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2品目:憂いの若鶏から揚げ(480円)
(2-5)どんな時でも
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店内が重苦しい雰囲気に包まれる。
いつの間にか、マナ以外の客も僕の話に耳を傾けていたようだ。
誰一人、口を開かない。
僕は後悔した。飲み屋とはいえ、話題は選ぶべきだったのだ。幽霊とはいえ女子高生が淫行の話を聞かされて、いい気分になるはずがない。
すぐに謝らなければ。酒がまずくなるような話題で申し訳ないと。
なのに、謝罪の言葉が出てこない。どうやら僕は、口に出したことで今一度ショックを受けているようだった。
情けない。悔しい。恥ずかしい。
おちゃらけた一言でも、自虐でもいい。とにかく場の空気を変えなければ。周囲を暗い色に染め上げるために、酒を飲みにきたんじゃない。
心の内側からこみ上げてくるのは吐き気じゃない別の何かだ。僕はそれを必死に押し留めようとする。まずい。このままでは零れる、溢れてしまう。
ふいに、揚げ物のにおいが漂ってくる。
「はいよ、『若鶏から揚げ』お待ち」
静寂を破ったのはユウさんだった。
僕の手元に、小さなバスケットに入ったから揚げが置かれる。
「いや……僕は……」
「熱いうちに早く食べな」
ユウさんはすぐに厨房の奥へと戻ってしまった。
譲ってしまおうかと隣を一瞥すると、マナは微苦笑をしていた。
ごめんね、でも食べてみて。
そう訴えている顔だ。
湯気が立ちのぼるから揚げとマナを交互に見る。
僕は小さく息を吐き、割りばしを手に取った。
六個入りのから揚げは幼児のげんこつくらいの大きさはあり、とても一口では食べられそうにない。火傷に注意して、一思いにかぶりつく。
がじゅっ。じゅわわっ。
口の中で、火災現場に放水するかのごとく肉汁がはじけ飛ぶ。鶏肉のジューシーさと醤油の香ばしさが駆け巡り、鼻から抜けていく。
こんなにパンチが効いたから揚げは初めてだ。醤油、ニンニク、生姜、おなじみの材料だけではここまで風味は際立たない。表面を観察すると、黒い粒が点在しているのがわかる。
これはブラックペッパーだ。
たっぷりまぶした黒胡椒が、すべての素材のポテンシャルを引き上げている。油で揚げたことで閉じ込められた旨みが、口内で一気に解き放たれたのだ。
我に返った僕は、慌ててビールを流し込む。
「……おいしい……」
マナとユウさんが、同時に微笑んだ。
すかさずから揚げの残りの半分を放り込む。
口内でかすかに残ったホップの苦味に脂が混ざり、肉の旨みが強調される。
なんだ、これ。
割りばしを握る手が震える。
「えっ、ユッキー? なんで泣いてるの?」
なんなんだよ、これは。
から揚げを咀嚼しながら、僕は涙を流していた。
八年間の片思いが無残に散って、大学も将来のこともどうでもよくなって、死んでもいいやとすら思って、そんな中たどり着いた居酒屋で、今や苦い思い出の代名詞となった料理を食べているのに。
どうしてこんなにうまいんだよ。
洟をすすりながら、肉塊をもうひとつ取り、かじる。
かり、さく、じゅわあっ。
感覚がすっかり麻痺してしまったのか、それとも僕の心臓が強靭なのか。
「うまいんだよなぁ……」
どんな時でも、から揚げはうまいのだ。
「ユウちゃん、こっちもから揚げ頼めるかい」
注文の聞こえた方を見やると、白髪交じりのおじさんがグラスビールを片手にはにかんでいた。
「……兄ちゃん見てたら俺も食いたくなっちまったよ」
明日は胃もたれ決定だな、とおじさんは苦笑いする。
「こっちもから揚げちょうだい!」
別のテーブルから聞こえる、オーダーの声。
「オレも! から揚げとビール!」
「ワタシも食べたいわ! マヨネーズたっぷりお願いね!」
「……ええい、ワシはから揚げとライスじゃ!」
あちこちから響く、から揚げコール。
今宵、僕は死に場所を求めていた。
もちろんそれは比喩だ。浴びるように酒を飲んで、やがて酒におぼれて、酔いつぶれて、二度と恋なんてしないとこじらせるくらいに落ち込んでやろうと思っていた。
それなのに不思議だ。
悲しいのに、こんなにも胸は温かい。
苦しいことも辛いことも理不尽なことも、酒とおいしい料理が、お店とお客さんの醸し出す雰囲気が、楽しいひとときに変換してくれる。どんな化学式も確率論も、宇宙の法則だって通用しない。居酒屋には、そんな不思議な力がある。
それこそが居酒屋の魅力なのだろう。
「ねえ、ユッキー」
マナがジョッキを掲げる。
そうか、そういえば、まだだった。
僕は今日の出来事を一生忘れないだろう。
