32 / 43
第三十話 side スピネル 4
しおりを挟む
「殿下」
「よお、どうしたんだ?」
「報告ですよ。今日は仕事です」
緋色の間と呼ばれる王太子の私室の一つは、王太子の職務の部屋にもなっている。
その部屋の中で、くたびれた顔を隠さないで入って来た自分を迎えたのはカルマリン王子だ。
「ちょっと、司法庁の中でおかしな動きがあります」
蜂蜜色の髪の下の眉がぴくりと動く。
「リベラルタスという司法庁に希望を出した平民出身の特士に圧力がかけられたみたいです。現在も内部調査をしておりますが」
「なんだと?」
「司法庁に入るなという脅しだったので、その者の希望を知っていたようです。私ですら知らなかった情報を掴んだ何者かが、直接本人を脅したのでしょう。王宮の方からの漏洩も考えられますので、調査をお願いできますか?」
「わかった。聞いてたな?」
厳しい目をしたカルマリン様は一番近くにいた官吏を呼びつけると、色々と命じている。
「とりあえず、その特士には護衛もつけた方がいいか……」
「ええ、その方がいいでしょう。司法庁の内部に関してはもっと詳しく調べます。よりによって司法を守る立場の者が……司法庁内の綱紀粛正に努め、関係者には厳しい処分を……」
「真面目すぎ。もう少しリラックスしろよ」
苦笑したカルマリン様がなだめるように肩を叩いてくるが、腹が立つのだから仕方がない。
「それと、司法庁宛てに特士から希望申請が来ているのでしょう? 勅書を早くください」
こんなに早く、リベラルタスのことが分かったのは、ある意味運がよかっただろう。
でなかったら、不正が起きていることに気づけなかった。
自分から行動を起こしてくれたリベラルタスに感謝もあるにはあるが、リベラルタスのことを思い出すと、不愉快になってくる。
リベラルタスとステラ様が一緒に司法庁に来た時――。
応接室の方に案内されているということで、急いでそちらに足を運んだ自分がドアを開けて中を見たら、とても楽しそうに【男】と語らうステラ様がいて。
――俺には、あんな顔を見せてくれないのに。
しかし彼女は、自分を見ると即座に顔から表情を消したのだ。
中に押し入って男に詰め寄ろうとしたが、ステラ様が即座に相手をかばうのも、どうにも面白くなくて。
相手が特士だから重く用いるというのか。
それなら自分だってそれくらいとってやろうか。
腹立ちまぎれにそう言ってやったら、姫に窘められてしまったのだけれど。
しかも司法庁に入るなと特士が圧力を受けているという、聞き捨てならない情報を得て、詳しい話を彼から聞こうとしたら、姫には自分がその首謀者だと勘違いされているし。
あの平民の男……リベラルタスという人間に男として負けた気がしてならなくて。
そのことがいまだに不愉快で仕方がなかった。
それでも不正は不正。そんなものを見過ごすこともできずに即座に調査を始めたのだが。
それに男としてリベラルタスは受け入れがたくても、司法庁としては特士の入庁は大歓迎なのだ。
道連れ……もとい、仲間は多ければ多いほうがいい。
特に激務に耐えかねて逃げ出さない人ならなおさら。
過酷な試験勉強に耐えて合格した特士なら、ちょっとやそとでは音をあげたりしないだろう。
特士として仕事をするための正式な辞令は叙任式の後からなのだが、通例として早い時期から業務を教えるという理由で来てもらうことが多い。
皆が手をこまねいてどころか、舌なめずりをして新しい人材を待ちかねている状況だ。
それなのにどうして、平民だからという下らない理由で、新しい仲間に圧力などをかけた奴がいるのだろう。
特士に逃げられたら犯人絶対に許さない。
「あ、忘れてた……ステラの希望の考え直し待ちも、もう限界だな。他の特士の希望の処理を先にすすめよう。まったく……あいつに普通の修道女なんてできるわけねーだろ……大聖母だけならさぁ、まだよかったんだよ。あれは名誉職だから兼任できるし。あいつが王女やったり、顕微鏡を覗いたりしながら大聖母になるとかは可能だけど、でも修道女は相当しんどいだろ……」
あーもう、と肩を叩きながら、カルマリン様は書類をめくっている。
そんな様子を、本当に仲がいい兄妹だなぁ、と思って見つめた。
特士の希望は絶対だ。
だからカルマリンが自分の「業務上の怠惰」という名目で時間を稼いで、妹の真意を確かめさせようとしていたのだろう。
いや、もしステラ様が本気で修道女になることを希望していると思ったら、カルマリン様は黙ってそれを支持していただろうことはわかる。
