わからないから、教えて ―恋知らずの天才魔術師は秀才教師に執着中

月灯

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星花祭り⑦

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 しまった、と思ったときには障壁が割れていた。ユージェフが距離を詰めてくる。身構えたときには遅く、その膝が腹に食い込んだ。

「ぐっ」

 勢いのまま派手に飛び、壁に背中を打ち付ける。痛みを覚えると同時、編みかけていた転移魔術が弾ける。押し寄せる反動と背中の痛みに、アーサーは呻いた。
 はぁ、とユージェフが息を吐く。

「はー危なかった。いま時間稼ぎしてなんか企んでましたよね。やだやだ、先生ってば小賢しすぎませんか」
「っ、生徒を装って潜入してきた君にだけは言われたくない」
「えーひどい、真面目に勉強してただけのに」

 真面目な生徒は担任教師を刺したりしない。
 そう言い返してやりたいのに、痛みでままならなかった。頭がぐらぐらする。腹も背中も、身体中が痛い。最悪だ。

「にしても、先生ってば障壁硬いんですけど。解除するのめちゃくちゃ時間かかっちゃった」
「……これでも、ひとに教える立場だからね」

 なんとか首だけ起こし、地面に爪を立てる。大掛かりなぶん術の反動は重く、視界もぐらついている。気を張っていなければ意識を保っていられないだろう。だがここで落ちるわけには行かない。ジルベルトのためにも、バジルのためにも。

「……ふーん。ま、破られてりゃ世話ないですけどね。さて、今度こそ行きますよ先生」

 ユージェフに腕を掴まれた。抗おうにも腕に力が入らず、引きずられる。だめだ。連れていかれる。懸命に打開策を探す視界はぼやけ、霞み始める。そのとき、ふと捕まった己の手が映った。正確には、その指に嵌まった黄玉色の指輪。
 その色は、あの気まぐれな魔術師の眸とよく似ている。

 ――なにかあったら。

「……あ」

 いつかの声に導かれるように、アーサーは残った魔力を手に集中した。
 外れない指輪は魔道具。中に入っているのはジルベルトが施した未知の術式。なにが起こるかはわからない。だがそれがどう転んでも、このままだとアーサーに先はない。
 ならば、とありったけの魔力を魔石につぎ込んだ。凄まじい勢いで魔力が失われていく。魔力を通して伝わる術式は知らないかたちだ。だがとにかく整っていることはわかる。無駄のない術式構成はこんなときだというのに惚れ惚れするほど美しく、悔しいくらいに完成されている。

「なっ」

 瞬間的に膨らんだ魔力に、ユージェフが構えた。だがもう手遅れ、術式の最後の一文字まで魔力が通りきり、発動する。眩いほどの光が指輪から放たれ、アーサーは咄嗟に目を庇い――直後、目の前に差した影を見た。

「アーサー、もっと早く呼べ」

 低い声音は、アーサーが求めてやまないものだった。

「じる、べると」
「はぁ!? お前なんでここに――うっ」

 一瞬のことだった。ユージェフが言葉を失い、床に倒れ伏す。からりと銀の短剣が落ちた。ふん、と鼻を鳴らしたジルベルトは覇気なく光を反射するそれを踏みつける。直後紡がれたのはまた耳慣れない術式だ。朦朧とする頭ではうまく解読できないが、どうやら捕縛に関わるものらしい。ユージェフが呻く。あっけない終わりだった。

「アーサー」

 身を翻し、ジルベルトが膝をつく。その顔を見上げ、アーサーはなんとか笑って見せた。

「すごいな、ジルベルトが来ちゃった……」

 指輪を起動したとき、なにが起こるかは正直賭けだった。だが結果として大勝利である。魔石には転移魔術、しかも使用者ではなくジルベルトを転移させる術式が入っていたようだ。転移魔術の応用だろうが、またとんでもないものを作ったものである。
 おかしくて笑うが、ますますジルベルトは顔を険しくした。その手が頬に触れ、魔力が流れ込んでくる。身体の状態を探られているのがわかる。血管ひとつ見落とさないとでも言わんばかりの丹念さに、アーサーはくすぐったさに似た感覚を覚えた。

