降霊バーで、いつもの一杯を。

及川 輝新

文字の大きさ
上 下
28 / 37
五話:降霊バーで、いつかの一杯を。

(5-2)拒否

しおりを挟む
 男性は須田すだと名乗った。なだらかな眉と垂れ目が、温厚な雰囲気を醸し出している。予約を入れていなかったのは、私の想像通り、直前まで『Re:union』を訪ねる決心がつかなかったかららしい。

「相変わらずこっちは賑やかですね。昼と夜の区別がつかなくなりそうだ。あ、ジントニックをお願いできますか」

 黒のダウンジャケットを羽織ったまま、須田さんは内装を眺めている。

「東京にお住まいだったんですか?」
「ええ、大学まで。就職した会社で小樽支社の配属になったので、十年ぶりになります」

 遠路はるばる北海道からやってきたという割に、須田さんは驚くほど身軽だった。所持品はウエストポーチのみ。せいぜい財布や文庫本が入る程度の大きさしかない。着替えは現地調達できるとしても、勢いで出発した感がすごい。

 行動に対して精神が遅れた位置にいるのは、死者に会えるというおとぎ話を信じたい子どものような自分と、そんな夢物語があるはずはないという大人の自分がせめぎ合っているからか。

「向こうでも自称・霊能力者に会ったことがあるんです。この道五十年で業界でも有名な人物らしいですが、結果はからっきしでした。魂を降ろしたなんて言いながら、オレが開示した情報以外はろくに話せず、演技力でごまかそうとしているのが見え見えで」

 霊能力者、イタコ、シャーマン、ネクロマンサー……。現代の科学では解明できない現象を金儲けに利用している人は世の中にごまんといる。だが私は、彼らが一概に詐欺師であるとは考えていない。

 大事なのは、いかに依頼主の迷える心を救えるかだ。その人が胸の内に抑え込んでいる後悔や苦悩を取り払い、もう一度前に進むきっかけを与えられるのなら、あくまでカウンセラーとしては優秀ではないかと思うのだ。もちろん、法外な大金をせしめとったりあからさまな嘘でごまかしたりするのは論外だけれど。

 そんな風に鷹揚に構えられるのは、本物の霊能力者を知っているからだろうか。

「それで、須田さんが会いたいのはどなたですか?」
「……オレが高校三年生の時に亡くなった、ひとつ下の妹です」
「妹さん……病気とかですか」

「いえ、自ら首を吊りました」

 カクテルを作る葬馬さんの手が止まる。店内に控えめなピアノのBGMだけが流れる。

「……自殺……」

 ようやく私が絞り出せたのは、ただのおうむ返しだった。

「あいつは小さい頃から優しくて、正義感も人一倍ありました。不正や不平等を決して許さず、擦れずに真っ直ぐすぎるくらいに育ちましたよ。最大の美点で、唯一の欠点でした。いじめられていた子を守っただけなのに、次は自分がいじめのターゲットにされるなんて、本当にあるんですね」

 須田さんは下唇を噛み、拳を強く握った。

「いじめの内容はよくあるものでした。席を離れた隙に物を隠されるとか、教室で自分だけ無視されるとか、すれ違いざまに暴言を吐かれるとか。陳腐な悪意でも、いじめられる側は少しずつ、じりじりと心が削られていくのでしょうね。
 妹は両親には打ち明けていたそうですが、彼らの反応もまた典型的で、『お前が余計なことをしたのが悪い』『あと一、二年で卒業なんだから我慢しろ』『不登校は絶対に許さん』なんてまともに取り合ってくれなかったみたいで。オレがそのあたりを聞かされたのは、四十九日が終わってからでしたけどね」

