29 / 42
婚約者編
〈閑話〉公爵令嬢視点 ②
しおりを挟む初夏の日差しのなか、授業のために廊下を移動している途中、正面からメリッサ様とアンナ様が小走りでくるのが見えた。遠目でも薄茶色の髪がふわふわと跳ねるのがわかるわ。
メリッサ様はわたくしに近づくと嬉しそうに笑った。ふふ。今日も小犬みたいね。
「エイブラムス様!ご一緒しませんか?」
そう言いながらわたくしの隣に立った途端、何かに突き飛ばされて前に倒れ込んでしまった。
「きゃあ!」
メリッサ様のものではない、聞き覚えのある甘ったるい悲鳴がした。横目でそちらを見ると、やはりアレが床の上にみっともなく座り込んでいる。
メリッサ様との位置から考えると、本当はわたくしを目掛けて来たようね。そっと扇を取り出す。……この扇は制服にあうよう細身だけど、強度は上げている。
前回と同じように太腿を見せて科を作ったアレが上目遣いでこちらを見た。おかしな言い訳をしたら思う存分引っ叩いてやろう。扇を持つ手に力を込める。
「痛ぁい……」
「どうしてこんなことをするんですか?!」
アレを遮るようにメリッサ様が叫んだ。あら、少し驚いたわ。
メリッサ様は床に座り込んだままアレを睨みつけていた。ふわふわの髪は小刻みに震え、見開いた丸い瞳から溢れ出しそうな涙を必死にこらえている。
まったく迫力はないけれどアレに腹を立てているようね。
「何が目的なんですか?!エイブラムス様を目掛けてきましたよね?!!」
――流石、小犬令嬢ですわ!!!
痛みを堪えながらも必死に訴える姿のなんてお可愛らしいこと。それでいて核心を突いた言葉。素晴らしいわ。
対してアレは睨み返すのが精一杯のようだわ。ふふ。そうでしょうね。お得意の似非小動物をしようにも、それを上回る天然の小犬令嬢が目の前にいるのだから。
面白いわ。
わたくしは気分が良くなってメリッサ様に手を差し出した。
「メリッサ様、立てるかしら?」
見上げた目はまん丸に輝いていて、驚いた顔は少し間が抜けて見える。ふふ。本当に可愛い小犬だわ。キャンと鳴いてくれないかしら。
わたくしの手を取ってよろよろと立ち上がったメリッサ様の手は赤くなっていた。足もきっと痛めてるわね。わたくしの身代わりになるなんて……、忠犬かしら。
「怪我をしてしまったわね。大変だわ。手当をしないと。……そちらの方はお怪我はないようね」
ちらりとアンナ様に視線をやると、すぐにアレに手を貸して立たせてやっていた。ひとりだけ座らせておいたら外見上よろしくないから正解よ。
アンナ様は雰囲気も落ち着いているし察しがいいから公爵家に仕えて欲しいのだけど、教職志望と言うから仕方がないわ。優秀で察しのいい教師は必要だもの。
そんなことを考えながらアレを見ると、目があった瞬間にビクリと震えて怯えた顔をした。
まだ諦めていないようね……。
「貴女、故意にぶつかっておいて謝罪もないのかしら?」
わたくしが諫めると、何故かアレの目が輝いた。
「わざとだなんて、そんなっ、ヒドイです」
……お芝居の続けられることが嬉しいようね。付き合ってられないわ。
扇で口元を隠して溜め息を吐くと、隣に立つメリッサ様が目に入った。涙で目の周りを赤くして、口元に力が入っている。アレが理解できずに怯えているのね。
姿勢を正して淑女らしくしてるけど、ぺたんとした耳と尻尾が隠れてなくてよ。ふふ……。けれど貴女は比べるまでもなくアレより数段勝っているわ。
悲しげな表情を作り、メリッサ様の肩をそっと撫でてからアレに目を向ける。
「貴女はメリッサ様のこの姿を見ても何も感じないのですわね。……可哀想に。こんなに怯えてしまうなんて」
メリッサ様に労る視線を向けるとその瞳がキラキラと輝きだした。あら、今「きゅぅん」って鳴いたわよね?それに比べてアレは醜く顔を歪めている。
騒いでいる間に観客が集まっていたけど、怪我の痛みを堪える天然の小犬令嬢とお芝居の下手な似非小動物令嬢。勝敗は決まっているわ。さあ、どうなさるのかしら?
アレは暫く悔しげにメリッサ様を睨んていたけど、これ以上何かしても無駄なことを悟ったのだろう。この上なく不本意そうに頭を下げた。
「はぁ…………、もうしわけありませんでした」
気に入らないけど、これで暫くお得意の手口は使えなくなるわね。伝わるかはわからないけど、お前なんて眼中にないと釘を刺しておく。
「貴女、何方かは知りませんけど、このような醜態は二度と晒さないよう気をつけた方が良くてよ」
俯いた顔を悔しそうに歪めたまま無言で立ち去る背中を見つめる。このままアレを放置するようならヒロニカ男爵家、どうするのが適当かしら……。
それにしてもメリッサ様には本当に助けられたわ。
もし私が突き飛ばされてたら、間違いなく顔が腫れるほど扇で叩いてしまっただろうし。正当防衛と言ってもアレの為に煩わされたくない。
悔しそうな顔も見られたし、当分アレも大人しくなるはず。
気分がいいわ。
「助かりましたわ。メリッサ様。……早く手当をなさって」
わたくしはメリッサ様の可愛らしい顔を見つめて微笑んだ。
0
お気に入りに追加
147
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
王命を忘れた恋
水夏(すいか)
恋愛
『君はあの子よりも強いから』
そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。
強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?
そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
【完結】どうして殺されたのですか?貴方達の愛はもう要りません
たろ
恋愛
処刑されたエリーゼ。
何もしていないのに冤罪で……
死んだと思ったら6歳に戻った。
さっき処刑されたばかりなので、悔しさも怖さも痛さも残ったまま巻き戻った。
絶対に許さない!
今更わたしに優しくしても遅い!
恨みしかない、父親と殿下!
絶対に復讐してやる!
★設定はかなりゆるめです
★あまりシリアスではありません
★よくある話を書いてみたかったんです!!
【完結】今夜さよならをします
たろ
恋愛
愛していた。でも愛されることはなかった。
あなたが好きなのは、守るのはリーリエ様。
だったら婚約解消いたしましょう。
シエルに頬を叩かれた時、わたしの恋心は消えた。
よくある婚約解消の話です。
そして新しい恋を見つける話。
なんだけど……あなたには最後しっかりとざまあくらわせてやります!!
★すみません。
長編へと変更させていただきます。
書いているとつい面白くて……長くなってしまいました。
いつも読んでいただきありがとうございます!
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる