上 下
41 / 43

第三十九話 母娘 1

しおりを挟む
 お兄様から言われたことを考える。
 そして、さっそく義務から果たそうと顔を叩いて気合いを入れなおした。

「手紙を書こうと思うの。準備してくれる?」
「スタイラス卿にお手紙ですか?」
「ええ。無難で、しかもできるだけ真面目そうな便せんとインクを選んでね」

 どんな色ならそんな自分を演出できるのかはわからないが、侍女のルーエが考えつつ用意してくれたのは、ブルーブラックのインクに、オフホワイトの便せんであった。
 便せんには透かしでクローバーの模様が入っているのが、事務的な雰囲気を和らげているだろうか。

 将来の義理の父になるだろうスタイラス公爵とは、会ったことはあってもあまり話したことはない。
 それに顔を合わせても、彼はすぐにスピネル様だけ置いておけばよいとばかりに私の傍に放置して、どこかに行ってしまうのだ。
 だから印象が薄く、お好みもわからない。それはお互い様かもしれないが。

 忙しい方だと思うから面会までは願うのも申し訳ないし、元々かの方のいらっしゃるところまで、立場的にも距離的にも足ものばせないし。
 だからこそ丁寧に、自分の将来の職についてのアドバイスを貰えないかと手紙でお願いをしてみるつもりだ。

 それだけでなく、さりげなく“私は結婚しても、スタイラス家の切り盛りだけでは終わりませんのでそのつもりで。もしダメなら別居婚ということも可能ですよね?”ということを匂わせるのも目的だ。
 なかなか難しそうなミッションだが、もとからしてあまり腹芸には長けてないので、思った以上に率直に書いてしまったかもしれない。
 貴族の規範たる王族なのに不躾だなと、この手紙を読んで失笑する公爵が目に見えるようだ。

 封筒の色でもまた悩み、結局は便せんと同じ素材で、端に緑の線で季節の飾りを入れたものを選んだのだが、封蝋の道具を手に取ろうとした時に、私が知らないうちにどこかに行っていたミレンディアが、美しい金色の液体を入れた、カットガラスの瓶を片手に戻ってきた。

「姫様からお願いごとをされるのですから、こちらからは王都の蒸留酒を添えてお贈りしましょうね」

 ミレンディアは昨日のカルマリン兄様と私の会話を聞いていたので、手紙の目的を察しているのだろう。
 以前に私に献上された物の中から、相手に合う贈り物を選んでくれたようだ。
 お願いする時に贈り物を添えるという当たり前のことをすっかり忘れていて、侍女に感謝をして。

――そして同時に不安も覚えた。

 私が今後、結婚するということは、気心も私という人間の欠点も知り尽くしたルーエにミレンディアが私と共に嫁ぎ先に来られるかわからない。ルーエはわからないが、ミレンディアはほぼ確実に退職するだろう。

 王宮と違い公務で勤める女官も貴族の家にはいない。
 私が自分で使用人を育てる必要があり、家政を取り仕切るようになるのだ。
 理解はしていても、それを実行できるのだろうか。

 私にとっての当たり前は、産まれてすぐに乳母に預けられ、王族はある程度大きくなったら一人一人の塔で侍従や侍女に囲まれて、食べるものもバラバラで暮らす。そんな世界だ。

 しかし、それは貴族の家での風習とは違う。貴族にも乳母はつくが兄弟が同じ乳母のケースもあるらしいし、育ち方も育てられ方も習慣も風習も違う。文官の家と武官の家とでは執り行う行事すら違うともいう。同じ国なのに違う国のようだ。
 当たり前を知らないのが私だ。
 貴族に嫁入りする者としての心得を、今の段階ではまるっきり習ってもいないし、周囲にも私と同じことをしている人間がほぼいない。
 降嫁した王族で今でも存命なのは大聖母であるノルイエ様だけかもしれない。

 基本、王族は王族と結婚する。だから同じ環境から同じ環境へと移動するだけ。王族は自国でも他国でも求められる役割は同じであるから。
 降嫁する私は死ぬまで王族の名を持つことは許されるが、私の子供はただの貴族となる。
 そして、貴族のふるまいを私も求められるようになるのだ。

 今、自分は、スピネル様の父に対して、「嫁として貴方の家に染まるつもりはない」と喧嘩を売ったも同様な手紙を書いたのだが……。この手紙を送ってもよいのだろうか。
 書き上げるまで、その事に気づかなかった私も愚かだが。

「悩むわね……」

 封蝋をせずに悩み始めた私を見かねて、ルーエが声をかけてきた。

「姫様、公爵様へのお手紙の事でもしお悩みなら、ベアトリス様にご相談なさったらいかがでしょう?」
「お母様に?」

 その発想がまるでなかったのは、私が母をないがしろにしているわけでも、頼りにしていないわけでもない。
 我が母ながら最低限のことしか動きたくないという性格を知っているからである。

 奥ゆかしくしとやかで出しゃばらず、しかし明晰な頭脳で王を支え、子供を産んでも変わらぬスタイルと歳を感じさせない美貌と言われている母。

 それは彼女の欠点を美しく言っているだけだと私は知っている。
 母は言い換えればぐうたらで引きこもりな人間である。
 頭は確かに悪くないが、いかに楽をするかにだけ計算高く、脳みそをフル回転させて王宮に引きこもることだけを考えている。それはいい意味でも悪い意味でも。

