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第三十九話 母娘 1
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お兄様から言われたことを考える。
そして、さっそく義務から果たそうと顔を叩いて気合いを入れなおした。
「手紙を書こうと思うの。準備してくれる?」
「スタイラス卿にお手紙ですか?」
「ええ。無難で、しかもできるだけ真面目そうな便せんとインクを選んでね」
どんな色ならそんな自分を演出できるのかはわからないが、侍女のルーエが考えつつ用意してくれたのは、ブルーブラックのインクに、オフホワイトの便せんであった。
便せんには透かしでクローバーの模様が入っているのが、事務的な雰囲気を和らげているだろうか。
将来の義理の父になるだろうスタイラス公爵とは、会ったことはあってもあまり話したことはない。
それに顔を合わせても、彼はすぐにスピネル様だけ置いておけばよいとばかりに私の傍に放置して、どこかに行ってしまうのだ。
だから印象が薄く、お好みもわからない。それはお互い様かもしれないが。
忙しい方だと思うから面会までは願うのも申し訳ないし、元々かの方のいらっしゃるところまで、立場的にも距離的にも足ものばせないし。
だからこそ丁寧に、自分の将来の職についてのアドバイスを貰えないかと手紙でお願いをしてみるつもりだ。
それだけでなく、さりげなく“私は結婚しても、スタイラス家の切り盛りだけでは終わりませんのでそのつもりで。もしダメなら別居婚ということも可能ですよね?”ということを匂わせるのも目的だ。
なかなか難しそうなミッションだが、もとからしてあまり腹芸には長けてないので、思った以上に率直に書いてしまったかもしれない。
貴族の規範たる王族なのに不躾だなと、この手紙を読んで失笑する公爵が目に見えるようだ。
封筒の色でもまた悩み、結局は便せんと同じ素材で、端に緑の線で季節の飾りを入れたものを選んだのだが、封蝋の道具を手に取ろうとした時に、私が知らないうちにどこかに行っていたミレンディアが、美しい金色の液体を入れた、カットガラスの瓶を片手に戻ってきた。
「姫様からお願いごとをされるのですから、こちらからは王都の蒸留酒を添えてお贈りしましょうね」
ミレンディアは昨日のカルマリン兄様と私の会話を聞いていたので、手紙の目的を察しているのだろう。
以前に私に献上された物の中から、相手に合う贈り物を選んでくれたようだ。
お願いする時に贈り物を添えるという当たり前のことをすっかり忘れていて、侍女に感謝をして。
――そして同時に不安も覚えた。
私が今後、結婚するということは、気心も私という人間の欠点も知り尽くしたルーエにミレンディアが私と共に嫁ぎ先に来られるかわからない。ルーエはわからないが、ミレンディアはほぼ確実に退職するだろう。
王宮と違い公務で勤める女官も貴族の家にはいない。
私が自分で使用人を育てる必要があり、家政を取り仕切るようになるのだ。
理解はしていても、それを実行できるのだろうか。
私にとっての当たり前は、産まれてすぐに乳母に預けられ、王族はある程度大きくなったら一人一人の塔で侍従や侍女に囲まれて、食べるものもバラバラで暮らす。そんな世界だ。
しかし、それは貴族の家での風習とは違う。貴族にも乳母はつくが兄弟が同じ乳母のケースもあるらしいし、育ち方も育てられ方も習慣も風習も違う。文官の家と武官の家とでは執り行う行事すら違うともいう。同じ国なのに違う国のようだ。
当たり前を知らないのが私だ。
貴族に嫁入りする者としての心得を、今の段階ではまるっきり習ってもいないし、周囲にも私と同じことをしている人間がほぼいない。
降嫁した王族で今でも存命なのは大聖母であるノルイエ様だけかもしれない。
基本、王族は王族と結婚する。だから同じ環境から同じ環境へと移動するだけ。王族は自国でも他国でも求められる役割は同じであるから。
降嫁する私は死ぬまで王族の名を持つことは許されるが、私の子供はただの貴族となる。
そして、貴族のふるまいを私も求められるようになるのだ。