この出会いが僕の明るい未来につながらんことを。
心からそう祈り、ジョッキを宙で打ち鳴らす。
「……乾杯」
いつの間にか、マナ以外の客も僕の話に耳を傾けていたようだ。
誰一人、口を開かない。
僕は後悔した。飲み屋とはいえ、話題は選ぶべきだったのだ。幽霊とはいえ女子高生が淫行の話を聞かされて、いい気分になるはずがない。
すぐに謝らなければ。酒がまずくなるような話題で申し訳ないと。
なのに、謝罪の言葉が出てこない。どうやら僕は、口に出したことで今一度ショックを受けているようだった。
情けない。悔しい。恥ずかしい。
おちゃらけた一言でも、自虐でもいい。とにかく場の空気を変えなければ。周囲を暗い色に染め上げるために、酒を飲みにきたんじゃない。
心の内側からこみ上げてくるのは吐き気じゃない別の何かだ。僕はそれを必死に押し留めようとする。まずい。このままでは零れる、溢れてしまう。
ふいに、揚げ物のにおいが漂ってくる。
「はいよ、『若鶏から揚げ』お待ち」
静寂を破ったのはユウさんだった。
僕の手元に、小さなバスケットに入ったから揚げが置かれる。
「いや……僕は……」
「熱いうちに早く食べな」
ユウさんはすぐに厨房の奥へと戻ってしまった。
譲ってしまおうかと隣を一瞥すると、マナは微苦笑をしていた。
ごめんね、でも食べてみて。
そう訴えている顔だ。
湯気が立ちのぼるから揚げとマナを交互に見る。
僕は小さく息を吐き、割りばしを手に取った。
六個入りのから揚げは幼児のげんこつくらいの大きさはあり、とても一口では食べられそうにない。火傷に注意して、一思いにかぶりつく。
がじゅっ。じゅわわっ。
口の中で、火災現場に放水するかのごとく肉汁がはじけ飛ぶ。鶏肉のジューシーさと醤油の香ばしさが駆け巡り、鼻から抜けていく。
こんなにパンチが効いたから揚げは初めてだ。醤油、ニンニク、生姜、おなじみの材料だけではここまで風味は際立たない。表面を観察すると、黒い粒が点在しているのがわかる。
これはブラックペッパーだ。
たっぷりまぶした黒胡椒が、すべての素材のポテンシャルを引き上げている。油で揚げたことで閉じ込められた旨みが、口内で一気に解き放たれたのだ。
我に返った僕は、慌ててビールを流し込む。
「……おいしい……」
マナとユウさんが、同時に微笑んだ。
すかさずから揚げの残りの半分を放り込む。
口内でかすかに残ったホップの苦味に脂が混ざり、肉の旨みが強調される。
なんだ、これ。
割りばしを握る手が震える。
「えっ、ユッキー? なんで泣いてるの?」
なんなんだよ、これは。
から揚げを咀嚼しながら、僕は涙を流していた。
八年間の片思いが無残に散って、大学も将来のこともどうでもよくなって、死んでもいいやとすら思って、そんな中たどり着いた居酒屋で、今や苦い思い出の代名詞となった料理を食べているのに。
どうしてこんなにうまいんだよ。
洟をすすりながら、肉塊をもうひとつ取り、かじる。
かり、さく、じゅわあっ。
感覚がすっかり麻痺してしまったのか、それとも僕の心臓が強靭なのか。
「うまいんだよなぁ……」
どんな時でも、から揚げはうまいのだ。
「ユウちゃん、こっちもから揚げ頼めるかい」
注文の聞こえた方を見やると、白髪交じりのおじさんがグラスビールを片手にはにかんでいた。
「……兄ちゃん見てたら俺も食いたくなっちまったよ」
明日は胃もたれ決定だな、とおじさんは苦笑いする。
「こっちもから揚げちょうだい!」
別のテーブルから聞こえる、オーダーの声。
「オレも! から揚げとビール!」
「ワタシも食べたいわ! マヨネーズたっぷりお願いね!」
「……ええい、ワシはから揚げとライスじゃ!」
あちこちから響く、から揚げコール。
今宵、僕は死に場所を求めていた。
もちろんそれは比喩だ。浴びるように酒を飲んで、やがて酒におぼれて、酔いつぶれて、二度と恋なんてしないとこじらせるくらいに落ち込んでやろうと思っていた。
それなのに不思議だ。
悲しいのに、こんなにも胸は温かい。
苦しいことも辛いことも理不尽なことも、酒とおいしい料理が、お店とお客さんの醸し出す雰囲気が、楽しいひとときに変換してくれる。どんな化学式も確率論も、宇宙の法則だって通用しない。居酒屋には、そんな不思議な力がある。
それこそが居酒屋の魅力なのだろう。
「ねえ、ユッキー」
マナがジョッキを掲げる。
そうか、そういえば、まだだった。
僕は今日の出来事を一生忘れないだろう。
この出会いが僕の明るい未来につながらんことを。
心からそう祈り、ジョッキを宙で打ち鳴らす。
「……乾杯」
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