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婚約者編

〈閑話〉公爵令嬢視点 ②

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 初夏の日差しのなか、授業のために廊下を移動している途中、正面からメリッサ様とアンナ様が小走りでくるのが見えた。遠目でも薄茶色の髪がふわふわと跳ねるのがわかるわ。

 メリッサ様はわたくしに近づくと嬉しそうに笑った。ふふ。今日も小犬みたいね。

「エイブラムス様!ご一緒しませんか?」

 そう言いながらわたくしの隣に立った途端、何かに突き飛ばされて前に倒れ込んでしまった。

「きゃあ!」

 メリッサ様のものではない、聞き覚えのある甘ったるい悲鳴がした。横目でそちらを見ると、やはりアレが床の上にみっともなく座り込んでいる。

 メリッサ様との位置から考えると、本当はわたくしを目掛けて来たようね。そっと扇を取り出す。……この扇は制服にあうよう細身だけど、強度は上げている。

 前回と同じように太腿を見せて科を作ったアレが上目遣いでこちらを見た。おかしな言い訳をしたら思う存分引っ叩いてやろう。扇を持つ手に力を込める。

「痛ぁい……」

「どうしてこんなことをするんですか?!」

 アレを遮るようにメリッサ様が叫んだ。あら、少し驚いたわ。

 メリッサ様は床に座り込んだままアレを睨みつけていた。ふわふわの髪は小刻みに震え、見開いた丸い瞳から溢れ出しそうな涙を必死にこらえている。
 まったく迫力はないけれどアレに腹を立てているようね。

「何が目的なんですか?!エイブラムス様を目掛けてきましたよね?!!」

 ――流石、小犬令嬢ですわ!!!

 痛みを堪えながらも必死に訴える姿のなんてお可愛らしいこと。それでいて核心を突いた言葉。素晴らしいわ。

 対してアレは睨み返すのが精一杯のようだわ。ふふ。そうでしょうね。お得意の似非小動物をしようにも、それを上回る天然の小犬令嬢が目の前にいるのだから。

 面白いわ。

 わたくしは気分が良くなってメリッサ様に手を差し出した。

「メリッサ様、立てるかしら?」

 見上げた目はまん丸に輝いていて、驚いた顔は少し間が抜けて見える。ふふ。本当に可愛い小犬だわ。キャンと鳴いてくれないかしら。

 わたくしの手を取ってよろよろと立ち上がったメリッサ様の手は赤くなっていた。足もきっと痛めてるわね。わたくしの身代わりになるなんて……、忠犬かしら。

「怪我をしてしまったわね。大変だわ。手当をしないと。……そちらの方はお怪我はないようね」

 ちらりとアンナ様に視線をやると、すぐにアレに手を貸して立たせてやっていた。ひとりだけ座らせておいたら外見上よろしくないから正解よ。

 アンナ様は雰囲気も落ち着いているし察しがいいから公爵家に仕えて欲しいのだけど、教職志望と言うから仕方がないわ。優秀で察しのいい教師は必要だもの。

 そんなことを考えながらアレを見ると、目があった瞬間にビクリと震えて怯えた顔をした。
 まだ諦めていないようね……。

「貴女、故意にぶつかっておいて謝罪もないのかしら?」

 わたくしが諫めると、何故かアレの目が輝いた。

「わざとだなんて、そんなっ、ヒドイです」

 ……お芝居の続けられることが嬉しいようね。付き合ってられないわ。

 扇で口元を隠して溜め息を吐くと、隣に立つメリッサ様が目に入った。涙で目の周りを赤くして、口元に力が入っている。アレが理解できずに怯えているのね。
 姿勢を正して淑女らしくしてるけど、ぺたんとした耳と尻尾が隠れてなくてよ。ふふ……。けれど貴女は比べるまでもなくアレより数段勝っているわ。

 悲しげな表情を作り、メリッサ様の肩をそっと撫でてからアレに目を向ける。

「貴女はメリッサ様のこの姿を見ても何も感じないのですわね。……可哀想に。こんなに怯えてしまうなんて」

 メリッサ様に労る視線を向けるとその瞳がキラキラと輝きだした。あら、今「きゅぅん」って鳴いたわよね?それに比べてアレは醜く顔を歪めている。

 騒いでいる間に観客が集まっていたけど、怪我の痛みを堪える天然の小犬令嬢とお芝居の下手な似非小動物令嬢。勝敗は決まっているわ。さあ、どうなさるのかしら?

 アレは暫く悔しげにメリッサ様を睨んていたけど、これ以上何かしても無駄なことを悟ったのだろう。この上なく不本意そうに頭を下げた。

「はぁ…………、もうしわけありませんでした」

 気に入らないけど、これで暫くお得意の手口は使えなくなるわね。伝わるかはわからないけど、お前なんて眼中にないと釘を刺しておく。

「貴女、何方かは知りませんけど、このような醜態は二度と晒さないよう気をつけた方が良くてよ」

 俯いた顔を悔しそうに歪めたまま無言で立ち去る背中を見つめる。このままアレを放置するようならヒロニカ男爵家、どうするのが適当かしら……。


 それにしてもメリッサ様には本当に助けられたわ。
 もし私が突き飛ばされてたら、間違いなく顔が腫れるほど扇で叩いてしまっただろうし。正当防衛と言ってもアレの為に煩わされたくない。
 悔しそうな顔も見られたし、当分アレも大人しくなるはず。

 気分がいいわ。

「助かりましたわ。メリッサ様。……早く手当をなさって」

 わたくしはメリッサ様の可愛らしい顔を見つめて微笑んだ。




 
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