今、自分は、スピネル様の父に対して、「嫁として貴方の家に染まるつもりはない」と喧嘩を売ったも同様な手紙を書いたのだが……。この手紙を送ってもよいのだろうか。
書き上げるまで、その事に気づかなかった私も愚かだが。
「悩むわね……」
封蝋をせずに悩み始めた私を見かねて、ルーエが声をかけてきた。
「姫様、公爵様へのお手紙の事でもしお悩みなら、ベアトリス様にご相談なさったらいかがでしょう?」
「お母様に?」
その発想がまるでなかったのは、私が母をないがしろにしているわけでも、頼りにしていないわけでもない。
我が母ながら最低限のことしか動きたくないという性格を知っているからである。
奥ゆかしくしとやかで出しゃばらず、しかし明晰な頭脳で王を支え、子供を産んでも変わらぬスタイルと歳を感じさせない美貌と言われている母。
それは彼女の欠点を美しく言っているだけだと私は知っている。
母は言い換えればぐうたらで引きこもりな人間である。
頭は確かに悪くないが、いかに楽をするかにだけ計算高く、脳みそをフル回転させて王宮に引きこもることだけを考えている。それはいい意味でも悪い意味でも。
そして母のすごいところは、それを表からはわからせない。
そのために既に世継ぎが生まれていた王の第二夫人として嫁入りしたのではと本気で思っている。王の嫁としての義務を果たす必要がないのだから。
「そうね……貴族と王族の両方の暮らしを体で知っている人は、ここにはお母様しかいないのだもの。それにどうせあの人はいつ行っても暇よね」
母は王宮の父に近い部屋をもらっているため、親子でもあまり会えないのは他の家族と同じである。それに会えると思えばいつでも顔が見られるので、ますます会いに行かなくなってしまった。
母も「便りがないのは元気な証拠」とのんびりしているので、なおさら疎遠になってしまっているので、傍から見ていると仲の悪い母娘と噂されているようである。
「デビュタントの打合せのこともありますし、ベアトリス様とお会いになるのはちょうどいいですね」
「そうね、すっかり忘れてたわ」
忘れていたかったもう1つの大きな問題も思いだし、急いで母に面会の申し入れをするために王宮まで使いを出した。
そして、さっそく義務から果たそうと顔を叩いて気合いを入れなおした。
「手紙を書こうと思うの。準備してくれる?」
「スタイラス卿にお手紙ですか?」
「ええ。無難で、しかもできるだけ真面目そうな便せんとインクを選んでね」
どんな色ならそんな自分を演出できるのかはわからないが、侍女のルーエが考えつつ用意してくれたのは、ブルーブラックのインクに、オフホワイトの便せんであった。
便せんには透かしでクローバーの模様が入っているのが、事務的な雰囲気を和らげているだろうか。
将来の義理の父になるだろうスタイラス公爵とは、会ったことはあってもあまり話したことはない。
それに顔を合わせても、彼はすぐにスピネル様だけ置いておけばよいとばかりに私の傍に放置して、どこかに行ってしまうのだ。
だから印象が薄く、お好みもわからない。それはお互い様かもしれないが。
忙しい方だと思うから面会までは願うのも申し訳ないし、元々かの方のいらっしゃるところまで、立場的にも距離的にも足ものばせないし。
だからこそ丁寧に、自分の将来の職についてのアドバイスを貰えないかと手紙でお願いをしてみるつもりだ。
それだけでなく、さりげなく“私は結婚しても、スタイラス家の切り盛りだけでは終わりませんのでそのつもりで。もしダメなら別居婚ということも可能ですよね?”ということを匂わせるのも目的だ。
なかなか難しそうなミッションだが、もとからしてあまり腹芸には長けてないので、思った以上に率直に書いてしまったかもしれない。
貴族の規範たる王族なのに不躾だなと、この手紙を読んで失笑する公爵が目に見えるようだ。
封筒の色でもまた悩み、結局は便せんと同じ素材で、端に緑の線で季節の飾りを入れたものを選んだのだが、封蝋の道具を手に取ろうとした時に、私が知らないうちにどこかに行っていたミレンディアが、美しい金色の液体を入れた、カットガラスの瓶を片手に戻ってきた。
「姫様からお願いごとをされるのですから、こちらからは王都の蒸留酒を添えてお贈りしましょうね」
ミレンディアは昨日のカルマリン兄様と私の会話を聞いていたので、手紙の目的を察しているのだろう。
以前に私に献上された物の中から、相手に合う贈り物を選んでくれたようだ。
お願いする時に贈り物を添えるという当たり前のことをすっかり忘れていて、侍女に感謝をして。
――そして同時に不安も覚えた。
私が今後、結婚するということは、気心も私という人間の欠点も知り尽くしたルーエにミレンディアが私と共に嫁ぎ先に来られるかわからない。ルーエはわからないが、ミレンディアはほぼ確実に退職するだろう。
王宮と違い公務で勤める女官も貴族の家にはいない。
私が自分で使用人を育てる必要があり、家政を取り仕切るようになるのだ。
理解はしていても、それを実行できるのだろうか。
私にとっての当たり前は、産まれてすぐに乳母に預けられ、王族はある程度大きくなったら一人一人の塔で侍従や侍女に囲まれて、食べるものもバラバラで暮らす。そんな世界だ。
しかし、それは貴族の家での風習とは違う。貴族にも乳母はつくが兄弟が同じ乳母のケースもあるらしいし、育ち方も育てられ方も習慣も風習も違う。文官の家と武官の家とでは執り行う行事すら違うともいう。同じ国なのに違う国のようだ。
当たり前を知らないのが私だ。
貴族に嫁入りする者としての心得を、今の段階ではまるっきり習ってもいないし、周囲にも私と同じことをしている人間がほぼいない。
降嫁した王族で今でも存命なのは大聖母であるノルイエ様だけかもしれない。
基本、王族は王族と結婚する。だから同じ環境から同じ環境へと移動するだけ。王族は自国でも他国でも求められる役割は同じであるから。
降嫁する私は死ぬまで王族の名を持つことは許されるが、私の子供はただの貴族となる。
そして、貴族のふるまいを私も求められるようになるのだ。
今、自分は、スピネル様の父に対して、「嫁として貴方の家に染まるつもりはない」と喧嘩を売ったも同様な手紙を書いたのだが……。この手紙を送ってもよいのだろうか。
書き上げるまで、その事に気づかなかった私も愚かだが。
「悩むわね……」
封蝋をせずに悩み始めた私を見かねて、ルーエが声をかけてきた。
「姫様、公爵様へのお手紙の事でもしお悩みなら、ベアトリス様にご相談なさったらいかがでしょう?」
「お母様に?」
その発想がまるでなかったのは、私が母をないがしろにしているわけでも、頼りにしていないわけでもない。
我が母ながら最低限のことしか動きたくないという性格を知っているからである。
奥ゆかしくしとやかで出しゃばらず、しかし明晰な頭脳で王を支え、子供を産んでも変わらぬスタイルと歳を感じさせない美貌と言われている母。
それは彼女の欠点を美しく言っているだけだと私は知っている。
母は言い換えればぐうたらで引きこもりな人間である。
頭は確かに悪くないが、いかに楽をするかにだけ計算高く、脳みそをフル回転させて王宮に引きこもることだけを考えている。それはいい意味でも悪い意味でも。
そして母のすごいところは、それを表からはわからせない。
そのために既に世継ぎが生まれていた王の第二夫人として嫁入りしたのではと本気で思っている。王の嫁としての義務を果たす必要がないのだから。
「そうね……貴族と王族の両方の暮らしを体で知っている人は、ここにはお母様しかいないのだもの。それにどうせあの人はいつ行っても暇よね」
母は王宮の父に近い部屋をもらっているため、親子でもあまり会えないのは他の家族と同じである。それに会えると思えばいつでも顔が見られるので、ますます会いに行かなくなってしまった。
母も「便りがないのは元気な証拠」とのんびりしているので、なおさら疎遠になってしまっているので、傍から見ていると仲の悪い母娘と噂されているようである。
「デビュタントの打合せのこともありますし、ベアトリス様とお会いになるのはちょうどいいですね」
「そうね、すっかり忘れてたわ」
忘れていたかったもう1つの大きな問題も思いだし、急いで母に面会の申し入れをするために王宮まで使いを出した。
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