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第一章 俺はとことん運が悪い

亡命と報酬

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「……は?」

 亡命というのは、自分が知っているあの亡命だろうか。
 確かに国から離れている今、そのまま行方をくらまして亡命するチャンスだというのはわかるが……。

「失礼ですが、なぜ亡命を……?」

 そう思ってしまうのは当然だろう。
 するしないはともかく、元々する必要があるなんて思えないのだが。本当に余計な他人視点なのだろうけれど。そうしたら。
 
「このまま私は国に帰れば、いつか殺されるんだよ」

 あっさりとまた思いがけない言葉が出た。

「で、でも、王女様は黒薔薇の力をお持ちで……」

 王族というか上に立つものが暗殺のリスクを常におっているのはわかる。理解できる。
 しかし彼女が持つ魅了の力は稀有なものだ。そのような人間を殺す国がいるのだろうか。
 三国会談に彼女が派遣されてきたのも、彼女の能力を使えば自国が優位になるというのがわかるからだろうに。
 彼女を殺すということは明らかに国益を損なうこと。
 なんでそんな風にこの人は思っているのだろう。

「そんなのどうでもいいんだろうな、王位を望む奴からしたら。私がこの力を持っているからこそ、今のうちに未来の禍根を摘んでおきたいんだろ。よくて幽閉。悪ければなんかの陰謀や騒動に巻き込まれて汚名や冤罪を押し付けられてスケープゴートで首ちょん、だ。……王族に生まれた人間はみんな王位を狙う。それがなぜだか君はわかってないようだね」

 どこか呑気そうにしながらも、彼女はわかるかい? と言葉を紡ぐ。

「別にみんな王位なんか欲しくないんだよ。単に死にたくないから王になろうとしてるんだ。王族に生まれただけで殺されるからね」

 そして王位についたらついたで、その立場を簒奪され自分が殺されることを恐れて、簒奪する可能性があるものを皆殺しにする。
 全ての国がそうだとは言わないが、自分の国はそうなのだ、とあっさりとアシャーヌは言う。
 その言葉に感情が見えず、当たり前のようで、それは国民性なのか王族だからなのかは知らないが逆に真実味があって、知らずのうちに緊張していたのかこくっと喉が動いた。
 殺してくるのが身内だとは思ってもみなかった。

「ぼ、亡命するのはこの国ではなくエチュールド、ということですよね?」
「その通りだ。わかっているようだな」
「なぜ、この国に庇護を求めないのですか?」

 わざわざ隣国まで逃亡しなくても、この国にとどまればいいような気がするのだが。
 そう言ったら鼻で笑われた。

「この弱腰の国が火種である私を受け入れると思うか? 何事もなかったかのように私を国に強制送還してしまうのがオチだろう。私はそういう意味ではこの国を信用してないんだよ。……君の国にケチをつけて悪いがな」

 この平和を維持するつもりなら、隣国との関係悪化をさせるような選択肢は選ばないだろう。
 仮に彼女の黒薔薇の力を政治的に利用する目的で彼女を受け入れたとしても、一国の王女という地位が問題になる。彼女の後見人となる人間が出るかもわからないし、彼女が誘拐されたり暗殺でもされたら国の威信にもかかわる。
 確かにそんな面倒くさい相手は、メリットよりデメリットしかない。

「亡命先にエチュールドを選ばれたのはなぜですか?」

 エチュールド……その国名を口にすると、脳裏によぎる存在がある。
 よりによって、王女がエチュールドを選んだ理由はなんだろう。
 この人は他に、自分の他の何かを知っているのではないか。
 そう思って、いつの間にか緊張でべたべたになっていた手をぎゅっと握りしめる。

「あの国は周辺国に比べてまだ未開発、未発達だ。私が逃げ込んでも金を稼ぐ方法くらいならあるだろう。ある意味、実力さえあればいることくらいは許してくれそうだ。他の国とほぼ国交がないから、私を捕らえて突き出すようなこともしないだろうし……というか、できないだろうね。もっと端的に言えば消去法だな。私が隠れ住んでもばれなさそうな場所はあの国しかなかった」

 アシャーヌ王女の言葉は淡々としていて、裏を感じない。
 それだけのことだったのか、と自分の思惑違いにほっとした。

「つまり、王女という身分を捨てて亡命をするというわけですね」
「その通りだ……引き受けてくれるか? 報酬はできる限り期待に応えよう」

 じっと、黒い瞳が自分を見つめる。
 こういう時こそ、彼女がその力を使って命じてくるべきだと思うのに、不思議と先ほどまで香っていた薔薇の香りが強まってこない。

「…………」

 自分の方はといえば――迷っていた。当たり前だと思う。
 これは彼女が言うような単なる荷運びではない。

 どんなに自分が彼女に頼まれ巻き込まれただけだと言ったとしても、どんな証拠をそろえたとしても、亡命に失敗すればこの自分の命がないのは火を見るより明らかだ。

 ハシャル王国にとってアシャーヌ王女は王位を狙う存在にとっては生きているだけでも問題なのだろうから。
 無事に亡命できたとしても追っ手がかかる可能性もあるし、彼女の逃亡に組したものとして自分も疑われるだろう。

 特に自分は平民であり、身分も立場もない。
 同じ罪を犯しても、貴族階級より平民の方が罰が重くなる。それが当たり前の世界で生きているのだ。
 竜に乗って国境を越えた時点で、自分も彼女と一蓮托生。
 それどころか二度とこの国に帰ってくることができないだろう。竜を盗んだ大罪人と思われるのだろうから。
 自分が彼女の逃亡に関与しているとばれれば、この国にいる自分の大切な人たちも危険にさらす行為にもなる。
 幸いこの国には犯罪に対する連座制はないが、犯罪者の身内としてこの国で生きている両親が非難される可能性だって高い。

 やるとしたら彼女の命に自分も命を賭けるしかないのだ。

 迷って揺れる瞳を彼女に向ける。彼女はどこか余裕にも見えるような笑みを浮かべて自分の方を見ているだけだ。

 確かに彼女は自分の職務規定違反という脅迫のネタを持っている。
 しかし、それをゆすりの対価に命というのは大きすぎるだろう。

「……一つお聞きしますが、私が断ったらどうするおつもりなのですか?」

 自分がここでこの逃亡計画を誰かに告げ口でもしたら、彼女は二度と逃げるチャンスなんかないだろう。
 信用がおけるはずもない、初対面で縁の薄い自分に頼るなんてどうしてだろうとしか思えないのだが。
 その問いに、アシャーヌ王女はふっと鼻で笑った。

「国に戻って死ぬだけだな」
「……私が断らないとお思いで?」
「うーん……私は君が断るのは当たり前だとも思ってるんだよな。でも君以外に頼むつもりもなかった。なぜかはわからないが、君なら信頼できると思った……? いや、違うな」

 何と言ったらいいのだろう、と王女は自分の中に言葉を探している。そして、ようやくぴったりの言葉が浮かんだのか輝くような笑顔になる。

 目の前で花が咲いたようだった。それは大輪の薔薇ではなく、スイートピーのような華憐な。 
 妖艶といってもいいくらい色気があるアシャーヌ王女の邪気のない笑顔は子供っぽくて、無駄に心臓が拍動を増して困る。

「君になら断られても裏切られても諦めがつくと思った」

 なんだそれは。
 どういう意味だか分からないような信頼をされているというのだろうか。言葉の意味が全然わからない。
 だって俺が断ったら死ぬんだぞ?

 はぁ……と大きくため息をついた。

 自分は騎士だ。 
 平民から運よく出世して竜騎士になれて。稼いだ金は全部生活や竜の世話に吸い取られていて仲間の意地悪や嫌がらせもひどいけれど、一応はその恵まれた立場を、こんなことで棒に振るのはバカげている。
 これにのるのは、後がない人間くらいだろうに。
 自分が逡巡しているのがわかっているのだろう。

 王女は立ち上がると、こちらに向けて手を差し出した。
 女性にしては長身な方だが、自分よりかは低い位置にある目。先ほどより近づいたその目は輝いていて、死ぬだなんて思っても見てないような力強さだった。

「……もし無事に着いたら、この体を君に任せよう」
「え?」
「君がこの国に戻ってくるつもりなら無理でもあるが……黒薔薇の力も君が言う通りにだけ使う。私という女が君のモノになる。私は君の支配下に入るよ。私が持っているものを全て君に捧げる。だからこの願いを聞いてくれれば、私は嬉しい」

 それは奴隷になるとでもいうのだろうか。
 彼女のそれは命令でもなく、ただのお願いだというのに、それだからこそか、胸に……迫る。
 その差し出された対価に心を動かされたわけではない。彼女自身も彼女の能力もものすごく魅力的だが、命を賭けるほど価値があると思わない。

 しかし。


「わかり……ました」


 目の前に殺されるから逃げたいという女性がいる。だから助けるだけだ。
 自分は金のために騎士なったような、やる気のない騎士だ。
 しかしここでこの女性を放っておいたら騎士道精神以前に男がすたる。そんな気分になった。
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