上 下
3 / 7
第一章 俺はとことん運が悪い

深夜のアルバイト

しおりを挟む
 着替え直してアシャーヌ王女に与えられている部屋に伺えば、ご苦労とばかりにうなずかれた。
 彼女の方もゆったりとしたハシャル王国の衣装に着替えている。
 先ほどまで結い上げられていた髪はほどかれて、漆黒のうねる髪が梳き流されて彼女の背中の半ばほどまで達しているのを見れば、こんなに髪の毛が長いんだな、と思わされた。
 王女は長椅子にゆったりと寝そべり、グァボという南国の果実を齧っている。もちろん取り寄せのものなので高級フルーツだ。

「やあ、ちゃんと来たようだね」

 来いと言われたから来たというのに。王族ならではの傲慢さだと相手をするのも下らなくなり、ブーツの踵をつけて礼をとった。

「これよりアシャーヌ殿下の護衛をすることになりました。自分の所属は王宮竜騎士団第四班。トールと申します。以降、よろしくお願いいたします」
「あー、かたっ苦しいのはなしでいいよ。どうせわかってるんだろ? 君を護衛目的で指名したわけじゃないってことをさ」

 そんなことだろうとは思っていたが、彼女の種明かしが早すぎる気がする。
 彼女は精緻な刺繍が施されている長椅子から上体を起こすと、こちらを見上げている。
 自分は立っているので、上から見下ろす形になり、自然と上目遣いの王女を見つめることになる。
 匂いたつような色香というのはこういうことだろうか。
 いや、いい香りがするのは事実なのだが。

「昨日の夜、竜で出掛ける君を見た」
「!?」
「そんな驚くことじゃないだろ」

 いや、驚くことだろうが。
 自分の行動が割れているということも驚くが、なぜ相手がそれを知っているのかという驚き。
 竜の厩舎は他国の要人が出歩くような場所にあるわけがない。
 自分が竜に乗って出かけたことを知っているということは、この人はよその国に来て、ふらふらと出歩いていたことになるのだ。
 なんて不用心なのだろう。

「そこの窓から下に降りて、まっすぐ歩いていたら、なんか扉があったからそこから出ただけだよ」

 やはり不用心すぎる、というより窓から降りるってどういうことなんだよ!
 勝手知ったる自分の城ならともかく、よその国の知らない場所でよくそんな大胆なことができたものだ。
 従者はどうしてこんな自由奔放な王女を放っておいているのだろう。
 思わず入口付近に控えている彼女の従者に目線を向けてしまったが、無表情に立っているだけだ。

「まぁ、君が竜で飛んだのが見えたんだ。それで君に興味がわいたんだ」

 そう言ってから、アシャーヌ王女は手を挙げる。
 下がれという合図だったらしく、侍女は部屋の外へと静かに去っていった。

 二人きりなのだけれど、いいのだろうか。
 状況がわからなくて困惑するが、自分に対して下がれという命令があったわけではなさそうなので、そのまま直立不動するのみだ。

 夜に人目を避けるような自分の行動をどうこの人はとらえているのだろう。
 それに、夜だったはずなのにどうして自分だと分かったのだろう。
 内心冷や汗をかきながら対峙していれば、くすっと笑われた。

「君は顔に全部出るねえ……」

 面白そうに立ち上がり、近くに寄ってくる王女。
 ふわん、と薔薇の香りが先ほどより強く舞う。

「人から情報を聞き出すのに、この体質は便利でね。竜厩舎で聞き込みしたら君だろうと教わったよ。明るい茶金色の髪で目の色も濃いとび色。女の子に人気があるのに本人は竜一筋などこか無骨な男。名前はトール。平民出身、とね」

 それよりもっと詳しいことまで全部調べられているのだろう。
 王女の能力は知っていたが、なんて恐ろしい能力なのだ。

 自分は脅迫されているのだろうか。
 この国の騎士団の戒律を彼女が知っているかどうかは知らないが――。

 竜騎士がアルバイトをするということは前代未聞の話だろうけれど、それ以前に竜を勝手に使った副業なんてもっての他である。
 もっとも騎士としての仕事が忙しく、バイトをするような時間もないのだから、自分のようなことをする存在がいるとも思えないが。

 竜は基本昼間に活動する生き物である。
 しかし中には夜型の竜だって存在している。人間にだって深夜になると活発になる夜型人間がいるのと同じだ。
 だからまだ調整中でパートナーがついていない、夜型の竜を連れ出してはたまに仕事を手伝ってもらっているのだ。
 仕事内容は主に運送業。これがいい金になる。
 普通なら荷物を運ぶのに牛馬や足が遅い地竜を使ったりするのだが、飛竜は力が強いし、なにより速い。
 あまりにも重すぎるものは運べないが、かさばるが軽いものなどはお手の物だったりする。なんたって空には障害物がないのだから。
 まさか王宮の竜がそのようなことをしているなんて、誰も思ってもみないだろう。
 もちろん、こんなことは一人ではできないから、竜厩舎にも協力者がいる。
 自分のこのサイドビジネスを提案した時は「そんなこと言い出したのはおめーが初めてだよ!」とげらげら笑って力になるのを約束してくれた。
 確かに金に困っていない貴族のおぼっちゃましかいない竜騎士では、こんな抜け道を考えることすらないだろうし、危ない橋を渡る必要もない。
 しかし、金がないこっちはルオを始めとする竜のために切実だ。
 子供の明日のご飯のためならなんだってできる。気分は母親だった。
 口止め料としていくらかは払ってはいるが、竜厩舎の仲間たちは、自分に同情してくれているのかもしれない。
 竜に選ばれていない彼らは、直接竜の面倒を見ることができない。それは竜が彼らを嫌がるからだ。
 だから、竜を大事に思う仲間である俺を見逃してくれているのだろう。

 しかし、そんな竜を通じた絆も黒薔薇の能力にはあっさりと瓦解するようだ。恐ろしい。
 自分の弱みを握って、彼女はどうするんだろうと思えば、目の前の彼女は自分の想定外の話を持ち掛けてきた。

「君は運び屋をやっているんだろう? それならば私も依頼をしようと思うんだ」
「は? 殿下がですか?」
「簡単な話さ。君が私をサスタードに連れて行ってくれるだけでいい」
「!?」

 高貴なる人の御前だというのに、思わず声が出てしまいそうになり、慌てて奇声を飲み込んだ。

 全然簡単な話ではなかった。
 ついそこの近所に買い物に行くようなノリで言われているが、彼女が言うサスタードというのは、この国、リントンと急峻な山を挟んで接している隣国エチュールドの首都のことだろう。

「いえ、ナマモノはお断わりなのですが……」

 あまりに驚きすぎて、変な対応をしてしまったが、文句を言われる筋合いはないだろう。

「どういった目的ででしょうか?」

 咳払いをしてそう告げる。
 王女様が出奔して庶民の暮らしを眺め楽しむというのは古今東西よく聞く話ではあるが、距離が遠すぎないだろうか。
 何かやんごとない目当てでもあるのだろうかと口にしただけだったのだが。

「亡命だよ」

 こともなげに王女様はとんでもない爆弾を落としてくれた。
しおりを挟む

処理中です...