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三話:降霊バーで、馴染みの一杯を。
(3-7)なぜ
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ありとあらゆる恨みを凝縮したような憎悪の言葉を放った直後、今度こそ哀歌さんは旅立った。直後、葬馬さんが壁に背中をぶつけ、ずるずると下がっていく。
きっとアルコールが回っているのだ。度数が五~七パーセント程度のビールに比べ、カルーアの原液は十五パーセント。牛乳で割っているとはいえ、飲み慣れていない人にとっては強すぎる。
哀歌さんに悲しい思いをさせ、葬馬さんの身体にも負担をかけてしまった。人助けをするつもりが、私は今や完全な戦犯だ。降霊の手伝いをしたと思ったら、加害者と被害者の邂逅を手助けするとは。
でもさっきの一言を浴びれば、渡辺さんもこれ以上哀歌さんのことを調べ回ったり、他の女性に迷惑をかけたりすることもないだろう。それだけでも、今回の降霊に意味があったと思いたい。
「……とんだ淫売だったな」
暗く、尖った声だった。
「は?」
「不特定多数の男をたぶらかせ、他人の人生を弄ぶとは、とんでもない女だ。僕の前から消えてくれて、結果的に良かったのかもな」
「なに……言ってるの? さっきはさんざん純愛アピールしてたじゃない」
「どうやら僕は悪魔に騙されていたらしい。黒髪は純真の証などではなく、心の闇が漏れ出した影響だったみたいだ」
顔に手のひらを当て、くくく、と不気味な笑みをこぼす渡辺さんは、それこそ悪魔に憑りつかれたようだった。
「それに引き替え、君は赤の他人である僕に親身になってくれた。こういうのを本当の優しさって言うんだろうね」
「はぁ?」
渡辺さんはカウンターから回り込み、横のスイング扉から厨房に侵入してくる。
「君こそ真の救世主だ。僕に愛を教えてくれないか」
眼球が飛び出そうなほどに目は見開いており、まるで照準を定めるかのように私を凝視しながら近づいてくる。私は後ろに退避しようとするが、すぐに厨房の隅に追いやられてしまった。
今の渡辺さんは、心の支えを失って半ば自暴自棄になっている。下手に拒絶すれば暴力で脅してくるかもしれない。幸か不幸か、武器になりうるものはいたるところに転がっている。正当防衛って本当に成立するのかなぁ。でもきっとお母さんに迷惑かけちゃうだろうなぁ。
ああ、怖い。
ストーカーとは無縁の生活を送ってきた私は、生まれて初めて異性に対する恐怖を抱いていた。
「大丈夫。きっと僕たちならうまくやっていけるよ。何かあったら守ってあげるから」
「だったら俺から守り切れるか?」
渡辺さんが振り返ると同時に、宙に浮かぶ。
シャツの首元を緩めた葬馬さんが、渡辺さんを持ち上げていた。
「は、離せ! 邪魔をするな!」
「邪魔者はお前だろうが。人の女に手を出すとはいい度胸だな」
「え」
私は思わず素のリアクションをとってしまう。誰が誰の女だって?
