わからないから、教えて ―恋知らずの天才魔術師は秀才教師に執着中

月灯

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わからない①

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※ジルベルト視点です。

―――――――――――



 物心ついてからずっと、「天才」の名をほしいままにしている。

 ジルベルトの最初の記憶は、目の前にぽっかり空いた大穴だ。
 人生で初めて使った魔術は、実家の裏山の一角を吹き飛ばした。傍にいたお付きの侍女と母は気絶し、音を聞いて駆けつけてきた祖父も腰を抜かした。
 その日から、ジルベルトは人々の称賛を浴びてきた。
 文字を覚えればたちまち学者が頭を捻るような論文を読み下し、六つを過ぎる頃にはみずから実践してみせる。十になる頃には既存の定論を改良し、独自の理論をいくつも打ち立てた。豊富な魔力と明晰な頭脳、飛び抜けたセンス。人々はジルベルトを天才と褒めそやし、将来は偉大な魔術師になると称える。
 実際、その予言は間違っていなかった。だがそれは家族の愛情と引き換えだった。
 過ぎた力が恐れられるのは常である。家族のかたちは歪だった。外ではジルベルトのことを誇りながら、ひとたび他人の目がなくなると腫れ物に触れるような扱いをする。金は惜しまず寄こす一方で過剰にへりくだり、ジルベルトの機嫌を損ねることを非常に恐れる。あからさまな態度に、ジルベルトは早々に心を閉ざして研究書の山に没頭した。

 それは学院に入学しても変わらなかった。むしろ退屈さが増したかもしれない。学院で学ぶことはすべて既知で、教師の技すらままごとに見える。同級生は輪をかけて幼く、話が合うはずもなかった。あまりにもばかばかしくて授業をサボり、図書館に入り浸った。テストの点は飛び抜けていいから教師たちも文句は言わない。入学して良かった唯一の点は、実家よりも禁書棚が豊富なことくらいだ。

 アーサー・クラムベルも、有象無象の同級生のひとりでしかなかった。関心はなかったが、ジルベルトの優秀な頭脳はアーサーが秀才であり、「先生」とあだ名されていることを記憶していた。教師よりもよっぽどわかりやすく教えてくれるらしい。面倒見のよい性分なのは確かなようで、わざわざジルベルトを探して学級内の連絡を伝えに来てくれたこともあった。おもねったり恐れたりやっかんだりする生徒たちのなかでは珍しく、気負いなく接してくる男である。

 真面目で気が良く、人を拒まない優等生。そんな彼に関心をもったのは、最終学年の冬のことだ。
 その日はなんだか肌寒く、図書館で本を借りたあとに暖を求めて植物園へ足を向けた。だが温室の扉を開いたとき、先客の存在を知った。

「ここで第三規則を確認すると……」

 落ち着いた声音は知っているものだ。アーサーだ。入口からほど近いベンチで、アーサーがノートを手に解説している。どうやらまた「授業」を頼まれたらしい。その傍らには食べかけのサンドイッチと本が見え、「昼くらいゆっくり食べさせてやればいいものを」とジルベルトは少しあきれた。
 「授業」はちょうど終わるところだった。アーサーへ手厚く礼を言った生徒が、ふと振り返ってジルベルトを見つけ、ぎょっとする。こうして恐れられるのもたびたびあることだ。そのまま足早に去っていく生徒を見送り、改めて正面を見るとアーサーと目が合った。だが特に話すようなこともない。目を逸らして脇の通路へ進もうとしたとき、不意に手首を掴まれた。

「待って!」

 いきなりのことにジルベルトは目をみはった。久々に触れた体温に、ぞわりと背が震える。若草色の目がまっすぐ見つめてくるのも落ち着かない。

「……なんだ」
「君、体調悪いんじゃないか?」

 は? と眉間に皺を寄せると同時、もう一方の手が額へ伸びた。つめたい、と思うと同時にアーサーは慌てた声を上げた。

「やっぱり熱がある。医務室へ行こう」
「は?」
「ちょっと待ってね」

 アーサーは食べかけのサンドイッチを包み、ジルベルトが抱えていた本を取り上げた。ほら行こう、と出口へと引きずられる。やめろ、と咄嗟に口をついて出た。だが足元はたたらを踏み、ぐらりと頭が重くなる。
 熱がある、とアーサーは言った。

「今日は一気に冷え込んだせいかな。あと君、寝てる? 目の下の隈がひどいぞ」
「……余計な世話だ」
「そうか、ごめんね。心配でつい」

 親切を跳ねつけても、アーサーが怒るそぶりはない。
 掴まれた腕も、振りほどこうと思えば簡単に振りほどけそうだった。だがどうにも億劫だった。熱の怠さが勝ったのかもしれない。自覚とともに体調は悪化し、頭が靄がかったように重くなる。ジルベルトは諦めてアーサーの半歩後ろを歩いた。なんだか足取りがふわふわしていた。
 医務室には誰もいなかった。保健医は会議で留守にしているらしい。「まぁいいか」と呟いたアーサーはさっさとジルベルトをベッドへ押し込んだ。勝手に使っていいのか、と思わず吐いた殊勝な台詞は「病人の体調には代えられないよ」と一蹴される。あれよあれよとローブを剥がれ、毛布をかけられ、冷やした枕をあてがわれた。手慣れた動きを見るに、看病も初めてではないらしい。ときおり掠める掌はつめたく、己の身体がかなり発熱していることを知る。

「よし。あとは先生が帰ってきたらでいいか」

 ひととおり身の回りを整えたアーサーは、ジルベルトへ笑いかけた。その掌がまた額に当てられる。名状しがたい感覚にジルベルトは困惑した。妙に心地いい。

「ゆっくり寝ているといい。飲むものは……持っていないか。買ってくるよ」

 ローブが揺れ、アーサーが枕元から離れようとする。咄嗟にジルベルトはその袖先を掴んだ。アーサーが軽くつんのめる。

「じ、ジルベルト?」
「……病人を、ひとりにする気か」

 自分でも驚くほどひねくれた台詞だった。だがアーサーはきょとんと目を丸くして、すぐに目尻を和ませた。

「そうか、確かにそうだね」

 数歩戻り、枕元のスツールに腰かける。じゃあ先生が戻ってくるまでここにいるよ。そう笑うアーサーに、ジルベルトは少しいたたまれない気持ちで目を伏せた。すぐに睡魔は訪れた。



 ページをめくる音で微睡みから覚めた。微妙に重い頭を動かすと、すぐ傍に誰かが座っている。藁色の髪が揺れて、同級生のアーサーだと気づく。そうだ、不調に気づいて医務室まで連れて行ってくれたのだ。
 ジルベルトに気づいて、アーサーは読んでいた本から顔を上げた。ほっとしたように笑いかけられ、胸のあたりがざわめく。直視できず、彼の手元に目をやった。

「ああ、起きたんだ。そんなに時間は経っていないよ。先生もまだ戻っていなくて」
「……『暁の英雄の凱旋』」

 アーサーの言葉を遮って呟いた。子ども向けの冒険小説だ。使命を背負った暁の英雄が大陸を旅し、出会いと別れを繰り返す物語。文章は平易で、子どもが夢中になるような筋立てである。魔術学院最終学年の青年の手にあるのは似つかわしくない、かもしれない。
 アーサーは照れたように首裏を掻いた。

「そう。……はは、子どもっぽいかもしれないけど」
「ぼくも、読んだ」
「本当?」

 言ってから、しまった、と思った。どうも今日はおかしい。言わなくていいようなことがぽろぽろ口を突いて出る。
 だがアーサーはぱっと表情を明るくした。

「ああ、ジルベルトは図書館によくいるもんね。たくさん本を読んでいるんだな」
「……」
「ジルベルトとこの本の話ができるのか。嬉しいなぁ」

 別に、するとは言っていない。しかし、そう告げればアーサーは残念がるだろうから言えなかった。この顔が曇るのはなんとなく嫌だった。

 『暁の英雄』は、家の図書室にあった本だ。ジルベルトは幼い頃から難解な研究報告書も論文も読み下したが、『暁の英雄』のような冒険譚も好きだった。だからシリーズの最新刊が発売されたと聞いたときは、ほかの論文と一緒に蔵書希望を出した。
 けれど両親は渋面した。彼らにとってジルベルトは「天才」で、こうした俗っぽい読み物は似つかわしくないと考えたらしい。結局希望は叶わず、ジルベルトは人前で冒険小説を読むのをやめた。だから学院に入学して、ようやく読めなかった続きを手に取ることができて。数年ぶりに読む『暁の英雄』はますます幼稚でちゃちだったが、学院所蔵の禁書ですらこの本を読める喜びには勝てなかった。
 ジルベルトは胸のあたりがくすぐったくなった。

「《黄玉の谷》編がおもしろかった」
「ああ! 英雄に初めて仲間ができるんだよな。でも彼の抱える事情を考えると将来敵対するのは確定で、でもふたり自体はいいコンビで――」

 アーサーは目をきらきらさせて語った。こんな饒舌なアーサーを見るのは初めてだった。だが不思議と不快ではなくて、ジルベルトはぽつぽつと相槌を打った。
 だがジルベルトが咳き込んだところで、はっとアーサーが口を覆った。

「体調悪くしているところごめんね。うるさくしちゃった」
「……」

 そんなことはなかったし、もっと聞きたかったくらいだった。だがそう告げるのは面映ゆくて、ジルベルトは毛布を引き上げた。

「……寝る」
「うん、おやすみ」

 柔らかい声とともに髪をかき混ぜられる。幼子のような扱いにむっとしたが、抗う気力もなくジルベルトは再び眠りに落ちた。
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