 テーブルに言葉を吐き捨て、ジントニックを受け取る。グラスに口を付けると、「くらくらしそうだ」とつぶやいた。

「地方新聞には小さく載りましたが、本気でいじめ問題に向き合っているやつなんて誰一人いませんでしたよ。教師も、学校も、教育委員会も、適当なアンケートでそれっぽい報告書をまとめてお茶を濁そうとした。いじめた当人らは反省文を書かされただけです。普通に高校を卒業して、今はどこかでそれなりに幸せに暮らしているんでしょう。妹の……ナツミの命はあまりに軽すぎた」
「そんなの……さすがにご両親は納得しませんよね?」
「両親も調査結果に深く追及しませんでしたよ。納得した振りをして、現実から目を背けたんです。自分たちの落ち度を認めたくなくて」

 教師にも両親にも頼れず、ナツミさんは現実での逃げ道を失った。そして自ら命を絶つことに救いを見いだしてしまったのだ。

「オレだって同類だ。あの頃は受験勉強にかかりきりで、ナツミとはちっとも話をしなかった。少しでも目を向けていれば、異変に気づけたかもしれないのに。オレが声を上げていれば、結果は違っていたかも」

 その答えは誰にもわからない。一生明らかにはされず、結果が覆ることもない。

 なぜ遺族がここまで苦しまなければならないのか。あまりに理不尽で、話を聞いているだけの私でさえ、黒い感情に飲み込まれそうになる。

「……今度、会社の同期と結婚するんです」

 須田さんは指輪を付けていなかった。おめでとうございます、と答えて良いものか私は判断できなかった。

「両親に会わせるつもりはありません。そもそも就職してから一度も帰省していませんからね。代わりというわけではないですが、オレは今一度妹と向き合うべきだと思いました。いや、それも言い訳ですね。オレはナツミに謝りたい。これから家族を守る立場の男が、妹一人守れなかった兄が、このままのうのうと幸せになっていいはずがない」

 死んだ人間は生き返らない。それでも決して切り離すことのできない感情がある。肉体はなくなっても、生者の心に残り続ける。それがきょうだいであり、家族なんだ。

 私は須田さんの手を取り、ぎゅっと力を込める。

「私たちに任せてください。ナツミさんに会わせて差し上げますから」
「ありがとうございます。勇気を出してここまで来て良かった……」

 須田さんは垂れた目元を緩め、弱々しく笑った。

「では早速、降霊の手順を説明しますね。何か妹さんにゆかりのあるものはお持ちですか? スマホに映っている本人の写真でも結構です。あとはお好みのお酒をリクエストしてもらえれば……」



「お断りします」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

今夜も琥珀亭で

深水千世
ライト文芸
【第15回恋愛小説大賞奨励賞受賞作品】 北海道にあるバー『琥珀亭』でひょんなことから働きだした尊。 常連客のお凛さん、先輩バーテンダーの暁、そして美しくもどこか謎めいた店長の真輝たちと出会うことで、彼の人生が変わりだす。 第15回恋愛小説大賞奨励賞を受賞しました。ありがとうございます。 記念に番外編を追加しますのでお楽しみいただければ幸いです。

琥珀色の日々

深水千世
ライト文芸
北海道のバー『琥珀亭』に毎晩通う常連客・お凛さん。 彼女と琥珀亭に集う人々とのひとときの物語。 『今夜も琥珀亭で』の続編となりますが、今作だけでもお楽しみいただけます。 カクヨムと小説家になろうでも公開中です。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

心の落とし物

緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも ・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ ) 〈本作の楽しみ方〉  本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。  知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。 〈あらすじ〉  〈心の落とし物〉はありませんか?  どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。  あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。  喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。  ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。  懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。 〈主人公と作中用語〉 ・添野由良(そえのゆら)  洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。 ・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉  人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。 ・〈探し人(さがしびと)〉  〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。 ・〈未練溜まり(みれんだまり)〉  忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。 ・〈分け御霊(わけみたま)〉  生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。

ひとりむすめ

山下真響
現代文学
高校三年生になった千代子にはパートナーがいます。声が小さすぎる『夫』との共同生活をする中で、ある特殊な力を手に入れました。池に棲む鯉が大海に出るまでのお話。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...