4 / 37
一話:降霊バーで、あの日の一杯を。
(1-4)大三郎
しおりを挟む
クレジットカードで会計を済ませ、私は座り直す。丸椅子の革がきゅっ、と小さく鳴る。
「それではまず、お父様にゆかりのある品はお持ちですか? プレゼントされた小物などがあれば好ましいのですが」
トートバッグの中身を思い浮かべる。財布、化粧ポーチ、スマホ、会社から持ち帰った私物の筆記用具、グミ……。すべて自分で買ったものだ。
「あるいは写真でも。できれば大きめの方が助かります」
スマホの写真フォルダを起動し、過去に遡っていく。
正直なところ、一緒に写真を撮った記憶なんてなかった。
父は写真が嫌いだったし、入学式などのイベントではいつも撮影側に回り、決して自分は写ろうとしなかった。実家のアルバムだって、私の横にいるのはいつもお母さんだ。
あるとすれば少なくとも三年以上前だ。卒業式、バイト先の送別会、サークルの飲み会……。少しずつ思い出を辿っていく。
「あ」
あった。一枚だけ。
厳密に言えば、父は背景だった。
私が家を出る一週間前。三人でバーに行った日の写真だ。カウンター席しか空いていなかったので、手前から私、お母さん、父の順で座り、自撮りをしたのだ。画面の隅で父は興味なさげに真正面を向いて、お酒を飲んでいる。
カウンター越しにスマホを提示し、「これでも大丈夫ですか」と尋ねると、店員さんは小さく頷いた。
「お借りします」
店員さんは液晶に手のひらを乗せ、コードを読み取るように上から下に撫でる。
「これで、父に会えるんですか?」
「厳密に言えば魂のコピー、とでも言いましょうか。オリジナルはもうこの世にはいませんから、代わりにこの写真から上澄みを回収し、僕という器に宿すのです。これからお客様が会う人物がお父様であるのは確かですが、既に分離した存在のためオリジナルと記憶が共有されることはありません。端的に言えば、今日の出来事をあの世にいるお父様は覚えていないということですね」
「あの世……なんて実在するんですか?」
「さあ、どうでしょう。僕が今お伝えした内容は、あくまで現世の人間の常識で理解できる言葉に置き換えただけですから。お客様がイメージする『あの世』とは異なるかもしれません」
わかるようなわからないような。相変わらず肝心な説明が抽象的だ。
スマホを受け取り、もう一度父の写真を眺める。当時は五十歳ちょうどか。つまらなそうに半分閉じた眼、伸びっぱなしの眉、地肌がだいぶ露出した頭部……。実家にいた頃は見飽きるくらいだったのに、今はとても懐かしい。家では食べたり飲んだりしてばかりのせいで、お腹はぽっこりだ。
「……会いたいなぁ」
スマホを握りしめ、自然と口からこぼれていた。
「では最後に、ご注文はいかがしましょう?」
「注文? まだビールが残ってますけど」
「お父様の、ですよ。最初に申し上げたではないですか。『一緒にお酒を飲みませんか』と」
そういえばそうだった。詐欺かぼったくりの割に(まだわからないけど)、ずいぶんと手が込んでいる。
「といっても、父がいつも飲んでいたのは『大三郎』みたいな名前の、大容量の焼酎ばかりで……」
写真のバーに行った時だって、メニューにない焼酎の生姜割りをオーダーしてお店の人を困らせていた。家族三人最初で最後の酒席。
「ありますよ、大三郎」
「うそっ!」
「ここは降霊バーですから。高いお酒や珍しいお酒より、皆様が普段召し上がっている一杯の方がニーズはありますので。軽いおつまみやお菓子もご用意していますし。水割りでよろしいですか?」
「いえ、もし可能であれば生姜割りで……」
「かしこまりました」
慣れた手つきで生姜を擦りおろし、グラスに投入した。そして焼酎と沸かしたミネラルウォーターを注ぎ、そっとステアする。
私以外の客にも頻繁に降霊しているのだとしたら、やはり信じてもいいのだろうか。いや、油断するな。今までテレビやネットでも散々、自称霊能力者や預言者が現れては消えていったではないか。
「準備が整いました。よろしいですか?」
「……はい」
霊とはつまるところ、エンターテイメントなのだ。ある時は恐怖を与え、またある時は救いを与える、とことん人間にとって都合の良い存在。だから私もこうしてつけ入られている。
「では、降霊を始めます。ここから先、僕の意識は一時的に消失しますので、どうぞお父様とのひと時をお楽しみください」
店員さんは作ったばかりの生姜割りを一口含み、目を閉じる。
期待と不安。降霊なんてお遊戯だと思う自分もいる。その一方で、確かに私は父との再会を待ち望んでいるのだ。
店員さんが目を開ける。瞼は半分ほどしか開いていない。
「なんだ、杏子か」
「それではまず、お父様にゆかりのある品はお持ちですか? プレゼントされた小物などがあれば好ましいのですが」
トートバッグの中身を思い浮かべる。財布、化粧ポーチ、スマホ、会社から持ち帰った私物の筆記用具、グミ……。すべて自分で買ったものだ。
「あるいは写真でも。できれば大きめの方が助かります」
スマホの写真フォルダを起動し、過去に遡っていく。
正直なところ、一緒に写真を撮った記憶なんてなかった。
父は写真が嫌いだったし、入学式などのイベントではいつも撮影側に回り、決して自分は写ろうとしなかった。実家のアルバムだって、私の横にいるのはいつもお母さんだ。
あるとすれば少なくとも三年以上前だ。卒業式、バイト先の送別会、サークルの飲み会……。少しずつ思い出を辿っていく。
「あ」
あった。一枚だけ。
厳密に言えば、父は背景だった。
私が家を出る一週間前。三人でバーに行った日の写真だ。カウンター席しか空いていなかったので、手前から私、お母さん、父の順で座り、自撮りをしたのだ。画面の隅で父は興味なさげに真正面を向いて、お酒を飲んでいる。
カウンター越しにスマホを提示し、「これでも大丈夫ですか」と尋ねると、店員さんは小さく頷いた。
「お借りします」
店員さんは液晶に手のひらを乗せ、コードを読み取るように上から下に撫でる。
「これで、父に会えるんですか?」
「厳密に言えば魂のコピー、とでも言いましょうか。オリジナルはもうこの世にはいませんから、代わりにこの写真から上澄みを回収し、僕という器に宿すのです。これからお客様が会う人物がお父様であるのは確かですが、既に分離した存在のためオリジナルと記憶が共有されることはありません。端的に言えば、今日の出来事をあの世にいるお父様は覚えていないということですね」
「あの世……なんて実在するんですか?」
「さあ、どうでしょう。僕が今お伝えした内容は、あくまで現世の人間の常識で理解できる言葉に置き換えただけですから。お客様がイメージする『あの世』とは異なるかもしれません」
わかるようなわからないような。相変わらず肝心な説明が抽象的だ。
スマホを受け取り、もう一度父の写真を眺める。当時は五十歳ちょうどか。つまらなそうに半分閉じた眼、伸びっぱなしの眉、地肌がだいぶ露出した頭部……。実家にいた頃は見飽きるくらいだったのに、今はとても懐かしい。家では食べたり飲んだりしてばかりのせいで、お腹はぽっこりだ。
「……会いたいなぁ」
スマホを握りしめ、自然と口からこぼれていた。
「では最後に、ご注文はいかがしましょう?」
「注文? まだビールが残ってますけど」
「お父様の、ですよ。最初に申し上げたではないですか。『一緒にお酒を飲みませんか』と」
そういえばそうだった。詐欺かぼったくりの割に(まだわからないけど)、ずいぶんと手が込んでいる。
「といっても、父がいつも飲んでいたのは『大三郎』みたいな名前の、大容量の焼酎ばかりで……」
写真のバーに行った時だって、メニューにない焼酎の生姜割りをオーダーしてお店の人を困らせていた。家族三人最初で最後の酒席。
「ありますよ、大三郎」
「うそっ!」
「ここは降霊バーですから。高いお酒や珍しいお酒より、皆様が普段召し上がっている一杯の方がニーズはありますので。軽いおつまみやお菓子もご用意していますし。水割りでよろしいですか?」
「いえ、もし可能であれば生姜割りで……」
「かしこまりました」
慣れた手つきで生姜を擦りおろし、グラスに投入した。そして焼酎と沸かしたミネラルウォーターを注ぎ、そっとステアする。
私以外の客にも頻繁に降霊しているのだとしたら、やはり信じてもいいのだろうか。いや、油断するな。今までテレビやネットでも散々、自称霊能力者や預言者が現れては消えていったではないか。
「準備が整いました。よろしいですか?」
「……はい」
霊とはつまるところ、エンターテイメントなのだ。ある時は恐怖を与え、またある時は救いを与える、とことん人間にとって都合の良い存在。だから私もこうしてつけ入られている。
「では、降霊を始めます。ここから先、僕の意識は一時的に消失しますので、どうぞお父様とのひと時をお楽しみください」
店員さんは作ったばかりの生姜割りを一口含み、目を閉じる。
期待と不安。降霊なんてお遊戯だと思う自分もいる。その一方で、確かに私は父との再会を待ち望んでいるのだ。
店員さんが目を開ける。瞼は半分ほどしか開いていない。
「なんだ、杏子か」
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
今夜も琥珀亭で
深水千世
ライト文芸
【第15回恋愛小説大賞奨励賞受賞作品】
北海道にあるバー『琥珀亭』でひょんなことから働きだした尊。 常連客のお凛さん、先輩バーテンダーの暁、そして美しくもどこか謎めいた店長の真輝たちと出会うことで、彼の人生が変わりだす。
第15回恋愛小説大賞奨励賞を受賞しました。ありがとうございます。
記念に番外編を追加しますのでお楽しみいただければ幸いです。
琥珀色の日々
深水千世
ライト文芸
北海道のバー『琥珀亭』に毎晩通う常連客・お凛さん。
彼女と琥珀亭に集う人々とのひとときの物語。
『今夜も琥珀亭で』の続編となりますが、今作だけでもお楽しみいただけます。
カクヨムと小説家になろうでも公開中です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
心の落とし物
緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも
・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ )
〈本作の楽しみ方〉
本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。
知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。
〈あらすじ〉
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。
あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。
ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。
懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。
〈主人公と作中用語〉
・添野由良(そえのゆら)
洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。
・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉
人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。
・〈探し人(さがしびと)〉
〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。
・〈未練溜まり(みれんだまり)〉
忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。
・〈分け御霊(わけみたま)〉
生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる