わからないから、教えて ―恋知らずの天才魔術師は秀才教師に執着中

月灯

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天才と秀才④

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 ジルベルトという天才に対して、劣等感を抱いたことがあるか。

「うーん……」

 アーサーは言葉に窮した。
 ジルベルトという天才に対して悔しい気持ちは、まぁなかったとは言えば嘘になるだろう。
 学生時代からジルベルトに勝てたことはなかった。アーサーが毎日練習した術式の制御も、本とにらめっこしてようやく理解した新しい定理も、彼は息をするように身につけてしまう。そのことが周囲の羨望や妬みを、諦めを生んだのも事実だ。

 だがアーサーは、彼が彼なりに努力や葛藤を経ているのだと知っている。だから彼との間にある途方もない実力差は、そっくりアーサーの伸びしろだった。
 未知の問題に行き当たったとき、論文執筆に詰まったとき、「こんなときジルベルトなら」と考える。すると不思議と苦しいのにわくわくしてくるのだった。目の前にある壁の向こうにジルベルトの姿が見えて、なんとかしてその背中に追いつきたいと力が湧いてくる。

「ない、とは言わないけど。でも、ジルベルトだって見えにくいだけで彼なりの努力や葛藤があったわけだし……だからそれはそれとして僕の努力が無駄になるとは思わないし、むしろ「そうか、まだまだ上があるんだな」って視界がひらけることが多かったかも」
「……先生ってさては嗜虐趣味があります?」
「えっ」
「いや、冗談です」
「え」
「先生って素敵な人ですね」

 バジルは大真面目な顔で言った。

「そ、そう?」
「はい。いままでもすごく尊敬していましたが、いまさらに尊敬しました」
「ええっと、ほめ過ぎじゃないかな」
「そんなことないです。いますぐユージェフとやらに宗旨替えを勧めたいくらいです」
「ええ……」

 神妙に頷くバジルに、アーサーはとうとう席を立った。「おかわり入れてくるよ」というのが照れ隠しなのはおそらくバレてしまっただろう。実際それなりに喋ったせいで喉が渇いたのは事実だけども。
 そうして席に戻るころには、バジルの予算申請書も書き上がったようだった。チェックお願いします、と渡されたそれをざっと読み下す。問題ないことを確認し、サインを書いて返した。
 そうだ、と思う。祖母にケーキの礼を書かなければ。祖母にもらったカードは、と机を探す。

「あれ」
「どうしました?」
「いや……ケーキと一緒にもらったメッセージカードが見当たらなくてね。ここに置いたと思ったけど」
「書類に混ざりましたかね」
「かもしれないなぁ」

 机の下を見て、周囲の書類や本を持ち上げるが見当たらない。風で飛んで行ったのかもしれないと思った。失くしてしまったのは申し訳ないが、広くない部屋だからそのうち見つかるだろう。一読しているので返事は問題なく書ける。

「見つけたら渡しますね」
「助かる。ありがとう」
「いえいえ。――よし」

 バジルは最後の書類をしっかりとファイルに挟み込み、立ち上がる。ぐぐっと背を伸ばした彼は、思い出したようにアーサーを振り返った。

「そういえば、片想いの彼とはどうなんですか?」
「ん゛」

 不意打ちの話題に飲みかけた紅茶が詰まる。なにせタイミングがタイミングだ。
 こほこほと咳き込むアーサーに、バジルはすみませんと謝罪した。だが話題を変える気はないらしい。

「それで、進展ありましたか? というか、そもそも会う機会あったのかって話ですかね」
「そう、だね……」

 どう言ったものか、とアーサーは言葉に詰まった。
 夢じゃなかったあの夜からしばらく経ったが、ジルベルトは毎晩やってくる。時間はまちまちで、アーサーが起きている頃にくることもあれば、眠ってから布団に潜り込んでくるときもある。とにかく朝起きると同じ毛布のなかで抱きしめられているのだ。初日にうっかりベッドから落ちたせいか、これでもかとしっかり手足を絡められている。朝目覚めて一番に見るのが片想い相手の寝顔、というのはあまりにも心臓に悪い。ここまで状況が整っていてなお恋人同士じゃないのがいっそ笑える。
 だが会うたびにしつこいほど身体を求められていたのに、ここ最近はぱったり絶えてしまった。ただただ健全に同じベッドで眠るだけである。
 なんなんだ。本当になんなんだ。これは進展したのか後退したのか、はたまた向こうはなにも考えていないのか。おかげで最近のアーサーは欲求不満気味である。会えるのは嬉しいが、好きな相手――しかも会うたびに抱いてきた相手がすぐそばにいてなにもない、という状況なわけで。だから最近アーサーは風呂のなかであらかじめ抜くようになった。なにをしているんだろう、なんて思ったら負けである。
 が、それをそのままバジルに言えるわけもない。アーサーは慎重に言葉を選んだ。

「わりと、会ってはいる、かも」
「おお」

 バジルが手を叩いた。わりと、と言ったが実際は毎日である。

「それで、誘いましたか?」
「いや、それは……誘ってないけど……」
「あれ」
「いや……なんか、そういう雰囲気じゃないというか……」
「先生?」

 バジルの視線が痛い。

「星花祭りに誘うんだったら、そろそろですよ」
「う、そうだね」

 星花祭りはちょうど長期休暇目前の休日である。生徒たちにとっては試験明けのご褒美というところだろう。
 一応、誘おうとは思ってはいるのだ。そのために、祭りにやってくる劇団の入場券を二人分買ったりもした。ジルベルトがこういった催しに行く印象はないが、演目が『暁の英雄』だったので頷いてくれるかもしれないと思った。

「でもよく考えたら、成績評価もしなきゃだし」
「おれも手伝いますから」
「む、向こうも忙しい奴だし」
「聞いてみないとわからないでしょう。もしかしたら暇かもしれませんよ」
「……」
「先生」

 念押しする声に、アーサーはとうとう白旗を上げた。

「……つぎ会ったら、聞いてみる」






 次に会ったらとは言ったが、その日の夜もジルベルトはやってきた。

「えっと……今日は早かったね」
「うん」

 風呂から上がると、わが物顔でジルベルトはベッドに座っていた。その手には論文集がある。先週買ったものだ。まだ二本くらいしか読めていないが、一風変わったアプローチから考察しているものが多くておもしろい。ただこの論文集を買った一番の理由は、そのなかにジルベルトの名前があったからだ。だからその筆者本人の手にある論文集を見て、アーサーはちょっとした悪さを見つかった気分になった。ジルベルトが書いているから欲しかった、なんて思われたら。実際それは真実だが、その奥にある湿った下心を見透かされるようで決まりが悪い。

「面倒だったから」

 一拍遅れて、訪問が早かった理由を述べているのだと気づいた。

「……仕事が?」
「上司」

 それは逃げてきたというやつではないか。
 年々論文や本に圧迫される部屋は狭く、距離を取ろうにも身の置き場がない。入口付近で立ち尽くすアーサーに、その眉が怪訝そうにひそめられる。

「座らないのか」
「えっと、うん、じゃあ失礼して……」

 家主とは思えない台詞とともに、アーサーはすごすごとジルベルトの隣に腰かけた。当たり前のように腰に手が回る。もう何度も触れられているのに、そのアーサーよりも一回り大きい手が身体に食い込むことにいまだに慣れない。誤魔化すようにアーサーは櫛を取り、濡れ髪を梳いた。

 近頃顔を見る機会こそ増えたが、実を言うとこうして部屋が明るいうちに顔を見るのは久々だった。たいていは電気を落とした後、アーサーがうとうとし始めた頃か、あるいはすっかり寝入ってしまってからである。朝も朝でアーサーは仕事が控えているからゆっくりなんかできるわけもなく、呑気に寝ているジルベルトのぶんの朝食を置いて出勤するのが常だった。その前も、会うのは昼でもすぐにベッドになだれ込むのがほとんどである。
 だから、こうしてなにをするでもなく一緒に座るのは本当に久しぶりなのだ。
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