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五話:降霊バーで、いつかの一杯を。
(5-2)拒否
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男性は須田と名乗った。なだらかな眉と垂れ目が、温厚な雰囲気を醸し出している。予約を入れていなかったのは、私の想像通り、直前まで『Re:union』を訪ねる決心がつかなかったかららしい。
「相変わらずこっちは賑やかですね。昼と夜の区別がつかなくなりそうだ。あ、ジントニックをお願いできますか」
黒のダウンジャケットを羽織ったまま、須田さんは内装を眺めている。
「東京にお住まいだったんですか?」
「ええ、大学まで。就職した会社で小樽支社の配属になったので、十年ぶりになります」
遠路はるばる北海道からやってきたという割に、須田さんは驚くほど身軽だった。所持品はウエストポーチのみ。せいぜい財布や文庫本が入る程度の大きさしかない。着替えは現地調達できるとしても、勢いで出発した感がすごい。
行動に対して精神が遅れた位置にいるのは、死者に会えるというおとぎ話を信じたい子どものような自分と、そんな夢物語があるはずはないという大人の自分がせめぎ合っているからか。
「向こうでも自称・霊能力者に会ったことがあるんです。この道五十年で業界でも有名な人物らしいですが、結果はからっきしでした。魂を降ろしたなんて言いながら、オレが開示した情報以外はろくに話せず、演技力でごまかそうとしているのが見え見えで」
霊能力者、イタコ、シャーマン、ネクロマンサー……。現代の科学では解明できない現象を金儲けに利用している人は世の中にごまんといる。だが私は、彼らが一概に詐欺師であるとは考えていない。
大事なのは、いかに依頼主の迷える心を救えるかだ。その人が胸の内に抑え込んでいる後悔や苦悩を取り払い、もう一度前に進むきっかけを与えられるのなら、あくまでカウンセラーとしては優秀ではないかと思うのだ。もちろん、法外な大金をせしめとったりあからさまな嘘でごまかしたりするのは論外だけれど。
そんな風に鷹揚に構えられるのは、本物の霊能力者を知っているからだろうか。
「それで、須田さんが会いたいのはどなたですか?」
「……オレが高校三年生の時に亡くなった、ひとつ下の妹です」
「妹さん……病気とかですか」
「いえ、自ら首を吊りました」
カクテルを作る葬馬さんの手が止まる。店内に控えめなピアノのBGMだけが流れる。
「……自殺……」
ようやく私が絞り出せたのは、ただのおうむ返しだった。
「あいつは小さい頃から優しくて、正義感も人一倍ありました。不正や不平等を決して許さず、擦れずに真っ直ぐすぎるくらいに育ちましたよ。最大の美点で、唯一の欠点でした。いじめられていた子を守っただけなのに、次は自分がいじめのターゲットにされるなんて、本当にあるんですね」
須田さんは下唇を噛み、拳を強く握った。
「いじめの内容はよくあるものでした。席を離れた隙に物を隠されるとか、教室で自分だけ無視されるとか、すれ違いざまに暴言を吐かれるとか。陳腐な悪意でも、いじめられる側は少しずつ、じりじりと心が削られていくのでしょうね。
妹は両親には打ち明けていたそうですが、彼らの反応もまた典型的で、『お前が余計なことをしたのが悪い』『あと一、二年で卒業なんだから我慢しろ』『不登校は絶対に許さん』なんてまともに取り合ってくれなかったみたいで。オレがそのあたりを聞かされたのは、四十九日が終わってからでしたけどね」
テーブルに言葉を吐き捨て、ジントニックを受け取る。グラスに口を付けると、「くらくらしそうだ」とつぶやいた。
「地方新聞には小さく載りましたが、本気でいじめ問題に向き合っているやつなんて誰一人いませんでしたよ。教師も、学校も、教育委員会も、適当なアンケートでそれっぽい報告書をまとめてお茶を濁そうとした。いじめた当人らは反省文を書かされただけです。普通に高校を卒業して、今はどこかでそれなりに幸せに暮らしているんでしょう。妹の……ナツミの命はあまりに軽すぎた」
「そんなの……さすがにご両親は納得しませんよね?」
「両親も調査結果に深く追及しませんでしたよ。納得した振りをして、現実から目を背けたんです。自分たちの落ち度を認めたくなくて」
教師にも両親にも頼れず、ナツミさんは現実での逃げ道を失った。そして自ら命を絶つことに救いを見いだしてしまったのだ。
「オレだって同類だ。あの頃は受験勉強にかかりきりで、ナツミとはちっとも話をしなかった。少しでも目を向けていれば、異変に気づけたかもしれないのに。オレが声を上げていれば、結果は違っていたかも」
その答えは誰にもわからない。一生明らかにはされず、結果が覆ることもない。
なぜ遺族がここまで苦しまなければならないのか。あまりに理不尽で、話を聞いているだけの私でさえ、黒い感情に飲み込まれそうになる。
「……今度、会社の同期と結婚するんです」
須田さんは指輪を付けていなかった。おめでとうございます、と答えて良いものか私は判断できなかった。
「両親に会わせるつもりはありません。そもそも就職してから一度も帰省していませんからね。代わりというわけではないですが、オレは今一度妹と向き合うべきだと思いました。いや、それも言い訳ですね。オレはナツミに謝りたい。これから家族を守る立場の男が、妹一人守れなかった兄が、このままのうのうと幸せになっていいはずがない」
死んだ人間は生き返らない。それでも決して切り離すことのできない感情がある。肉体はなくなっても、生者の心に残り続ける。それがきょうだいであり、家族なんだ。
私は須田さんの手を取り、ぎゅっと力を込める。
「私たちに任せてください。ナツミさんに会わせて差し上げますから」
「ありがとうございます。勇気を出してここまで来て良かった……」
須田さんは垂れた目元を緩め、弱々しく笑った。
「では早速、降霊の手順を説明しますね。何か妹さんにゆかりのあるものはお持ちですか? スマホに映っている本人の写真でも結構です。あとはお好みのお酒をリクエストしてもらえれば……」
「お断りします」
「相変わらずこっちは賑やかですね。昼と夜の区別がつかなくなりそうだ。あ、ジントニックをお願いできますか」
黒のダウンジャケットを羽織ったまま、須田さんは内装を眺めている。
「東京にお住まいだったんですか?」
「ええ、大学まで。就職した会社で小樽支社の配属になったので、十年ぶりになります」
遠路はるばる北海道からやってきたという割に、須田さんは驚くほど身軽だった。所持品はウエストポーチのみ。せいぜい財布や文庫本が入る程度の大きさしかない。着替えは現地調達できるとしても、勢いで出発した感がすごい。
行動に対して精神が遅れた位置にいるのは、死者に会えるというおとぎ話を信じたい子どものような自分と、そんな夢物語があるはずはないという大人の自分がせめぎ合っているからか。
「向こうでも自称・霊能力者に会ったことがあるんです。この道五十年で業界でも有名な人物らしいですが、結果はからっきしでした。魂を降ろしたなんて言いながら、オレが開示した情報以外はろくに話せず、演技力でごまかそうとしているのが見え見えで」
霊能力者、イタコ、シャーマン、ネクロマンサー……。現代の科学では解明できない現象を金儲けに利用している人は世の中にごまんといる。だが私は、彼らが一概に詐欺師であるとは考えていない。
大事なのは、いかに依頼主の迷える心を救えるかだ。その人が胸の内に抑え込んでいる後悔や苦悩を取り払い、もう一度前に進むきっかけを与えられるのなら、あくまでカウンセラーとしては優秀ではないかと思うのだ。もちろん、法外な大金をせしめとったりあからさまな嘘でごまかしたりするのは論外だけれど。
そんな風に鷹揚に構えられるのは、本物の霊能力者を知っているからだろうか。
「それで、須田さんが会いたいのはどなたですか?」
「……オレが高校三年生の時に亡くなった、ひとつ下の妹です」
「妹さん……病気とかですか」
「いえ、自ら首を吊りました」
カクテルを作る葬馬さんの手が止まる。店内に控えめなピアノのBGMだけが流れる。
「……自殺……」
ようやく私が絞り出せたのは、ただのおうむ返しだった。
「あいつは小さい頃から優しくて、正義感も人一倍ありました。不正や不平等を決して許さず、擦れずに真っ直ぐすぎるくらいに育ちましたよ。最大の美点で、唯一の欠点でした。いじめられていた子を守っただけなのに、次は自分がいじめのターゲットにされるなんて、本当にあるんですね」
須田さんは下唇を噛み、拳を強く握った。
「いじめの内容はよくあるものでした。席を離れた隙に物を隠されるとか、教室で自分だけ無視されるとか、すれ違いざまに暴言を吐かれるとか。陳腐な悪意でも、いじめられる側は少しずつ、じりじりと心が削られていくのでしょうね。
妹は両親には打ち明けていたそうですが、彼らの反応もまた典型的で、『お前が余計なことをしたのが悪い』『あと一、二年で卒業なんだから我慢しろ』『不登校は絶対に許さん』なんてまともに取り合ってくれなかったみたいで。オレがそのあたりを聞かされたのは、四十九日が終わってからでしたけどね」
テーブルに言葉を吐き捨て、ジントニックを受け取る。グラスに口を付けると、「くらくらしそうだ」とつぶやいた。
「地方新聞には小さく載りましたが、本気でいじめ問題に向き合っているやつなんて誰一人いませんでしたよ。教師も、学校も、教育委員会も、適当なアンケートでそれっぽい報告書をまとめてお茶を濁そうとした。いじめた当人らは反省文を書かされただけです。普通に高校を卒業して、今はどこかでそれなりに幸せに暮らしているんでしょう。妹の……ナツミの命はあまりに軽すぎた」
「そんなの……さすがにご両親は納得しませんよね?」
「両親も調査結果に深く追及しませんでしたよ。納得した振りをして、現実から目を背けたんです。自分たちの落ち度を認めたくなくて」
教師にも両親にも頼れず、ナツミさんは現実での逃げ道を失った。そして自ら命を絶つことに救いを見いだしてしまったのだ。
「オレだって同類だ。あの頃は受験勉強にかかりきりで、ナツミとはちっとも話をしなかった。少しでも目を向けていれば、異変に気づけたかもしれないのに。オレが声を上げていれば、結果は違っていたかも」
その答えは誰にもわからない。一生明らかにはされず、結果が覆ることもない。
なぜ遺族がここまで苦しまなければならないのか。あまりに理不尽で、話を聞いているだけの私でさえ、黒い感情に飲み込まれそうになる。
「……今度、会社の同期と結婚するんです」
須田さんは指輪を付けていなかった。おめでとうございます、と答えて良いものか私は判断できなかった。
「両親に会わせるつもりはありません。そもそも就職してから一度も帰省していませんからね。代わりというわけではないですが、オレは今一度妹と向き合うべきだと思いました。いや、それも言い訳ですね。オレはナツミに謝りたい。これから家族を守る立場の男が、妹一人守れなかった兄が、このままのうのうと幸せになっていいはずがない」
死んだ人間は生き返らない。それでも決して切り離すことのできない感情がある。肉体はなくなっても、生者の心に残り続ける。それがきょうだいであり、家族なんだ。
私は須田さんの手を取り、ぎゅっと力を込める。
「私たちに任せてください。ナツミさんに会わせて差し上げますから」
「ありがとうございます。勇気を出してここまで来て良かった……」
須田さんは垂れた目元を緩め、弱々しく笑った。
「では早速、降霊の手順を説明しますね。何か妹さんにゆかりのあるものはお持ちですか? スマホに映っている本人の写真でも結構です。あとはお好みのお酒をリクエストしてもらえれば……」
「お断りします」
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