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第三十四話 side スピネル 6
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王宮より司法庁勤務の希望を出している者の通達が来た。
これは勅令にほぼ近いし、司法庁からしても優秀な人材は喉から手が出るほど必要なので異論はない。相手の希望を喜んで受理する運びになった。
分かってはいたものの、その名前はリベラルタス。
姓がないのでやはり平民のようだ。
人となりや来歴が分からないので調査を入れたところ、元々は貴族の使用人として働いていて、そこで才気煥発な男ということで、貴族の後援を受けて帝国最高試験を受験するに至ったようだ。
そうとなると、その貴族と後々縁づくのだろうか? この辺りの素性は本人に聞くべきだろう。
リベラルタスの内定を伝えるための書簡を送り、細かい打合せのために呼び出せば、あの時に別れた少し吊りあっがった眉に、垂れた目の優し気な笑顔の赤毛の男がやってきた。
支度金か報奨金でも受け取ったのだろうか、あの時より綺麗な格好をしている気がする。
あらためてスピネルの執務室で向い合せになるようにソファに座ると、お互いになんとなく気まずい空気が流れて、咳払いをして雰囲気をごまかした。
「司法庁長官代理として、貴殿に歓迎の意を示そう。スピネル・スタイラスだ。貴殿の同僚に当たるのでよろしくお願いする」
帝国最高試験の合格者、特士は平民だろうとなんだろうと、全ての職位に対して同格に扱われられる。
貴族でも王族でも、特士には敬意を払う。
唯一彼に頭を下げないでいいのは、全ての人民を臣とする王だけである。
入庁時期が先なので自分はリベラルタスの先輩には当たるが、元の身分に差があっても、お互いいわゆる幹部候補生で同格になるのだ。
さすがに経験もなくいきなり長官になることは禁じられているが、どの仕事でも経験を積めばトップを狙える。建前上は。
血にこだわる人間が、司法庁に平民上がりの特士が希望しているという噂を聞きつけ、指図されるのが耐えられないと彼の入庁を阻害しようとしていたようだったが。
彼も覚悟の上だろうけれど、これから大変だろうな、としみじみと、その人のよさそうな顔を見つめた。
「それと、私のことはスピネルでいい」
「恐れ入ります。スピネル様」
手を差し出すとこわごわといった風情で手を出されたので、しっかりと握り返した。
これでも司法庁は弱肉強食というか、仕事さえきっちりとしていれば身分差はあまり考慮されない職場だと思っていた。
しかし、そんな司法庁でも平民である彼を阻害するような行動をする人間がいたのだから、他のところではもっとやりづらい思いをするところだったのだろう。
「……先日は失礼をした。改めて謝罪しよう」
先日の自分達を見て、彼がどう思っているか内心ではびくびくしている。
そんな相手と一緒の仕事なんて気まずすぎるのだが、顔に出さず平静を装っていたのは男のプライドだ。
「それはいいのですが……ちゃんとお話をなさいましたか?」
「どういうことだ?」
心配そうに自分を見つめてくるリベラルタスを見つめ返す。
「王女様です。何か行き違いがお二人の間にあるようだと見ててわかりましたので……スピネル様が姫のことを好いてらっしゃることはわかりやすいと思いますが……露骨に私なぞに嫉妬されてましたから……」
一瞬、顔が引きつった。なぜ、それがわかった。
ということは、ステラ様もお気づきになっているのだろうか。
そんな様子はステラ様から見えていなかったのだが……。
「……それほど私はわかりやすかったか?」
そういうと、リベラルタスは困ったように微笑んで無言になってしまう。
分かりやすかったのだろう。彼視点では。
自分ですらなかなかわからなかった感情なのだが、その感情を知る者は他のものの感情を読むことは火を見るよりも明らかだったのかもしれない。
「もしかして、貴殿には思う人がいるのか? いや、恋人かな?」
そう何気なく問いかけてみたら。
――唐突にリベラルタスの表情が変わった。
思わず、動きを止めて見入ってしまったほどの変貌。
どこまでも優しさに溢れて、元々微笑んでいたのだけれど、その笑みは海のように深く。慈愛というのか。
目の前にいない誰かを思い浮かべる、その一瞬で、人はこんな表情を作れるのか。
あっけに取られてリベラルタスに見入っていることに気づいたのか、視線に照れて、先ほどの表情のリベラルタスに戻った。
漂った甘ったるいような妙な空気が消え失せて、思わず力を入れていた肩から息を吐いて力を抜いた。
「はい、おります。その人のために帝国最高試験に合格したいと思いましたから」
「その方に合格を捧げられたのか」
「はい」
まるっきり自分とステラ様とは逆な甘やかな受験理由とその結果だ。
思わず罪悪感を思い出し、それにさいなまわれてのたうちまわりたくなるが、そんな姿を見せるわけにもいかず、冷静を装う。
「貴殿は恋人とどういう会話をするんだ?」
「は?」
「……」
はぁ、と肩を落として額を手で覆う。
「婚約者に甘い言葉を言え、と言われたのでいざしてみようとしても、何を言ったらいいのかわからなかった……」
むしろ、あの方に対して何も言えなくなる瞬間が増えてきて、困る。
「甘い言葉、というのはよくわかりませんが……好きな人には好きという。それだけでいいのでは? それに、それって当たり前ではないですか」
何を悩んでいるのだろう、というような顔をしてリベラルタスが首を傾げている。
「なんでだ? 当たり前とは限らないだろう? 言わなくてもわかることを何度も言ったらしつこいと思われるだろうし」
俺がそう言えば、リベラルタスはどこから説明したらいいのでしょう、と天を仰いだ。
「スピネル様は、好きだと言われて嬉しくないですか?」
「嬉しいと思ったことがないな。迷惑なだけだから」
この場合、好きだと言うのは異性からという意味だろうと思い、即答した。
過去に、あの手この手で色々と女性からは声を掛けられたものだ。俺の家柄は王国内でもトップクラスで、それなりに女が好む容姿をしているらしい。
何かがあると、異性に話しかけられて、興味のない話を延々とされるし面倒に思っていた。
思わし気な視線をくれてみたり、物を落としたから拾ってやれば、それからやたらとかまわれたり、無視をすると妙な噂を流されたり……。
思い出しただけでイライラしてきた。
「好きでもない相手に好意を持たれても、面倒なだけだ」
「……今までどんなことがあったんですか」
思いだしながら吐き捨てるように言ったら、リベラルタスに呆れたように言われた。
「好意を相手に伝えるメリットを感じない」
自分の感情を誰かに伝えてどうなるのだろう。貴族ならば、結婚相手は親が決めるのだから。
それこそ、相手が欲しがらない「自分が勝手に渡したいものを渡すプレゼント」と同じだ。
プレゼントはコミュニケーションを円滑にする手段だと割り切ることができるが、どう思っているかを相手に伝えてどうなるのだろう。
それも自分の場合は、好きになったのは結婚するのが先に決まっていた相手だ。
それこそ押しつけがましい感情ではないだろうか。
これは勅令にほぼ近いし、司法庁からしても優秀な人材は喉から手が出るほど必要なので異論はない。相手の希望を喜んで受理する運びになった。
分かってはいたものの、その名前はリベラルタス。
姓がないのでやはり平民のようだ。
人となりや来歴が分からないので調査を入れたところ、元々は貴族の使用人として働いていて、そこで才気煥発な男ということで、貴族の後援を受けて帝国最高試験を受験するに至ったようだ。
そうとなると、その貴族と後々縁づくのだろうか? この辺りの素性は本人に聞くべきだろう。
リベラルタスの内定を伝えるための書簡を送り、細かい打合せのために呼び出せば、あの時に別れた少し吊りあっがった眉に、垂れた目の優し気な笑顔の赤毛の男がやってきた。
支度金か報奨金でも受け取ったのだろうか、あの時より綺麗な格好をしている気がする。
あらためてスピネルの執務室で向い合せになるようにソファに座ると、お互いになんとなく気まずい空気が流れて、咳払いをして雰囲気をごまかした。
「司法庁長官代理として、貴殿に歓迎の意を示そう。スピネル・スタイラスだ。貴殿の同僚に当たるのでよろしくお願いする」
帝国最高試験の合格者、特士は平民だろうとなんだろうと、全ての職位に対して同格に扱われられる。
貴族でも王族でも、特士には敬意を払う。
唯一彼に頭を下げないでいいのは、全ての人民を臣とする王だけである。
入庁時期が先なので自分はリベラルタスの先輩には当たるが、元の身分に差があっても、お互いいわゆる幹部候補生で同格になるのだ。
さすがに経験もなくいきなり長官になることは禁じられているが、どの仕事でも経験を積めばトップを狙える。建前上は。
血にこだわる人間が、司法庁に平民上がりの特士が希望しているという噂を聞きつけ、指図されるのが耐えられないと彼の入庁を阻害しようとしていたようだったが。
彼も覚悟の上だろうけれど、これから大変だろうな、としみじみと、その人のよさそうな顔を見つめた。
「それと、私のことはスピネルでいい」
「恐れ入ります。スピネル様」
手を差し出すとこわごわといった風情で手を出されたので、しっかりと握り返した。
これでも司法庁は弱肉強食というか、仕事さえきっちりとしていれば身分差はあまり考慮されない職場だと思っていた。
しかし、そんな司法庁でも平民である彼を阻害するような行動をする人間がいたのだから、他のところではもっとやりづらい思いをするところだったのだろう。
「……先日は失礼をした。改めて謝罪しよう」
先日の自分達を見て、彼がどう思っているか内心ではびくびくしている。
そんな相手と一緒の仕事なんて気まずすぎるのだが、顔に出さず平静を装っていたのは男のプライドだ。
「それはいいのですが……ちゃんとお話をなさいましたか?」
「どういうことだ?」
心配そうに自分を見つめてくるリベラルタスを見つめ返す。
「王女様です。何か行き違いがお二人の間にあるようだと見ててわかりましたので……スピネル様が姫のことを好いてらっしゃることはわかりやすいと思いますが……露骨に私なぞに嫉妬されてましたから……」
一瞬、顔が引きつった。なぜ、それがわかった。
ということは、ステラ様もお気づきになっているのだろうか。
そんな様子はステラ様から見えていなかったのだが……。
「……それほど私はわかりやすかったか?」
そういうと、リベラルタスは困ったように微笑んで無言になってしまう。
分かりやすかったのだろう。彼視点では。
自分ですらなかなかわからなかった感情なのだが、その感情を知る者は他のものの感情を読むことは火を見るよりも明らかだったのかもしれない。
「もしかして、貴殿には思う人がいるのか? いや、恋人かな?」
そう何気なく問いかけてみたら。
――唐突にリベラルタスの表情が変わった。
思わず、動きを止めて見入ってしまったほどの変貌。
どこまでも優しさに溢れて、元々微笑んでいたのだけれど、その笑みは海のように深く。慈愛というのか。
目の前にいない誰かを思い浮かべる、その一瞬で、人はこんな表情を作れるのか。
あっけに取られてリベラルタスに見入っていることに気づいたのか、視線に照れて、先ほどの表情のリベラルタスに戻った。
漂った甘ったるいような妙な空気が消え失せて、思わず力を入れていた肩から息を吐いて力を抜いた。
「はい、おります。その人のために帝国最高試験に合格したいと思いましたから」
「その方に合格を捧げられたのか」
「はい」
まるっきり自分とステラ様とは逆な甘やかな受験理由とその結果だ。
思わず罪悪感を思い出し、それにさいなまわれてのたうちまわりたくなるが、そんな姿を見せるわけにもいかず、冷静を装う。
「貴殿は恋人とどういう会話をするんだ?」
「は?」
「……」
はぁ、と肩を落として額を手で覆う。
「婚約者に甘い言葉を言え、と言われたのでいざしてみようとしても、何を言ったらいいのかわからなかった……」
むしろ、あの方に対して何も言えなくなる瞬間が増えてきて、困る。
「甘い言葉、というのはよくわかりませんが……好きな人には好きという。それだけでいいのでは? それに、それって当たり前ではないですか」
何を悩んでいるのだろう、というような顔をしてリベラルタスが首を傾げている。
「なんでだ? 当たり前とは限らないだろう? 言わなくてもわかることを何度も言ったらしつこいと思われるだろうし」
俺がそう言えば、リベラルタスはどこから説明したらいいのでしょう、と天を仰いだ。
「スピネル様は、好きだと言われて嬉しくないですか?」
「嬉しいと思ったことがないな。迷惑なだけだから」
この場合、好きだと言うのは異性からという意味だろうと思い、即答した。
過去に、あの手この手で色々と女性からは声を掛けられたものだ。俺の家柄は王国内でもトップクラスで、それなりに女が好む容姿をしているらしい。
何かがあると、異性に話しかけられて、興味のない話を延々とされるし面倒に思っていた。
思わし気な視線をくれてみたり、物を落としたから拾ってやれば、それからやたらとかまわれたり、無視をすると妙な噂を流されたり……。
思い出しただけでイライラしてきた。
「好きでもない相手に好意を持たれても、面倒なだけだ」
「……今までどんなことがあったんですか」
思いだしながら吐き捨てるように言ったら、リベラルタスに呆れたように言われた。
「好意を相手に伝えるメリットを感じない」
自分の感情を誰かに伝えてどうなるのだろう。貴族ならば、結婚相手は親が決めるのだから。
それこそ、相手が欲しがらない「自分が勝手に渡したいものを渡すプレゼント」と同じだ。
プレゼントはコミュニケーションを円滑にする手段だと割り切ることができるが、どう思っているかを相手に伝えてどうなるのだろう。
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