「コイツに指一本でも触れてみろ。八つ裂きにしてぶっ殺すぞ」
目つきの鋭さだけで切り殺せそうな勢いだった。演技でもなく本気で怒っているのが伝わってくる。
「返事はできねぇだろうから一方的に言うぞ。この店は出禁だ。二度と来るな。あとコイツの半径五十メートル以内に入るのも禁止だ。警察に駆け込むのは勝手だがな。防犯カメラの映像がばっちり残ってるし、アイツらは民事不介入とか言って店と客の揉め事には露骨に面倒くさそうな態度とるから期待するなよ。万が一本当に警察が動いても知り合いに頼んで揉み消すけどな」
頭に静さんの胡散臭い笑顔が浮かぶ。あの時間に一人で自由に動けるみたいだし、若くして何気にエリートなのかもしれない。
渡辺さんは接客モードから反転した葬馬さんの本性におののいている。何度も頭をこくこくと振り、服従の意思を表明している。
「返事はァ!」
「は、はい!」
返事はできないだろうって自分で言ってたじゃん。
床に足をつけた渡辺さんはカバンを持って、一目散にお店を出ていった。あの様子ならもう私たちの前に現れることはないだろう。
渡辺さんの背中を目で追いながら、葬馬さんはスマホを耳に当てる。
「俺だ。大至急護衛を用意しろ。……俺じゃねえ、アダチのだよ。……あ? 『警察は民間人のSPじゃない』だと? 親友なら四の五の言わずに従えや。お前なら自由に使える部下の一人や二人はいるだろ? 三十分以内に来させろよ、じゃ」
スマホをポケットにしまった葬馬さんは私を一瞥し、頭をぱかんと叩く。
「痛った!」
「お前はいつも客に深入りしすぎなんだ、アホが」
「……ごめんなさい」
こんな展開になるなんて予想できなかったとはいえ、今回ばかりは私が悪い。
「あー、頭がぐるぐるする……。アダチ、水。あと布団」
再び厨房の床にお尻をつけ、葬馬さんは片手で頭を抱える。ジョッキに水を並々注いで渡すと、ぐびぐびと一気に飲み干してしまった。
「おかわり」
だいぶ目が据わっている。首や耳元も赤く、頭が左右にゆらゆらしている。今なら自白剤を打たれた捕虜よろしく、質問にはなんでも答えてくれるかもしれない。
「…………」
静さんの言葉が、さっきから私の脳内でリフレインしている。
『アイツは毒舌家だけど、『死ね』とか『殺す』とかの類は絶対に口にしないからね』
渡辺さんに怒りをぶつける葬馬さんは、はっきりと殺意を露わにした。酔っていて余裕がなかったわけでも、もちろん私を本当に好きなわけでもないだろう。
ならばどうして、あんな発言をしたのか。
それは私が彼に対してずっと抱いていた疑問にも関係するかもしれない。
なぜ、葬馬さんはバーを営んでいるのか?
働くことも人と接することも嫌いな彼が、どうして降霊バーなんて回りくどい方法で生計を立てているのかがずっと謎だった。今回のように自身の霊能力を疑われたり、トラブルに発展しかけたりすることだってあるだろう。それでもバーという形にこだわるのは、何か特別な理由があるのではないか。
「アダチぃ、水……」
それでも今尋ねるのはフェアじゃない気がする。いつかは『Re:union』の歴史を語ってくれる日が来るかもしれない。
少なくとも今は、酔っ払いの介抱に専念するとしよう。
きっとアルコールが回っているのだ。度数が五~七パーセント程度のビールに比べ、カルーアの原液は十五パーセント。牛乳で割っているとはいえ、飲み慣れていない人にとっては強すぎる。
哀歌さんに悲しい思いをさせ、葬馬さんの身体にも負担をかけてしまった。人助けをするつもりが、私は今や完全な戦犯だ。降霊の手伝いをしたと思ったら、加害者と被害者の邂逅を手助けするとは。
でもさっきの一言を浴びれば、渡辺さんもこれ以上哀歌さんのことを調べ回ったり、他の女性に迷惑をかけたりすることもないだろう。それだけでも、今回の降霊に意味があったと思いたい。
「……とんだ淫売だったな」
暗く、尖った声だった。
「は?」
「不特定多数の男をたぶらかせ、他人の人生を弄ぶとは、とんでもない女だ。僕の前から消えてくれて、結果的に良かったのかもな」
「なに……言ってるの? さっきはさんざん純愛アピールしてたじゃない」
「どうやら僕は悪魔に騙されていたらしい。黒髪は純真の証などではなく、心の闇が漏れ出した影響だったみたいだ」
顔に手のひらを当て、くくく、と不気味な笑みをこぼす渡辺さんは、それこそ悪魔に憑りつかれたようだった。
「それに引き替え、君は赤の他人である僕に親身になってくれた。こういうのを本当の優しさって言うんだろうね」
「はぁ?」
渡辺さんはカウンターから回り込み、横のスイング扉から厨房に侵入してくる。
「君こそ真の救世主だ。僕に愛を教えてくれないか」
眼球が飛び出そうなほどに目は見開いており、まるで照準を定めるかのように私を凝視しながら近づいてくる。私は後ろに退避しようとするが、すぐに厨房の隅に追いやられてしまった。
今の渡辺さんは、心の支えを失って半ば自暴自棄になっている。下手に拒絶すれば暴力で脅してくるかもしれない。幸か不幸か、武器になりうるものはいたるところに転がっている。正当防衛って本当に成立するのかなぁ。でもきっとお母さんに迷惑かけちゃうだろうなぁ。
ああ、怖い。
ストーカーとは無縁の生活を送ってきた私は、生まれて初めて異性に対する恐怖を抱いていた。
「大丈夫。きっと僕たちならうまくやっていけるよ。何かあったら守ってあげるから」
「だったら俺から守り切れるか?」
渡辺さんが振り返ると同時に、宙に浮かぶ。
シャツの首元を緩めた葬馬さんが、渡辺さんを持ち上げていた。
「は、離せ! 邪魔をするな!」
「邪魔者はお前だろうが。人の女に手を出すとはいい度胸だな」
「え」
私は思わず素のリアクションをとってしまう。誰が誰の女だって?
