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第三十八話 兄妹 2
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「そうだ……さっきの話だけどさ。スタイラス公爵に相談するってどーなんだよ。所領に引き籠ってもできる職じゃないとダメなんじゃねえの?」
「スピネル様の……お父様ですか」
「そう。お前は王女で特士という身分だから、ある程度自由は利くと思うけどさ。結婚したら仕事辞めると思いこんでるかもしれないぜ?」
そういえば、スピネル様の反応からしてもそうかもしれない。というよりも、兄の反応の方が驚きで、まじまじとその顔を見た。
「兄様はなぜ私が結婚したら仕事を辞めると思わなかったんですか?」
「お前を知ってるからだろ。それと、お前の努力も才能も知っているし」
あっけらかんと言ってるけれど、柔軟な考えと判断に度肝を抜かれたという言葉が近い。
スピネル様の頭の固さの方が普通だと納得するからこそ、兄のその思考はあり得ないレベルだ。
たまに回りすぎる頭で変なことを思ったりやったりする突飛な人ではあるが。
「お前は埋もれさせるのにもったいない。それくらい大きなことを遂げたんだぜ。その能力をもっと他にも使ってほしいしな。将来の為政者として思う。お前だけじゃないよ。きっと俺の知らないところで埋もれている人材がいるんだろうな。この国における職業を、もっと自由に選択できるようにしたいよなぁ……」
そろそろ帰るか、と立ち上がるカルマリン兄様は、私の頭をつ、と撫でた。
そんな子供の頃のようにして、髪が崩れるから止めてほしいと何度も言っているのだけれど。
でも、その癖を直す気がないらしい。
「それを思えるようになったのは、お前のおかげなんだぜ、ステラ」
そう優しく囁くように言うと、ご馳走様、と侍女たちにも挨拶をして戻っていった。
帰っていったカルマリン兄様の食べた後を、侍女たちが片づけてくれる。
今度は私がぐったりと椅子に寄りかかった。
「嵐が過ぎたようだわ……」
情報量が多すぎる。説教されて、教え諭されて、応援されて……。
しかし、それでも胸に染み渡る温かさが残っていて。それが自分が今日、兄から受けた言葉を真摯に受け止めている証拠に思えた。
「好きになる……か」
先ほど兄に言われたことを口に出して反芻する。そんな自分を茶器を片付けていたミレンディアが傍により、話しかけてくれた。
「姫様は、誰かを好きになったことがないのでしょう? スピネル様に対してだけでなく、他の誰に対しても」
「そうね。考えたこともなかったもの」
婚約をしている時点で、婚約者以外に恋をするもなにもない。
そう思う自分は頭が固いのだろうか。いや、恋愛感情が分からないお子様なだけだろう。
物語に出てくる騎士にときめいたりするのも一つの恋愛感情に近いのだろうけれど、生憎その手のモノを読んだことはなかった。存在は知ってはいるが。
「恋をするのはある意味、訓練が必要ですから。必要ないと拒絶していたら、誰かを好きになる感覚自体に気づけずにいるかもしれません。ある日突然わかるということもありますけれどね。だから姫様がお分かりにならないのも当然ですよ」
ミレンディアの話を、そんなものなのだろうか、と真面目に聞いている。ミレンディアも誰かに恋をしているのだろうか、と彼女の横顔を見てそう考えた。
確か婚約はしていたはずだ。相手は子爵だったか。彼女の実家の家柄と同じでつり合いで選ばれた典型だなと思ったことがあったのを思いだした。
王女に付く侍女たちは貴族の娘が行儀見習いとして来ることが多く、ある程度、王宮で働くと実家に戻って結婚をする。
制限の大きさはともかく、立場はさほど自分と変わらないのだろう。
「姫様にお教えしますと、恋をするということは、どこか卑屈なものですよ。なぜなら、人から愛されるのは当たり前ではありませんから。無条件に我々を愛してくれるのは神様くらいなものです」