 そして母のすごいところは、それを表からはわからせない。
 そのために既に世継ぎが生まれていた王の第二夫人として嫁入りしたのではと本気で思っている。王の嫁としての義務を果たす必要がないのだから。

「そうね……貴族と王族の両方の暮らしを体で知っている人は、ここにはお母様しかいないのだもの。それにどうせあの人はいつ行っても暇よね」

 母は王宮の父に近い部屋をもらっているため、親子でもあまり会えないのは他の家族と同じである。それに会えると思えばいつでも顔が見られるので、ますます会いに行かなくなってしまった。
 母も「便りがないのは元気な証拠」とのんびりしているので、なおさら疎遠になってしまっているので、傍から見ていると仲の悪い母娘と噂されているようである。

「デビュタントの打合せのこともありますし、ベアトリス様とお会いになるのはちょうどいいですね」
「そうね、すっかり忘れてたわ」

 忘れていたかったもう1つの大きな問題も思いだし、急いで母に面会の申し入れをするために王宮まで使いを出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなければ。

月見 初音
恋愛
大国クラッサ王国のアルバト国王の妾腹の子として生まれたアグネスに、婚約話がもちかけられる。 しかし相手は、大陸一の美青年と名高い敵国のステア・アイザイン公爵であった。 公爵から明らかな憎悪を向けられ、周りからは2人の不釣り合いさを笑われるが、アグネスは彼と結婚する。 結婚生活の中でアグネスはステアの誠実さや優しさを知り彼を愛し始める。 しかしある日、ステアがアグネスを憎む理由を知ってしまい罪悪感から彼女は自死を決意する。 毒を飲んだが死にきれず、目が覚めたとき彼女の記憶はなくなっていた。 そして彼女の目の前には、今にも泣き出しそうな顔のステアがいた。 𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷 初投稿作品なので温かい目で見てくださると幸いです。 コメントくださるととっても嬉しいです! 誤字脱字報告してくださると助かります。 不定期更新です。 表紙のお借り元▼ https://www.pixiv.net/users/3524455 𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷⢄⡱𖧷

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

たまに目覚める王女様

青空一夏
ファンタジー
苦境にたたされるとピンチヒッターなるあたしは‥‥

一年で死ぬなら

朝山みどり
恋愛
一族のお食事会の主な話題はクレアをばかにする事と同じ年のいとこを褒めることだった。 理不尽と思いながらもクレアはじっと下を向いていた。 そんなある日、体の不調が続いたクレアは医者に行った。 そこでクレアは心臓が弱っていて、余命一年とわかった。 一年、我慢しても一年。好きにしても一年。吹っ切れたクレアは・・・・・

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

【完結】異国へ嫁いだ王女は政略結婚の為、嫌がらせされていると思い込んだが、いつの間にか幸せを掴みました。

まりぃべる
恋愛
オティーリエ王女は幼い頃は誰とでも分け隔てなく接していた心優しい少女だった。しかし八歳から始まった淑女教育や政略結婚の駒とされる為に様々な事を学ばされた為にいつの間にか高慢で負けず嫌いな性格に育ってしまった。常に王女らしくあれと講師の先生からも厳しく教育され、他人に弱みを見せてはいけないと言われ続けていたらいつの間にか居丈高で強気な性格となってしまう。 そんな王女が、とうとう政略結婚の駒となり、長年確執のあった国へと嫁がされる事となる。 王女は〝王女らしい〟性格である為、異国では誰にも頼らず懸命に生活していこうとする。が、負けず嫌いの性格やお節介な性格で、いつの間にか幸せを掴むお話。 ☆現実世界でも似たような言い回し、人名、地名、などがありますがまりぃべるの緩い世界観ですので関係ありません。そのように理解して読んでいただけると幸いです。 ☆ヨーロッパ風の世界をイメージしてますが、現実世界とは異なります。 ☆最後まで書き終えましたので随時更新します。全27話です。 ☆緩い世界ですが、楽しんでいただけると幸いです。

前世と今世の幸せ

夕香里
恋愛
幼い頃から皇帝アルバートの「皇后」になるために妃教育を受けてきたリーティア。 しかし聖女が発見されたことでリーティアは皇后ではなく、皇妃として皇帝に嫁ぐ。 皇帝は皇妃を冷遇し、皇后を愛した。 そのうちにリーティアは病でこの世を去ってしまう。 この世を去った後に訳あってもう一度同じ人生を繰り返すことになった彼女は思う。 「今世は幸せになりたい」と ※小説家になろう様にも投稿しています

愛しの貴方にサヨナラのキスを

百川凛
恋愛
王立学園に通う伯爵令嬢シャロンは、王太子の側近候補で騎士を目指すラルストン侯爵家の次男、テオドールと婚約している。 良い関係を築いてきた2人だが、ある1人の男爵令嬢によりその関係は崩れてしまう。王太子やその側近候補たちが、その男爵令嬢に心惹かれてしまったのだ。 愛する婚約者から婚約破棄を告げられる日。想いを断ち切るため最後に一度だけテオドールの唇にキスをする──と、彼はバタリと倒れてしまった。 後に、王太子をはじめ数人の男子生徒に魅了魔法がかけられている事が判明する。 テオドールは魅了にかかってしまった自分を悔い、必死にシャロンの愛と信用を取り戻そうとするが……。

処理中です...