「コイツに指一本でも触れてみろ。八つ裂きにしてぶっ殺すぞ」
目つきの鋭さだけで切り殺せそうな勢いだった。演技でもなく本気で怒っているのが伝わってくる。
「返事はできねぇだろうから一方的に言うぞ。この店は出禁だ。二度と来るな。あとコイツの半径五十メートル以内に入るのも禁止だ。警察に駆け込むのは勝手だがな。防犯カメラの映像がばっちり残ってるし、アイツらは民事不介入とか言って店と客の揉め事には露骨に面倒くさそうな態度とるから期待するなよ。万が一本当に警察が動いても知り合いに頼んで揉み消すけどな」
頭に静さんの胡散臭い笑顔が浮かぶ。あの時間に一人で自由に動けるみたいだし、若くして何気にエリートなのかもしれない。
渡辺さんは接客モードから反転した葬馬さんの本性におののいている。何度も頭をこくこくと振り、服従の意思を表明している。
「返事はァ!」
「は、はい!」
返事はできないだろうって自分で言ってたじゃん。
床に足をつけた渡辺さんはカバンを持って、一目散にお店を出ていった。あの様子ならもう私たちの前に現れることはないだろう。
渡辺さんの背中を目で追いながら、葬馬さんはスマホを耳に当てる。
「俺だ。大至急護衛を用意しろ。……俺じゃねえ、アダチのだよ。……あ? 『警察は民間人のSPじゃない』だと? 親友なら四の五の言わずに従えや。お前なら自由に使える部下の一人や二人はいるだろ? 三十分以内に来させろよ、じゃ」
スマホをポケットにしまった葬馬さんは私を一瞥し、頭をぱかんと叩く。
「痛った!」
「お前はいつも客に深入りしすぎなんだ、アホが」
「……ごめんなさい」
こんな展開になるなんて予想できなかったとはいえ、今回ばかりは私が悪い。
「あー、頭がぐるぐるする……。アダチ、水。あと布団」
再び厨房の床にお尻をつけ、葬馬さんは片手で頭を抱える。ジョッキに水を並々注いで渡すと、ぐびぐびと一気に飲み干してしまった。
「おかわり」
だいぶ目が据わっている。首や耳元も赤く、頭が左右にゆらゆらしている。今なら自白剤を打たれた捕虜よろしく、質問にはなんでも答えてくれるかもしれない。
「…………」
静さんの言葉が、さっきから私の脳内でリフレインしている。
『アイツは毒舌家だけど、『死ね』とか『殺す』とかの類は絶対に口にしないからね』
渡辺さんに怒りをぶつける葬馬さんは、はっきりと殺意を露わにした。酔っていて余裕がなかったわけでも、もちろん私を本当に好きなわけでもないだろう。
ならばどうして、あんな発言をしたのか。
それは私が彼に対してずっと抱いていた疑問にも関係するかもしれない。
なぜ、葬馬さんはバーを営んでいるのか?
働くことも人と接することも嫌いな彼が、どうして降霊バーなんて回りくどい方法で生計を立てているのかがずっと謎だった。今回のように自身の霊能力を疑われたり、トラブルに発展しかけたりすることだってあるだろう。それでもバーという形にこだわるのは、何か特別な理由があるのではないか。
「アダチぃ、水……」
それでも今尋ねるのはフェアじゃない気がする。いつかは『Re:union』の歴史を語ってくれる日が来るかもしれない。
少なくとも今は、酔っ払いの介抱に専念するとしよう。
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