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二話:降霊バーで、かつての一杯を。
(2-4)二度目の別れ
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「……パパ?」
「鉄太……なのか?」
ビー玉のようなコロコロとした瞳が、衣笠さんをじっと見つめていた。元となる声こそ成人男性でも、無邪気で飾り気のないハイトーンだった。
「当たり前じゃん。パパなんか老けた?」
「……はは」
衣笠さんは目の前の光景が信じられないというように、瞼をこする。向かい合っている人物こそ葬馬さんだが、彼の瞳には確かに愛息が宿っているのだ。
「これジュース? 飲んでいいの?」
答える前に葬馬さん……鉄太くんがグーの手つきでグラスを握り、ぐいっと傾ける。
「あれっ、苦いよコレ。変なの入ってない?」
「大人のオレンジジュースだよ。お前は昔からオレンジが好きだったろう?」
「うーん、ぶっちゃけ飽きてたよ。ヘルパーさん、いつもオレンジばっか買ってくるんだもん。もっと色んなのが飲みたかったのに。コーラとか」
「そ、そうなのか?」
想像と違う息子の反応に狼狽える衣笠さんを見て、ついクスリと笑ってしまう。親ってそうなんだよね。一度でもおいしいって言うとそればかり買ってきて、いつまで経っても子どもの好みをアップデートしてくれないの。
カクテルをちびりと舐めては舌を出す鉄太くんを、衣笠さんは穏やかな目で眺めていた。言葉は交わさなくても、十二年ぶりの親子の時間がそこには流れていた。
「……あの日のことだけど」
自分のグラスを空にして、衣笠さんが重々しく口を開く。
「火事の時、助けられなくてごめんな。残業なんかしないで、家で一緒にいてやれたらこんなことには……」
「え、パパは何も悪くないじゃん」
間髪をいれず、鉄太くんが答える。あまりにあっけらかんとした口ぶりに、衣笠さんは言葉を失っている。
「だってパパ、会社で偉いから忙しいんでしょ? ぜねらるまねーじゃー、だっけ? 第一、お家のために働いてくれてるんだし。お金がなかったら学校行けないしおいしいごはんも食べられないもん」
当たり前のようにすらすらと出てくるのは、心からそう思っているからに他ならない。
「で、でも、お前にずっと寂しい思いをさせてきたよな。ゲームやパソコンばかりで、たまには遊園地とか行きたかっただろ?」
「別に? オレ、家でゲームしてる方が好きだし」
「……怒ってないのか?」
「なんで? てか悪いのは完全にオレじゃん。パパこそ怒らないの? 家燃えちゃって、ホームレスになってない?」
父親が息子に罪悪感を抱いていたように、鉄太くんもまた反省していた。親子は長年にわたり、お互いを想い合っていたのだ。
衣笠さんが立ち上がり、カウンター越しに鉄太くんを抱き締める。
「……ごめんな。不甲斐ない父親で本当にごめんな……!」
「だからもういいって! 人前で恥ずかしいよ!」
突然の抱擁に、鉄太くんは両手をぱたぱたさせる。その肩は大粒の涙で濡れていた。
葬馬さん曰く、身体に宿している霊魂はあくまでコピーであり、ここで体験した記憶はあの世まで共有されないという。でもいつしか向こうの世界で本物の鉄太くんと再会できたら、その時もきっと今日みたいに許してくれるのだろう。
それから少しだけ、父子の会話は続いた。話すのはもっぱら鉄太くんだ。調理実習でハンバーグが焦げたとか、学校帰りに実は何度か買い食いをしたことがあるとか、ゲームのオンライン対戦で世界的な有名プレーヤーとマッチングし、あと一歩のところで勝てたとか、どこの家庭にもあるようなありふれた話題だった。息子はまるで昨日の出来事のように興奮気味に語り、父親は笑顔でうんうんと頷く。鉄太くんは最初こそそっけない態度だったが、やっぱりお父さんとお喋りしたかったのだ。一度喋り出したらもう止まらなかった。
しかし、二度目の別れはすぐそこまで来ていた。十五分なんてあっという間だ。
「次に会った時は、パパの話聞かせてよ。これまでだけじゃなくて、この先何十年の出来事も、全部」
「……今度はゆっくり話そう。その時はコーラを持っていくよ」
「うん。またね、バイバイ」
鉄太くん……葬馬さんの身体が前後にふらふらと揺れる。大きく前によろめいて、カウンターに手を付いた。
表情が先ほどまでとは一変している。精神が切り替わったばかりで安定していないのか、葬馬さんは目を眇めて下唇を噛んでいた。
「だ、大丈夫?」
私の脳裏に昨晩の光景がよみがえる。降霊を終えた葬馬さんが前のめりに倒れている映像だ。自分以外の魂を身体に宿すことがどれほどの負担なのか、想像もつかない。
「……俺は平気だ。それより客の会計は任せた」
支払いはもう済んだはず、と口から出かかったところで思い出す。降霊の十五万円は受け取っていたものの、バーとしての清算がまだだった。幸い、このお店はレジではなく小さな金庫が置いてあるだけだったので、私でもできそうだ。
「……今日の出来事は、あっちにいる息子は知らないんですよね」
財布からしわしわの五千円札を取り出して、衣笠さんが尋ねてくる。
「万が一は、起こりえないでしょうか」
「……残念ですけど」
「いえ、むしろ良かったです」
はじめからコピーとわかっているのは、ある意味幸せかもしれない。本物の霊魂、本物の息子と会えると知ってしまったら、きっと何度でも足を運びたくなる。私だってもしお金に余裕があったら、またお父さんと話したいと思ってしまうかもしれない。
目的はあくまで生者の心に区切りをつけること。次のステップに進むための、いわば儀式だ。フォーカスは亡くなった者でなく、遺族に合わせられている。お葬式を執り行って、故人に別れを告げる感覚に近いかもしれない。本物のお葬式から時間が経った今なら、心も落ち着いて正直な気持ちを伝えられる。
「あっちの鉄太くんにもきっと、お父さんの気持ちは伝わってますよ。だから……」
ここから先は、おせっかいなのかもしれない。しかし、黙ったまま見送ることはできそうになかった。
「鉄太……なのか?」
ビー玉のようなコロコロとした瞳が、衣笠さんをじっと見つめていた。元となる声こそ成人男性でも、無邪気で飾り気のないハイトーンだった。
「当たり前じゃん。パパなんか老けた?」
「……はは」
衣笠さんは目の前の光景が信じられないというように、瞼をこする。向かい合っている人物こそ葬馬さんだが、彼の瞳には確かに愛息が宿っているのだ。
「これジュース? 飲んでいいの?」
答える前に葬馬さん……鉄太くんがグーの手つきでグラスを握り、ぐいっと傾ける。
「あれっ、苦いよコレ。変なの入ってない?」
「大人のオレンジジュースだよ。お前は昔からオレンジが好きだったろう?」
「うーん、ぶっちゃけ飽きてたよ。ヘルパーさん、いつもオレンジばっか買ってくるんだもん。もっと色んなのが飲みたかったのに。コーラとか」
「そ、そうなのか?」
想像と違う息子の反応に狼狽える衣笠さんを見て、ついクスリと笑ってしまう。親ってそうなんだよね。一度でもおいしいって言うとそればかり買ってきて、いつまで経っても子どもの好みをアップデートしてくれないの。
カクテルをちびりと舐めては舌を出す鉄太くんを、衣笠さんは穏やかな目で眺めていた。言葉は交わさなくても、十二年ぶりの親子の時間がそこには流れていた。
「……あの日のことだけど」
自分のグラスを空にして、衣笠さんが重々しく口を開く。
「火事の時、助けられなくてごめんな。残業なんかしないで、家で一緒にいてやれたらこんなことには……」
「え、パパは何も悪くないじゃん」
間髪をいれず、鉄太くんが答える。あまりにあっけらかんとした口ぶりに、衣笠さんは言葉を失っている。
「だってパパ、会社で偉いから忙しいんでしょ? ぜねらるまねーじゃー、だっけ? 第一、お家のために働いてくれてるんだし。お金がなかったら学校行けないしおいしいごはんも食べられないもん」
当たり前のようにすらすらと出てくるのは、心からそう思っているからに他ならない。
「で、でも、お前にずっと寂しい思いをさせてきたよな。ゲームやパソコンばかりで、たまには遊園地とか行きたかっただろ?」
「別に? オレ、家でゲームしてる方が好きだし」
「……怒ってないのか?」
「なんで? てか悪いのは完全にオレじゃん。パパこそ怒らないの? 家燃えちゃって、ホームレスになってない?」
父親が息子に罪悪感を抱いていたように、鉄太くんもまた反省していた。親子は長年にわたり、お互いを想い合っていたのだ。
衣笠さんが立ち上がり、カウンター越しに鉄太くんを抱き締める。
「……ごめんな。不甲斐ない父親で本当にごめんな……!」
「だからもういいって! 人前で恥ずかしいよ!」
突然の抱擁に、鉄太くんは両手をぱたぱたさせる。その肩は大粒の涙で濡れていた。
葬馬さん曰く、身体に宿している霊魂はあくまでコピーであり、ここで体験した記憶はあの世まで共有されないという。でもいつしか向こうの世界で本物の鉄太くんと再会できたら、その時もきっと今日みたいに許してくれるのだろう。
それから少しだけ、父子の会話は続いた。話すのはもっぱら鉄太くんだ。調理実習でハンバーグが焦げたとか、学校帰りに実は何度か買い食いをしたことがあるとか、ゲームのオンライン対戦で世界的な有名プレーヤーとマッチングし、あと一歩のところで勝てたとか、どこの家庭にもあるようなありふれた話題だった。息子はまるで昨日の出来事のように興奮気味に語り、父親は笑顔でうんうんと頷く。鉄太くんは最初こそそっけない態度だったが、やっぱりお父さんとお喋りしたかったのだ。一度喋り出したらもう止まらなかった。
しかし、二度目の別れはすぐそこまで来ていた。十五分なんてあっという間だ。
「次に会った時は、パパの話聞かせてよ。これまでだけじゃなくて、この先何十年の出来事も、全部」
「……今度はゆっくり話そう。その時はコーラを持っていくよ」
「うん。またね、バイバイ」
鉄太くん……葬馬さんの身体が前後にふらふらと揺れる。大きく前によろめいて、カウンターに手を付いた。
表情が先ほどまでとは一変している。精神が切り替わったばかりで安定していないのか、葬馬さんは目を眇めて下唇を噛んでいた。
「だ、大丈夫?」
私の脳裏に昨晩の光景がよみがえる。降霊を終えた葬馬さんが前のめりに倒れている映像だ。自分以外の魂を身体に宿すことがどれほどの負担なのか、想像もつかない。
「……俺は平気だ。それより客の会計は任せた」
支払いはもう済んだはず、と口から出かかったところで思い出す。降霊の十五万円は受け取っていたものの、バーとしての清算がまだだった。幸い、このお店はレジではなく小さな金庫が置いてあるだけだったので、私でもできそうだ。
「……今日の出来事は、あっちにいる息子は知らないんですよね」
財布からしわしわの五千円札を取り出して、衣笠さんが尋ねてくる。
「万が一は、起こりえないでしょうか」
「……残念ですけど」
「いえ、むしろ良かったです」
はじめからコピーとわかっているのは、ある意味幸せかもしれない。本物の霊魂、本物の息子と会えると知ってしまったら、きっと何度でも足を運びたくなる。私だってもしお金に余裕があったら、またお父さんと話したいと思ってしまうかもしれない。
目的はあくまで生者の心に区切りをつけること。次のステップに進むための、いわば儀式だ。フォーカスは亡くなった者でなく、遺族に合わせられている。お葬式を執り行って、故人に別れを告げる感覚に近いかもしれない。本物のお葬式から時間が経った今なら、心も落ち着いて正直な気持ちを伝えられる。
「あっちの鉄太くんにもきっと、お父さんの気持ちは伝わってますよ。だから……」
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