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婚約者編
〈閑話〉公爵令嬢視点 ①
しおりを挟む幼い頃からわたくしにはすべてのものが揃えられていた。
継ぐべき家督と付き合うべき友人達、それから将来添い遂げるべき伴侶。
第三王子のティモシー様。
成人後は王籍ではいられない第三王子。母に次の子を望めないとわかった途端、これ幸いとばかりに王命でわたくしの婚約者とされた方。
それでも不満があるわけではない。母の他に妻はいらないと明言した父を愛しているし、公爵となる為の重責を担うことも吝かではない。
婚約者になったティモも菫色の瞳とくるりとした銀色の髪が可愛らしく、兄王子達と違っておっとりと優しい気質な為、婿入りにも問題無い。
「伴侶となる女性はきちんとエスコートするものよ」
婚約した頃、幼いわたくしが差し出した右手を、嬉しそうに取ってくれたティモの笑顔を思い出すと、今でも口元が緩む。
わたくしはこのまま整えられた人生をただ粛々と歩んで行くものだと思っていた。
王立学園に入学する年になり、友人達に囲まれて高位クラスの席につく。ここで3年間過ごしたら成人し、公爵家の後継者となり、その数年後はティモと婚姻を結ぶ。
わたくしの学園生活はひとつの問題もなく始まった。
ところがある日、ひとりの令嬢が近づいてきた。
「おはようございます。エイブラムス様」
同じクラスなのだから挨拶は交わしているけれど、今朝はわたくしを正面に捉えて立っている。言葉を交わしたいみたいだわ。
オルセン子爵家のメリッサ様。薄茶色のふわふわの髪が印象的な可愛らしい令嬢が、丸い橙色の瞳を輝かせてわたくしの言葉を待っている。
オルセン家は学者気質で覇権争いには興味がない筈なのだけど、……野心でも持ったのかしら。
「ごきげんよう、オルセン様」
わたくしが返すとますます目を輝かせて嬉しそうな顔をした。耳をピンと立てて尻尾を振っている感じ……。何だか犬みたいね。
「私、皆様と仲良くなりたいんです。エイブラムス様ならノーステリア様のクラスの皆様のことご存知でしょう?」
続けられた言葉に少しだけ驚いてしまう。わたくしとただ「仲良くなりたい」と言ったのよね。
ノーステリア様のクラスがとても仲の良いことは聞いているわ。容姿も能力も家格も持ってるのに野心を持たない不思議な方。
この方もそうなりたいと言うことなのかしら?
「学園にいる間だけでもいいので皆で仲良くしませんか?高貴な方に取り入りたいとか、家に迷惑をかけたい訳ではありません!ただ、偶にご一緒にランチしたり、流行りのカフェに行ったり、今日の髪型可愛いわね~なんて言いあったり、したいんです!きっと楽しいです!」
わたくしは目の前で熱弁するメリッサ様の真意を探る。
我が家には独自の貴族名簿があり、それぞれに印が付けられている。重用すべき家、警戒すべき家、敵対すべきでない家など様々。
オルセン家は無印。つまり公爵家にとって取るに足らない存在。付き合うかはどちらでもいいということ。
じっと見つめると少し居心地悪そうに微笑んだまま首を傾げた。ふふ。やっぱり小犬みたいね。
この方には言葉の通り邪心はないわ。お腹は空いていない、優しい飼い主もいて、ただただわたくしに遊んで欲しいだけの小犬。
「楽しそうね」
小犬令嬢は表情を一転させて嬉しそうに笑った。あらあら、そんなに喜んだら尻尾がちぎれてしまうわよ。
「! それなら今度カフェテリアでのランチにお誘いしてもよろしいですか!?」
「構わなくてよ。楽しみにしてるわ」
学園にいる間だけでも付き合ったら少しは楽しいかも知れない。軽い気持ちで了承したのだけど、この日から思いがけず賑やかな学園生活を送ることになった。
一年後にはティモが入学してきた。生徒会長として王子らしく振る舞う姿には成長がみられて好感が持てる。ともに過ごすランチやお茶の時間で、ティモから学園での出来事を聞くのも新鮮と感じていた。
なのに、ティモが2年生になると昼に会えないことが増えた。
「きゃっ!」
友人達と廊下を歩いていると背後で短い悲鳴がした。振り返れば女子生徒がわたくしのすぐ側で座り込んでいた。制服のスカートが短くて太腿が露わになっている。……下品ね。
ピンクブロンドの幼い感じのする令嬢がゆっくりと顔を上げた。大きな薄緑の瞳を潤ませて訳もなく怯えた顔をしている。
「っ!ごめんなさい……。わざとではないんです」
変なのに絡まれてしまったわ。……確か2年生へ編入した男爵令嬢ね。男爵家は随分と自由にさせているようだけど、よろしいのかしら?公爵家の前で手負いの小動物を模倣するなんて笑えなくてよ。
「大丈夫ですか?」
通りかかったどこかの間抜けな子息が手を差し伸べてきた。「ありがとうございます」と甘えた声で礼をして縋るように上目遣いで見つめている。……馬鹿馬鹿しい。
「態とでないなら今回は良くってよ。……次はお気をつけなさい」
わたくしは敢えて許しの言葉を残して立ち去った。放置したら倒されたと言われ兼ねない。
……男爵家のアレは要注意ですわ。次の日から学園では持ち歩いていなかった扇を持つことにした。
アレをもう目に入れたくないというのに、すぐに現れた。よりによってティモに近づいているようだ。アレの類の対応は王室の教育で学んでいるはずなのに……。残念だわ。
ランチの約束に来なかった時、アレと生徒会室にいたと聞いたので取り敢えず真意を確認する。
「彼女は貴族になって日が浅いんだ。クラスでもうまく馴染めていない。困っている者を放ってはおけないよ。王族である僕と一緒なら一目置かれるだろう?」
そう言ったあとティモは、「君は友人が多いから平気だろう?」と笑った。
そのやり取りの間、アレはティモ達に守られる小動物のフリをしながら愉悦の表情を浮かべていた。
わたくしからティモを奪うつもりなのかしら?王子妃になれると夢見てるのね。なれるわけがないというのに……。
あまりの愚かさに漏れかけた溜め息を飲み込む。
「仰ることはわかりましたわ。……わたくしは約束した時間にはその場におりますが、お望み通りお過ごしください」
軽く礼をしてその場を離れる。どちらに転ぶにしても、こちらは誠意を見せていたことにしなければ。
「……気に入らないわ」
わたくしは歩きながら扇を静かに握りしめた。
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