって望海さんは神様のような存在だったんです」

 根暗で一人ぼっちで、幽霊しか見えていなかった僕に、人と接するきっかけを与えてくれたのが望海さんだ。彼女と出会わなければ、今も僕は孤独なままだっただろう。教師なんて人と心を通わせる仕事を志すこともなく、引きこもりにでもなっていたかもしれない。

 会話をする楽しさ、共感できる嬉しさ、片思いのもどかしさ、誰かのために頑張ろうとするひたむきさ、自分のために生きようと思える前向きさを教えてくれた望海さんのことが、僕は大好きだった。あの人さえいれば、僕は何でもできるような気がした。

 だから彼女が淫行で教職を追われたと知った時、僕は心の支えを失った。

 偶像視していたつもりはない。一人の女性が性欲を抱き、自慰やセックスをするなんて普通のことだ。

 それでも、担任の言葉に感動し、それがきっかけで教師を目指した人が、複数の生徒と関係を持っていたという事実は、鉄球となり僕の支柱を真横から打ち砕いた。

 一か月も経てば、ある程度は傷も癒えてきた。今さら別の仕事に就くつもりもない。僕は僕で、理想の教師を目指すだけだ。

「だからもう、大丈夫です」
「そうか」

 タオルで手を拭き、ユウさんが口元だけで笑みを作る。

「知っての通り、この店はいわゆる幽霊居酒屋だ。普通の人間には知覚すらできない。ここに来る者はみな、生と死の境界が曖昧になっている」
「つまり人間の客は、もれなく死にたがりということですね」

 初見の時点で心配されていたとは、なんだか申し訳ない。

「でも僕、今でもこのお店に通えていますが」

 あまり考えたくないが、まだ自殺願望が拭えていないということだろうか。

「君はもう、『ゆう』に認知されてしまっているからな」

 死を望んだ僕が『ゆう』を発見したように、『ゆう』もまた、再び生きようとする僕を捉えたということか。わかるようなわからないような理屈だが、幽霊要素に関係なく僕はこのお店が好きだ。料理も酒もおいしいし、初めての飲み友達もできた。河岸を変える理由は見当たらない。

「僕はこれからも、『ゆう』に通いますよ」

 決意でも所信表明でもない、単なる報告。

 それでも少し、照れくさい。



「……さて、そろそろ次の注文をしようかな!」

 空気を切り替えるべく、セリフ口調とともに僕は黒板を見上げる。

 生ものを食べたから、次はそれ以外で攻めたいところだ。『鳥ハム』か、『ごちゃ混ぜコロッケ』か、『炭火焼トマト』か。



 だが僕は、黒板メニューの違和感にとっくに気づいていた。



 今度はこちらが、嘘を暴くターンだ。
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