「ジルベルト」
「……」
「おおげさだよ。たいしたケガじゃない、し……っ、いたた」

 笑った拍子に腹が痛んだ。だがそれだけだ。蹴られた腹と打ち付けた背中は痣になるだろうが、身体が重いのは一気に魔力を使ったせいである。アーサーの魔力量は比較的多いほうだが、転移魔術を失敗した上に指輪の術を起動したせいで空っぽに近い。
 そうだ、とアーサーは目の前の袖を掴んだ。指輪の魔術に感心している場合じゃない。

「ジルベルト、そうだ教会過激派が君を狙ってて、バジルくん――今日僕と一緒にいた、教務助手の子に手を出すかもしれなくて」
「わかっている。手は打ってある」
「そう、か。バジルくんは無事?」
「うん」
「よかった……」

 ほっと笑う。ユージェフたちの企みは失敗したのだ。
 よかった、本当によかった。アーサーは何度もそう繰り返した。手の震えが止まらない。足も、膝が笑ってしまっていた。ユージェフに向かっているときは必死だったが、本当は怖かったのだ。
 その息がようやく落ち着いたところで、ジルベルトはアーサーの頬から手を離した。

「……帰るぞ」
「家まで送ってくれるのか? すまない、世話をかけるよ」
「……」
「あれ、違うのか」

 アーサーは首を傾げた。いま、ジルベルトの顔が不満げに見えた。
 聞き出すより早く、アーサーの膝裏と肩に手が回る。えっ、と声を漏らすと同時、ジルベルトに抱き上げられていた。一気に近づいた距離に、現金なアーサーの心臓がさっきまでとは別の意味で早鐘を打つ。なにせ好きな相手に抱き上げられているのだ。

「じ、ジルベルト、下ろして」
「嫌だ」
「歩けるから!」

 いや、歩けないかもしれないが、気合でなんとかするから下ろして欲しい。あとこの男はいったいどこへ行くつもりなのだろう。
 そのとき、再び足音が近づいてきた。まさかユージェフの仲間か。身構えるアーサーだったが、現れたのは年若い教務助手だった。

「あ! 先生!」
「バジルくん!」

 よかった。無事だったのだ。アーサーはなんとかジルベルトから逃れようとした。さすがにジルベルトに抱えられているところを部下に見られたくない。あまりにも恥ずかしい。バジルだって、上司が見知らぬ男に抱きかかえられていたら困惑するだろう。
 しかしどうやら、このふたりは面識があるらしい。

「遅い」
「うわっ、なんでいるんですか」
「アーサーに呼ばれたからだ。お前がついていて、なぜこんなことになっている」
「それはぐうの音も出ない。すみません」

 バジルが仏頂面でジルベルトを見返す。アーサーはまったく理解が追い付かない。この二人は知り合いだったのか。会話の内容だって、まるでふたりともアーサーが襲われることを知っていたようだ。

「え、バジルくん……君は、いったい」

 おそるおそる声を掛けると、バジルはちょっと気まずそうに目を逸らした。

「先生、いままで黙っててすみませんでした。……あの、おれ、」
「話は後だ」

 なにごとか言いかけたバジルを、ジルベルトが制す。そうして転がったままのユージェフをつま先でつついた。

「お前はこいつを連れていけ」

 バジルが舌打ちした。初めて見た柄の悪い仕草にアーサーは困惑しきりである。気のせいだろうか、クソがって言ったような。

「……すみません先生、話は後でまた」
「え……う、うん」
「いまはゆっくり休んでください」
「あ、ありがとう……?」

 わけがわからないが、とりあえずジルベルトと知り合いであることはわかった。倒れているユージェフに近づいた彼は、爪先でちょんちょんとその腹をつつく。

「というかこれ、まず生きてます? あ、生きてる。よかったー」

 よいしょ、とバジルが倒れたユージェフを担ぐ。その発言の内容についてはあまり考えないことにした。
 もうなにがなんだかわからなかった。落ち着いた場所についたら、ジルベルトにはすべて説明してもらわなけれらならない。

 ――しかしそのとき、くらりと。急に目眩が押し寄せ、頭が痛む。

「っ、アーサー」
「先生っ!」

 あ、これ魔力不足だ。
 理解するが声は出ず、珍しく焦ったふたりの声を聞きながら、アーサーはそのまま意識を手放した。
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