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第三十話 side スピネル 4
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「殿下」
「よお、どうしたんだ?」
「報告ですよ。今日は仕事です」
緋色の間と呼ばれる王太子の私室の一つは、王太子の職務の部屋にもなっている。
その部屋の中で、くたびれた顔を隠さないで入って来た自分を迎えたのはカルマリン王子だ。
「ちょっと、司法庁の中でおかしな動きがあります」
蜂蜜色の髪の下の眉がぴくりと動く。
「リベラルタスという司法庁に希望を出した平民出身の特士に圧力がかけられたみたいです。現在も内部調査をしておりますが」
「なんだと?」
「司法庁に入るなという脅しだったので、その者の希望を知っていたようです。私ですら知らなかった情報を掴んだ何者かが、直接本人を脅したのでしょう。王宮の方からの漏洩も考えられますので、調査をお願いできますか?」
「わかった。聞いてたな?」
厳しい目をしたカルマリン様は一番近くにいた官吏を呼びつけると、色々と命じている。
「とりあえず、その特士には護衛もつけた方がいいか……」
「ええ、その方がいいでしょう。司法庁の内部に関してはもっと詳しく調べます。よりによって司法を守る立場の者が……司法庁内の綱紀粛正に努め、関係者には厳しい処分を……」
「真面目すぎ。もう少しリラックスしろよ」
苦笑したカルマリン様がなだめるように肩を叩いてくるが、腹が立つのだから仕方がない。
「それと、司法庁宛てに特士から希望申請が来ているのでしょう? 勅書を早くください」
こんなに早く、リベラルタスのことが分かったのは、ある意味運がよかっただろう。
でなかったら、不正が起きていることに気づけなかった。
自分から行動を起こしてくれたリベラルタスに感謝もあるにはあるが、リベラルタスのことを思い出すと、不愉快になってくる。
リベラルタスとステラ様が一緒に司法庁に来た時――。
応接室の方に案内されているということで、急いでそちらに足を運んだ自分がドアを開けて中を見たら、とても楽しそうに【男】と語らうステラ様がいて。
――俺には、あんな顔を見せてくれないのに。
しかし彼女は、自分を見ると即座に顔から表情を消したのだ。
中に押し入って男に詰め寄ろうとしたが、ステラ様が即座に相手をかばうのも、どうにも面白くなくて。
相手が特士だから重く用いるというのか。
それなら自分だってそれくらいとってやろうか。
腹立ちまぎれにそう言ってやったら、姫に窘められてしまったのだけれど。
しかも司法庁に入るなと特士が圧力を受けているという、聞き捨てならない情報を得て、詳しい話を彼から聞こうとしたら、姫には自分がその首謀者だと勘違いされているし。
あの平民の男……リベラルタスという人間に男として負けた気がしてならなくて。
そのことがいまだに不愉快で仕方がなかった。
それでも不正は不正。そんなものを見過ごすこともできずに即座に調査を始めたのだが。
それに男としてリベラルタスは受け入れがたくても、司法庁としては特士の入庁は大歓迎なのだ。
道連れ……もとい、仲間は多ければ多いほうがいい。
特に激務に耐えかねて逃げ出さない人ならなおさら。
過酷な試験勉強に耐えて合格した特士なら、ちょっとやそとでは音をあげたりしないだろう。
特士として仕事をするための正式な辞令は叙任式の後からなのだが、通例として早い時期から業務を教えるという理由で来てもらうことが多い。
皆が手をこまねいてどころか、舌なめずりをして新しい人材を待ちかねている状況だ。
それなのにどうして、平民だからという下らない理由で、新しい仲間に圧力などをかけた奴がいるのだろう。
特士に逃げられたら犯人絶対に許さない。
「あ、忘れてた……ステラの希望の考え直し待ちも、もう限界だな。他の特士の希望の処理を先にすすめよう。まったく……あいつに普通の修道女なんてできるわけねーだろ……大聖母だけならさぁ、まだよかったんだよ。あれは名誉職だから兼任できるし。あいつが王女やったり、顕微鏡を覗いたりしながら大聖母になるとかは可能だけど、でも修道女は相当しんどいだろ……」
あーもう、と肩を叩きながら、カルマリン様は書類をめくっている。
そんな様子を、本当に仲がいい兄妹だなぁ、と思って見つめた。
特士の希望は絶対だ。
だからカルマリンが自分の「業務上の怠惰」という名目で時間を稼いで、妹の真意を確かめさせようとしていたのだろう。
いや、もしステラ様が本気で修道女になることを希望していると思ったら、カルマリン様は黙ってそれを支持していただろうことはわかる。
しかし、そうではないことに勘づいていたから、こんな手を使っていたのだ。誰が見てもステラ様が修道女に向いていないのはわかっているから。
そして、彼女の本心を知った自分は大聖母に関する彼女との約束を守るために、これからも色々と根回しをする必要があるのだが……。
「変ですね……」
昨日、自分が責任を持って大聖母という職を戻すと言ったのに、まだステラ様は修道女となることを希望しているのだろうか。
もうこれ以上、たった一時でも、彼女の人生が無駄に使われるのは嫌なのに。
我々の話を、仕事をしながら聞いていた官吏が申し上げます、と口を挟んできた。
「あの、特士の姫様の修道女希望なら、希望の撤回が来てましたよ。再申請を待っているところですが」
あんなに皆で喝采をしたのになぜご存じないのでしょう、と不思議そうな目で見つめる官吏の話をきき、絶対零度の冷たい視線で、王太子を見つめた。
「カルマリン様?」
また仕事サボってましたね? という目でカルマリン様を見たら、素知らぬ顔をして目を泳がせている。
カルマリンは基本は真面目な方なのだけれど、たまにフラフラとどこかに行く癖が昔からあるお方だ。
人と会うのが嫌になったというだけで、半月も引きこもったりもすることがある。
一見、人好きに見えるが、もしかしたら心が弱いのかもしれない。
そう思って、それとなく気遣いはしているのだが、本人は他人の心配などどこ吹く風でけろっとした顔をしている。
「あー、そうだったっけ、あははは、忘れていた」
誤魔化すようなカルマリンの乾いた笑い声がむなしく響いた。
「よお、どうしたんだ?」
「報告ですよ。今日は仕事です」
緋色の間と呼ばれる王太子の私室の一つは、王太子の職務の部屋にもなっている。
その部屋の中で、くたびれた顔を隠さないで入って来た自分を迎えたのはカルマリン王子だ。
「ちょっと、司法庁の中でおかしな動きがあります」
蜂蜜色の髪の下の眉がぴくりと動く。
「リベラルタスという司法庁に希望を出した平民出身の特士に圧力がかけられたみたいです。現在も内部調査をしておりますが」
「なんだと?」
「司法庁に入るなという脅しだったので、その者の希望を知っていたようです。私ですら知らなかった情報を掴んだ何者かが、直接本人を脅したのでしょう。王宮の方からの漏洩も考えられますので、調査をお願いできますか?」
「わかった。聞いてたな?」
厳しい目をしたカルマリン様は一番近くにいた官吏を呼びつけると、色々と命じている。
「とりあえず、その特士には護衛もつけた方がいいか……」
「ええ、その方がいいでしょう。司法庁の内部に関してはもっと詳しく調べます。よりによって司法を守る立場の者が……司法庁内の綱紀粛正に努め、関係者には厳しい処分を……」
「真面目すぎ。もう少しリラックスしろよ」
苦笑したカルマリン様がなだめるように肩を叩いてくるが、腹が立つのだから仕方がない。
「それと、司法庁宛てに特士から希望申請が来ているのでしょう? 勅書を早くください」
こんなに早く、リベラルタスのことが分かったのは、ある意味運がよかっただろう。
でなかったら、不正が起きていることに気づけなかった。
自分から行動を起こしてくれたリベラルタスに感謝もあるにはあるが、リベラルタスのことを思い出すと、不愉快になってくる。
リベラルタスとステラ様が一緒に司法庁に来た時――。
応接室の方に案内されているということで、急いでそちらに足を運んだ自分がドアを開けて中を見たら、とても楽しそうに【男】と語らうステラ様がいて。
――俺には、あんな顔を見せてくれないのに。
しかし彼女は、自分を見ると即座に顔から表情を消したのだ。
中に押し入って男に詰め寄ろうとしたが、ステラ様が即座に相手をかばうのも、どうにも面白くなくて。
相手が特士だから重く用いるというのか。
それなら自分だってそれくらいとってやろうか。
腹立ちまぎれにそう言ってやったら、姫に窘められてしまったのだけれど。
しかも司法庁に入るなと特士が圧力を受けているという、聞き捨てならない情報を得て、詳しい話を彼から聞こうとしたら、姫には自分がその首謀者だと勘違いされているし。
あの平民の男……リベラルタスという人間に男として負けた気がしてならなくて。
そのことがいまだに不愉快で仕方がなかった。
それでも不正は不正。そんなものを見過ごすこともできずに即座に調査を始めたのだが。
それに男としてリベラルタスは受け入れがたくても、司法庁としては特士の入庁は大歓迎なのだ。
道連れ……もとい、仲間は多ければ多いほうがいい。
特に激務に耐えかねて逃げ出さない人ならなおさら。
過酷な試験勉強に耐えて合格した特士なら、ちょっとやそとでは音をあげたりしないだろう。
特士として仕事をするための正式な辞令は叙任式の後からなのだが、通例として早い時期から業務を教えるという理由で来てもらうことが多い。
皆が手をこまねいてどころか、舌なめずりをして新しい人材を待ちかねている状況だ。
それなのにどうして、平民だからという下らない理由で、新しい仲間に圧力などをかけた奴がいるのだろう。
特士に逃げられたら犯人絶対に許さない。
「あ、忘れてた……ステラの希望の考え直し待ちも、もう限界だな。他の特士の希望の処理を先にすすめよう。まったく……あいつに普通の修道女なんてできるわけねーだろ……大聖母だけならさぁ、まだよかったんだよ。あれは名誉職だから兼任できるし。あいつが王女やったり、顕微鏡を覗いたりしながら大聖母になるとかは可能だけど、でも修道女は相当しんどいだろ……」
あーもう、と肩を叩きながら、カルマリン様は書類をめくっている。
そんな様子を、本当に仲がいい兄妹だなぁ、と思って見つめた。
特士の希望は絶対だ。
だからカルマリンが自分の「業務上の怠惰」という名目で時間を稼いで、妹の真意を確かめさせようとしていたのだろう。
いや、もしステラ様が本気で修道女になることを希望していると思ったら、カルマリン様は黙ってそれを支持していただろうことはわかる。
しかし、そうではないことに勘づいていたから、こんな手を使っていたのだ。誰が見てもステラ様が修道女に向いていないのはわかっているから。
そして、彼女の本心を知った自分は大聖母に関する彼女との約束を守るために、これからも色々と根回しをする必要があるのだが……。
「変ですね……」
昨日、自分が責任を持って大聖母という職を戻すと言ったのに、まだステラ様は修道女となることを希望しているのだろうか。
もうこれ以上、たった一時でも、彼女の人生が無駄に使われるのは嫌なのに。
我々の話を、仕事をしながら聞いていた官吏が申し上げます、と口を挟んできた。
「あの、特士の姫様の修道女希望なら、希望の撤回が来てましたよ。再申請を待っているところですが」
あんなに皆で喝采をしたのになぜご存じないのでしょう、と不思議そうな目で見つめる官吏の話をきき、絶対零度の冷たい視線で、王太子を見つめた。
「カルマリン様?」
また仕事サボってましたね? という目でカルマリン様を見たら、素知らぬ顔をして目を泳がせている。
カルマリンは基本は真面目な方なのだけれど、たまにフラフラとどこかに行く癖が昔からあるお方だ。
人と会うのが嫌になったというだけで、半月も引きこもったりもすることがある。
一見、人好きに見えるが、もしかしたら心が弱いのかもしれない。
そう思って、それとなく気遣いはしているのだが、本人は他人の心配などどこ吹く風でけろっとした顔をしている。
「あー、そうだったっけ、あははは、忘れていた」
誤魔化すようなカルマリンの乾いた笑い声がむなしく響いた。
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