しかし、そうではないことに勘づいていたから、こんな手を使っていたのだ。誰が見てもステラ様が修道女に向いていないのはわかっているから。
そして、彼女の本心を知った自分は大聖母に関する彼女との約束を守るために、これからも色々と根回しをする必要があるのだが……。
「変ですね……」
昨日、自分が責任を持って大聖母という職を戻すと言ったのに、まだステラ様は修道女となることを希望しているのだろうか。
もうこれ以上、たった一時でも、彼女の人生が無駄に使われるのは嫌なのに。
我々の話を、仕事をしながら聞いていた官吏が申し上げます、と口を挟んできた。
「あの、特士の姫様の修道女希望なら、希望の撤回が来てましたよ。再申請を待っているところですが」
あんなに皆で喝采をしたのになぜご存じないのでしょう、と不思議そうな目で見つめる官吏の話をきき、絶対零度の冷たい視線で、王太子を見つめた。
「カルマリン様?」
また仕事サボってましたね? という目でカルマリン様を見たら、素知らぬ顔をして目を泳がせている。
カルマリンは基本は真面目な方なのだけれど、たまにフラフラとどこかに行く癖が昔からあるお方だ。
人と会うのが嫌になったというだけで、半月も引きこもったりもすることがある。
一見、人好きに見えるが、もしかしたら心が弱いのかもしれない。
そう思って、それとなく気遣いはしているのだが、本人は他人の心配などどこ吹く風でけろっとした顔をしている。
「あー、そうだったっけ、あははは、忘れていた」
誤魔化すようなカルマリンの乾いた笑い声がむなしく響いた。
「よお、どうしたんだ?」
「報告ですよ。今日は仕事です」
緋色の間と呼ばれる王太子の私室の一つは、王太子の職務の部屋にもなっている。
その部屋の中で、くたびれた顔を隠さないで入って来た自分を迎えたのはカルマリン王子だ。
「ちょっと、司法庁の中でおかしな動きがあります」
蜂蜜色の髪の下の眉がぴくりと動く。
「リベラルタスという司法庁に希望を出した平民出身の特士に圧力がかけられたみたいです。現在も内部調査をしておりますが」
「なんだと?」
「司法庁に入るなという脅しだったので、その者の希望を知っていたようです。私ですら知らなかった情報を掴んだ何者かが、直接本人を脅したのでしょう。王宮の方からの漏洩も考えられますので、調査をお願いできますか?」
「わかった。聞いてたな?」
厳しい目をしたカルマリン様は一番近くにいた官吏を呼びつけると、色々と命じている。
「とりあえず、その特士には護衛もつけた方がいいか……」
「ええ、その方がいいでしょう。司法庁の内部に関してはもっと詳しく調べます。よりによって司法を守る立場の者が……司法庁内の綱紀粛正に努め、関係者には厳しい処分を……」
「真面目すぎ。もう少しリラックスしろよ」
苦笑したカルマリン様がなだめるように肩を叩いてくるが、腹が立つのだから仕方がない。
「それと、司法庁宛てに特士から希望申請が来ているのでしょう? 勅書を早くください」
こんなに早く、リベラルタスのことが分かったのは、ある意味運がよかっただろう。
でなかったら、不正が起きていることに気づけなかった。
自分から行動を起こしてくれたリベラルタスに感謝もあるにはあるが、リベラルタスのことを思い出すと、不愉快になってくる。
リベラルタスとステラ様が一緒に司法庁に来た時――。
応接室の方に案内されているということで、急いでそちらに足を運んだ自分がドアを開けて中を見たら、とても楽しそうに【男】と語らうステラ様がいて。
――俺には、あんな顔を見せてくれないのに。
しかし彼女は、自分を見ると即座に顔から表情を消したのだ。
中に押し入って男に詰め寄ろうとしたが、ステラ様が即座に相手をかばうのも、どうにも面白くなくて。
相手が特士だから重く用いるというのか。
それなら自分だってそれくらいとってやろうか。
腹立ちまぎれにそう言ってやったら、姫に窘められてしまったのだけれど。
しかも司法庁に入るなと特士が圧力を受けているという、聞き捨てならない情報を得て、詳しい話を彼から聞こうとしたら、姫には自分がその首謀者だと勘違いされているし。
あの平民の男……リベラルタスという人間に男として負けた気がしてならなくて。
そのことがいまだに不愉快で仕方がなかった。
それでも不正は不正。そんなものを見過ごすこともできずに即座に調査を始めたのだが。
それに男としてリベラルタスは受け入れがたくても、司法庁としては特士の入庁は大歓迎なのだ。
道連れ……もとい、仲間は多ければ多いほうがいい。
特に激務に耐えかねて逃げ出さない人ならなおさら。
過酷な試験勉強に耐えて合格した特士なら、ちょっとやそとでは音をあげたりしないだろう。
特士として仕事をするための正式な辞令は叙任式の後からなのだが、通例として早い時期から業務を教えるという理由で来てもらうことが多い。
皆が手をこまねいてどころか、舌なめずりをして新しい人材を待ちかねている状況だ。
それなのにどうして、平民だからという下らない理由で、新しい仲間に圧力などをかけた奴がいるのだろう。
特士に逃げられたら犯人絶対に許さない。
「あ、忘れてた……ステラの希望の考え直し待ちも、もう限界だな。他の特士の希望の処理を先にすすめよう。まったく……あいつに普通の修道女なんてできるわけねーだろ……大聖母だけならさぁ、まだよかったんだよ。あれは名誉職だから兼任できるし。あいつが王女やったり、顕微鏡を覗いたりしながら大聖母になるとかは可能だけど、でも修道女は相当しんどいだろ……」
あーもう、と肩を叩きながら、カルマリン様は書類をめくっている。
そんな様子を、本当に仲がいい兄妹だなぁ、と思って見つめた。
特士の希望は絶対だ。
だからカルマリンが自分の「業務上の怠惰」という名目で時間を稼いで、妹の真意を確かめさせようとしていたのだろう。
いや、もしステラ様が本気で修道女になることを希望していると思ったら、カルマリン様は黙ってそれを支持していただろうことはわかる。
しかし、そうではないことに勘づいていたから、こんな手を使っていたのだ。誰が見てもステラ様が修道女に向いていないのはわかっているから。
そして、彼女の本心を知った自分は大聖母に関する彼女との約束を守るために、これからも色々と根回しをする必要があるのだが……。
「変ですね……」
昨日、自分が責任を持って大聖母という職を戻すと言ったのに、まだステラ様は修道女となることを希望しているのだろうか。
もうこれ以上、たった一時でも、彼女の人生が無駄に使われるのは嫌なのに。
我々の話を、仕事をしながら聞いていた官吏が申し上げます、と口を挟んできた。
「あの、特士の姫様の修道女希望なら、希望の撤回が来てましたよ。再申請を待っているところですが」
あんなに皆で喝采をしたのになぜご存じないのでしょう、と不思議そうな目で見つめる官吏の話をきき、絶対零度の冷たい視線で、王太子を見つめた。
「カルマリン様?」
また仕事サボってましたね? という目でカルマリン様を見たら、素知らぬ顔をして目を泳がせている。
カルマリンは基本は真面目な方なのだけれど、たまにフラフラとどこかに行く癖が昔からあるお方だ。
人と会うのが嫌になったというだけで、半月も引きこもったりもすることがある。
一見、人好きに見えるが、もしかしたら心が弱いのかもしれない。
そう思って、それとなく気遣いはしているのだが、本人は他人の心配などどこ吹く風でけろっとした顔をしている。
「あー、そうだったっけ、あははは、忘れていた」
誤魔化すようなカルマリンの乾いた笑い声がむなしく響いた。
11
お気に入りに追加
4,783
あなたにおすすめの小説

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから
えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。
※他サイトに自立も掲載しております
21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ
Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)
いつだって二番目。こんな自分とさよならします!
椿蛍
恋愛
小説『二番目の姫』の中に転生した私。
ヒロインは第二王女として生まれ、いつも脇役の二番目にされてしまう運命にある。
ヒロインは婚約者から嫌われ、両親からは差別され、周囲も冷たい。
嫉妬したヒロインは暴走し、ラストは『お姉様……。私を救ってくれてありがとう』ガクッ……で終わるお話だ。
そんなヒロインはちょっとね……って、私が転生したのは二番目の姫!?
小説どおり、私はいつも『二番目』扱い。
いつも第一王女の姉が優先される日々。
そして、待ち受ける死。
――この運命、私は変えられるの?
※表紙イラストは作成者様からお借りしてます。
私の入る余地なんてないことはわかってる。だけど……。
さくしゃ
恋愛
キャロルは知っていた。
許嫁であるリオンと、親友のサンが互いを想い合っていることを。
幼い頃からずっと想ってきたリオン、失いたくない大切な親友であるサン。キャロルは苦悩の末に、リオンへの想いを封じ、身を引くと決めていた——はずだった。
(ああ、もう、)
やり過ごせると思ってた。でも、そんなことを言われたら。
(ずるいよ……)
リオンはサンのことだけを見ていると思っていた。けれど——違った。
こんな私なんかのことを。
友情と恋情の狭間で揺れ動くキャロル、リオン、サンの想い。
彼らが最後に選ぶ答えとは——?
⚠️好みが非常に分かれる作品となっております。

私は何も知らなかった
まるまる⭐️
恋愛
「ディアーナ、お前との婚約を解消する。恨むんならお前の存在を最後まで認めなかったお前の祖父シナールを恨むんだな」 母を失ったばかりの私は、突然王太子殿下から婚約の解消を告げられた。
失意の中屋敷に戻ると其処には、見知らぬ女性と父によく似た男の子…。「今日からお前の母親となるバーバラと弟のエクメットだ」父は女性の肩を抱きながら、嬉しそうに2人を紹介した。え?まだお母様が亡くなったばかりなのに?お父様とお母様は深く愛し合っていたんじゃ無かったの?だからこそお母様は家族も地位も全てを捨ててお父様と駆け落ちまでしたのに…。
弟の存在から、父が母の存命中から不貞を働いていたのは明らかだ。
生まれて初めて父に反抗し、屋敷を追い出された私は街を彷徨い、そこで見知らぬ男達に攫われる。部屋に閉じ込められ絶望した私の前に現れたのは、私に婚約解消を告げたはずの王太子殿下だった…。

旦那様は離縁をお望みでしょうか
村上かおり
恋愛
ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。
けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。
バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。

何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のアンジュは、子供の頃から大好きだった幼馴染のデイビッドに5度目の婚約を申し込むものの、断られてしまう。さすがに5度目という事もあり、父親からも諦める様言われてしまった。
自分でも分かっている、もう潮時なのだと。そんな中父親から、留学の話を持ち掛けられた。環境を変えれば、気持ちも落ち着くのではないかと。
彼のいない場所に行けば、彼を忘れられるかもしれない。でも、王都から出た事のない自分が、誰も知らない異国でうまくやっていけるのか…そんな不安から、返事をする事が出来なかった。
そんな中、侯爵令嬢のラミネスから、自分とデイビッドは愛し合っている。彼が騎士団長になる事が決まった暁には、自分と婚約をする事が決まっていると聞かされたのだ。
大きなショックを受けたアンジュは、ついに留学をする事を決意。専属メイドのカリアを連れ、1人留学の先のミラージュ王国に向かったのだが…

初恋の人と再会したら、妹の取り巻きになっていました
山科ひさき
恋愛
物心ついた頃から美しい双子の妹の陰に隠れ、実の両親にすら愛されることのなかったエミリー。彼女は妹のみの誕生日会を開いている最中の家から抜け出し、その先で出会った少年に恋をする。
だが再会した彼は美しい妹の言葉を信じ、エミリーを「妹を執拗にいじめる最低な姉」だと思い込んでいた。
なろうにも投稿しています。
婚約「解消」ではなく「破棄」ですか? いいでしょう、お受けしますよ?
ピコっぴ
恋愛
7歳の時から婚姻契約にある我が婚約者は、どんな努力をしても私に全く関心を見せなかった。
13歳の時、寄り添った夫婦になる事を諦めた。夜会のエスコートすらしてくれなくなったから。
16歳の現在、シャンパンゴールドの人形のような可愛らしい令嬢を伴って夜会に現れ、婚約破棄すると宣う婚約者。
そちらが歩み寄ろうともせず、無視を決め込んだ挙句に、王命での婚姻契約を一方的に「破棄」ですか?
ただ素直に「解消」すればいいものを⋯⋯
婚約者との関係を諦めていた私はともかく、まわりが怒り心頭、許してはくれないようです。
恋愛らしい恋愛小説が上手く書けず、試行錯誤中なのですが、一話あたり短めにしてあるので、サクッと読めるはず? デス🙇
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる