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五話:降霊バーで、いつかの一杯を。

(5-7)託す

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 翌日、電車とバスに揺られ、私は埼玉の片田舎に来ていた。特別自然が多いわけでもないのに、どこかのんびりした空気が流れている。目的地最寄りのバス停を降り、ゆっくり歩いていると、軽自動車の走行音ですらのどかに感じられる。

 きっと高い建造物が少ないためだろう。東京では何十階建てのビルが乱立していて、どこか威圧感のようなものがある。ここでは、遠くの山や空が歩きながらよく見えた。頬を撫でる生暖かい風が心地よい。

 悠々と歩いていたつもりでも、十分もしないうちに目的地に到着した。木造の巨大なお寺と、山の斜面に等間隔で並んだ墓石は、まるで文化遺産のような荘厳さがある。


 身内以外のお墓参りなんて初めてだ。


 私は静さんに教えてもらった通り、急な坂道を上って一番奥の区画へと足を運んだ。水の入った桶を持っての移動は地味に体力を消耗する。こりゃ間違いなく明日は全身筋肉痛だな。

 お菓子やミニカーが置いてあるお墓、線香の代わりにタバコが供えてあるお墓、雑草が生い茂り蔦が絡まっているお墓……。墓石の一つひとつから、亡くなった人や家族との関係の片鱗が読み取れる。

「あ、あった」

 葬馬家と書かれたお墓には、枯れた花が差さっている。少し前に誰かがお墓参りに来たようだ。そういえば先日、出先で電車遅延に巻き込まれて出勤が遅れた人がいたな。

 ここに満さんが眠っているんだ。

 側面を見ると、没年が彫ってあった。日付は今から約十年前。他の名前が記してないのは、まだご家族が健在だからか、あるいは彼女だけ別のお墓なのか。

 いくら墓石を見つめても、満さんがどんな顔なのか、どんな声や性格なのか、どんな食べ物が好きで、趣味は何だったのか、まったくわからない。


 死者と生者は、交われない。


 私は線香をあげ両手を合わせてから、ひしゃくで水をかける。墓石を伝った水は、すぐに流れ落ちて土に染み込んでいった。

「……帰るか」

 最後に住職さんに話を聞いてみようか。いや、訪れる人の家庭環境などいちいち把握していないだろう。そういえば庭に柴犬を放し飼いにしていたな。少し戯れた後に駅前の喫茶店でケーキを食べて、それから出勤しよう。

 そんなことを考えていると、ふと左側から視線を感じた。

 坂道のそばで、ショートボブの女性がこちらを見ていた。桶と花束を持って私の方に近づいてくる。

「ひょっとして、ミチルちゃんのお知り合いですか?」

 声が小さく、話しかけられていると気づくのに数瞬を要した。喪服ではないものの服装も髪も黒で統一されている。

「わたし、ミチルちゃんの同級生の奈央なおって言います。初めまして……ですよね?」

 表情はにこやかだった。友達の友達と出会えたという喜びが溢れている。

「あ、はい。私、満さんのお兄さんの知人で輪立杏子って言います」
「そっかぁ。ミチルちゃん、良かったねぇ」

 墓石をよしよしする奈央さんを見て、きっと長い付き合いなのだと悟る。お墓参りも頻繁に来ているのだろう。

「そうだ。もし時間があったら、駅前の喫茶店でお茶しませんか? ミチルちゃんのお話とかできたら嬉しいなって。あそこの自家製シュークリーム、超おいしいんですよ」

 奈央さんは意外と積極的だった。その喫茶店には私も寄るつもりだったので、二つ返事で快諾する。

 霊園を出て一緒に歩いている間も、少し話をした。奈央さんは満さんと幼稚園からの付き合いで、中学では三年間クラスも一緒だったという。この十年間、盆暮れ以外にも定期的にお墓参りをしているのだそうだ。

「わたしが行くといつも、真っ白な百合が差してあるんですよ。きっとお兄さんだと思いますが、納骨が終わってからは一度も会ってないんですよねぇ。お元気そうですか?」
「……おおむね元気ですよ」

 私にしょっちゅう毒を吐くくらいには。

「ミチルちゃん、お兄さんのことが大好きで、学校でもよく話してました。『お兄ちゃんはいつも優しい』『そのうちお似合いの彼女ができるんだろうなぁ』って」

 葬馬さんは、私と妹では接し方が真逆らしい。別に羨ましくないけど。

 家庭環境は不遇だった満さんも、兄と友人には恵まれていたようだ。

 もし彼女の人生が続いていたらと想像する。きっと奈央さんとの付き合いは続いていて、恋人ができた時には真っ先に知らせるのだ。妹ラブの葬馬さんは、彼氏の存在を知ったらきっと動揺するんだろうな。でも結婚が決まったら誰よりも祝福するに決まっている。結婚式では人のいないところで号泣しているかもしれない。

「……」

 さっきから何度満さんをイメージしても、私は葬馬さんを見ていた。それは至極当然のことだ。私は葬馬さんしか知らないし、静さんから話を訊いたりお墓参りをしたりしているのも、どう言い訳しようと結局は葬馬さんを知りたいがための行動だ。その原動力は、自分でもよくわかっていないけれど。

 喫茶店に到着し、私たちは揃ってケーキセットを注文する。選んだスイーツはもちろんシュークリーム。ドリンクに私は紅茶を、奈央さんはホットコーヒーを注文する。

「そうだ、渡しておきたいものがあるんです」

 奈央さんはカバンから横型の封筒を取り出した。封筒は淡い黄色で、可愛らしい猫のシールで封をしてある。

「これは?」
「小学校の時、タイムカプセルを埋めたんです。『十五年後の自分に手紙を贈ろう』って。先日その開封式があって、ミチルちゃんの手紙はわたしが預かったんです」
「中身は読んだんですか?」

 奈央さんは首をふるふると振る。

「ミチルちゃん、当時言ってたんです。『恥ずかしいから奈央ちゃんにだけは絶対に見せられない』って。だからこの先、わたしが中身を検めることは絶対にありません。今日お墓に供えるつもりだったんですけれど、もしお兄さんと知り合いなら渡していただけないかと」
「構いませんけど、奈央さんは本当に読まなくていいんですか?」
「約束ですもん」

 きっぱりと答える。奈央さんにとって満さんは過去の友達ではなく、今なお付き合いが続いているのだ。

「あ、杏子さんは読んでも問題ないと思いますよ? わたし以外については言及してなかったので」

 片目を閉じて悪戯っぽく笑う。この子、意外と抜け目ないな。

 やがてケーキセットが運ばれてくる。

 結論から言うと、シュークリームは絶品だった。蓋と本体が分かれているセパレートタイプで、シューにはカスタードクリームがぎっしり詰まっていた。サクサクのシューに、程よい甘さのカスタード。降りかかった粉砂糖の舌触りも滑らかで、スイーツとしてのポテンシャルを引き上げている。ダージリンとの相性も申し分ない。


 生きていなければ、このおいしさは味わえない。


 生きてさえいれば、「おいしい」や「嬉しい」を何度でも体感できる。


 死に別れの無念だって、ずっと抱えたままにはならない。


 苦しいままにはさせない。



 私は、葬馬さんを助けたい。
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