ふう、と息を吐いてミレンディアはぐっと握りこぶしを作った。
「だからスピネル様が腹立たしいのです」
「どういう意味?」
話が飛んだ気がする。しかし、ミレンディアの中ではつじつまがあっているかのようで、ほほほ、と朗らかに笑っているだけで教えてくれない。言わないのはきっと悪口になるからだろう。
「それは、私にスピネル様を好きになる努力をしろ、ということかしら」
「それは断じて違います。けれど……姫様が頑張って誰かを好きになる気持ちを分かるよう努力をするというのではなく、スピネル様がせいぜいステラ様の愛を乞ってのたうちまわればよいと思っております。姫様がスピネル様をお好きでないのは当然だと思いますわ。初対面からして最悪ですからね。それならば、愛してもらいたいとスピネル様がひたすらに頑張ればよいのですよ」
「スピネル様は、私に自分に対して不満があれば言えとおっしゃってたけれど……それがスピネル様が頑張っているということなのかしら?」
「あら、スピネル様にしてはずいぶんと前向きですこと」
鼻で笑うミレンディアの目は座っている。しかし、動きは優雅で、すっと頭を揺らさない静かな動き方で私の傍により、新しいお茶を注いでくれた。話していて主の喉が渇いたと察しての動きに違いない。
ミレンディアがこの宮に来たのは二年くらい前だったように思う。昔に比べて彼女もずっと大人っぽく、随分と動きも洗練されてきたものだ。
この彼女の花嫁修業という名の努力も、私の知らない誰かのための努力なのだろうか。
「人は好きな人のために変わりたい、と思うものです」
そう口元を綻ばせた彼女がいつもより、ずっと大人に見える。
「相手が好きだからそう思うのですが、誰かのために変わりたいと思える方が幸せかもしれないと私は思いますよ」
それを信じるとなると、スピネル様が私が好きで私のために変わりたいと思っているように聞こえるのだけれど……。
うーん……。
あの人のことだから、お互いが未来の伴侶として仲が悪い状態にするわけにもいかず、しかも王女を迎えるわけだから、そこの融通を聞かせているだけなのではと思えるのだけれど。
彼女の言葉は簡単なようでいてどこか深くて、どう反応したらいいのかよく分からなくなった。
「スピネル様の……お父様ですか」
「そう。お前は王女で特士という身分だから、ある程度自由は利くと思うけどさ。結婚したら仕事辞めると思いこんでるかもしれないぜ?」
そういえば、スピネル様の反応からしてもそうかもしれない。というよりも、兄の反応の方が驚きで、まじまじとその顔を見た。
「兄様はなぜ私が結婚したら仕事を辞めると思わなかったんですか?」
「お前を知ってるからだろ。それと、お前の努力も才能も知っているし」
あっけらかんと言ってるけれど、柔軟な考えと判断に度肝を抜かれたという言葉が近い。
スピネル様の頭の固さの方が普通だと納得するからこそ、兄のその思考はあり得ないレベルだ。
たまに回りすぎる頭で変なことを思ったりやったりする突飛な人ではあるが。
「お前は埋もれさせるのにもったいない。それくらい大きなことを遂げたんだぜ。その能力をもっと他にも使ってほしいしな。将来の為政者として思う。お前だけじゃないよ。きっと俺の知らないところで埋もれている人材がいるんだろうな。この国における職業を、もっと自由に選択できるようにしたいよなぁ……」
そろそろ帰るか、と立ち上がるカルマリン兄様は、私の頭をつ、と撫でた。
そんな子供の頃のようにして、髪が崩れるから止めてほしいと何度も言っているのだけれど。
でも、その癖を直す気がないらしい。
「それを思えるようになったのは、お前のおかげなんだぜ、ステラ」
そう優しく囁くように言うと、ご馳走様、と侍女たちにも挨拶をして戻っていった。
帰っていったカルマリン兄様の食べた後を、侍女たちが片づけてくれる。
今度は私がぐったりと椅子に寄りかかった。
「嵐が過ぎたようだわ……」
情報量が多すぎる。説教されて、教え諭されて、応援されて……。
しかし、それでも胸に染み渡る温かさが残っていて。それが自分が今日、兄から受けた言葉を真摯に受け止めている証拠に思えた。
「好きになる……か」
先ほど兄に言われたことを口に出して反芻する。そんな自分を茶器を片付けていたミレンディアが傍により、話しかけてくれた。
「姫様は、誰かを好きになったことがないのでしょう? スピネル様に対してだけでなく、他の誰に対しても」
「そうね。考えたこともなかったもの」
婚約をしている時点で、婚約者以外に恋をするもなにもない。
そう思う自分は頭が固いのだろうか。いや、恋愛感情が分からないお子様なだけだろう。
物語に出てくる騎士にときめいたりするのも一つの恋愛感情に近いのだろうけれど、生憎その手のモノを読んだことはなかった。存在は知ってはいるが。
「恋をするのはある意味、訓練が必要ですから。必要ないと拒絶していたら、誰かを好きになる感覚自体に気づけずにいるかもしれません。ある日突然わかるということもありますけれどね。だから姫様がお分かりにならないのも当然ですよ」
ミレンディアの話を、そんなものなのだろうか、と真面目に聞いている。ミレンディアも誰かに恋をしているのだろうか、と彼女の横顔を見てそう考えた。
確か婚約はしていたはずだ。相手は子爵だったか。彼女の実家の家柄と同じでつり合いで選ばれた典型だなと思ったことがあったのを思いだした。
王女に付く侍女たちは貴族の娘が行儀見習いとして来ることが多く、ある程度、王宮で働くと実家に戻って結婚をする。
制限の大きさはともかく、立場はさほど自分と変わらないのだろう。
「姫様にお教えしますと、恋をするということは、どこか卑屈なものですよ。なぜなら、人から愛されるのは当たり前ではありませんから。無条件に我々を愛してくれるのは神様くらいなものです」
ふう、と息を吐いてミレンディアはぐっと握りこぶしを作った。
「だからスピネル様が腹立たしいのです」
「どういう意味?」
話が飛んだ気がする。しかし、ミレンディアの中ではつじつまがあっているかのようで、ほほほ、と朗らかに笑っているだけで教えてくれない。言わないのはきっと悪口になるからだろう。
「それは、私にスピネル様を好きになる努力をしろ、ということかしら」
「それは断じて違います。けれど……姫様が頑張って誰かを好きになる気持ちを分かるよう努力をするというのではなく、スピネル様がせいぜいステラ様の愛を乞ってのたうちまわればよいと思っております。姫様がスピネル様をお好きでないのは当然だと思いますわ。初対面からして最悪ですからね。それならば、愛してもらいたいとスピネル様がひたすらに頑張ればよいのですよ」
「スピネル様は、私に自分に対して不満があれば言えとおっしゃってたけれど……それがスピネル様が頑張っているということなのかしら?」
「あら、スピネル様にしてはずいぶんと前向きですこと」
鼻で笑うミレンディアの目は座っている。しかし、動きは優雅で、すっと頭を揺らさない静かな動き方で私の傍により、新しいお茶を注いでくれた。話していて主の喉が渇いたと察しての動きに違いない。
ミレンディアがこの宮に来たのは二年くらい前だったように思う。昔に比べて彼女もずっと大人っぽく、随分と動きも洗練されてきたものだ。
この彼女の花嫁修業という名の努力も、私の知らない誰かのための努力なのだろうか。
「人は好きな人のために変わりたい、と思うものです」
そう口元を綻ばせた彼女がいつもより、ずっと大人に見える。
「相手が好きだからそう思うのですが、誰かのために変わりたいと思える方が幸せかもしれないと私は思いますよ」
それを信じるとなると、スピネル様が私が好きで私のために変わりたいと思っているように聞こえるのだけれど……。
うーん……。
あの人のことだから、お互いが未来の伴侶として仲が悪い状態にするわけにもいかず、しかも王女を迎えるわけだから、そこの融通を聞かせているだけなのではと思えるのだけれど。
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